ブログでもたまに紹介する
私のグローバルな家族



でも、どう見ても外人が居る
笑笑


不思議な家族構成だと
思われた方も
少なくないはず

ちょっとばかし複雑な家庭環境
だった方かもしれません
私が3歳の時に
母は私の実の父親と離婚し
私が6歳になる前に
再婚しました
その人は私の
育ての父親となり
私が16歳の時
母と育ての父親が
別居するまで
ずっと一緒に暮らして来ました
私は育ての父親にいつも
気を使っていて
父が家にいる時
いつも窮屈で堪りませんでした



(もちろん実の子でない姉と私を育ててくれてた事
感謝しかありません)
そんな中
"離婚して欲しくなかった"
と素直に反抗する姉を横目に
私は
"母は悪くない。離婚は悪くない"
って言い続けていたし
本当にそうだ。
と思い込んでいました



というのも
……
母と育ての父親が離婚して
大分経った
私が30歳くらいの頃に
"なんか、、
私は母に冷たくしてしまう
ことがある"
と気づきました

もちろん
冷たくなんかしたくないし
優しい言葉をかけたいのに
何か家族に素直に自分を出せない
なんなら
友達といる方が楽だ
と……
10代の頃は、ほとんど家に帰らず
いつも友達と過ごしていました



"家族よりも友達といる方が楽"
もちろん悪い事では無いけど……
でもそれが、何か不自然で
家族を大切にできてる
友人が羨ましくて
そう思ってしまう自分が嫌で…



それに、ようやく気づいた
30歳くらいの時に
1回とことん
自分と向き合ってみました



その結果、分かったのが
"母に怒りがあった"
"母が離婚したから、育ての父親に
気を使いながら暮らさないと
いけなくなったし
何よりも実の父親の愛を
直接貰えなかった"
(実の父親とは、両親の離婚後も定期的に
会っています
)

そんな風に……
何もかも母のせいにして
卑屈に考えたくないけど
……
だから今まで否定してきて
何なら肯定してきたけど
……
母が全部悪い訳じゃないって
頭では理解してるけど
認めざるを得ない
正直な心での
自分のしんどい想い



もちろん大人になった
今の私は
ちゃんと理解して受け止めれるけど
3歳の頃の私は
ただ寂しくて
悲しかったんだと
その時の気持ちをちゃんと
受けとめてあげてなかった
それに気づいた時
涙がダーーーって



止まりませんでした
それから
その怒りに気づいてからは
まずは
ちゃんと受け止めて
その上で
許す
という事を、決めました
そしたら不思議と
その時から家族と過ごす事が
自然に出来るようになって
母に優しい言葉を
素直にかけるのも
ようやく、できるようになりました



それまで何か
生きづらさらを
いつも感じていた私は
ようやく少し
生きやすく
なれたように思います

そして、話しを最初に戻して……
何故、今グローバルかというと
名前は通称ニコ

母の良きパートナーです

(出会いは、育ての父親との離婚後に
母が英会話を習いにいったのがキッカケ
)

そして、今動けない私を
ほとんど日中は
ニコが介助してくれています

名前の通り、いつも
ニコニコして。笑



私が辛くてどれだけ泣き叫んでも
いつも笑顔で
受け止めてくれました
実は、母も私も
クリスチャンになった影響は
ニコによるものです



そして、姉の横に写る外人は
スパニッシュの旦那さん
おかげで今や多国籍な
家族構成になりました
笑笑



ここまで来たら
私も、いつかは外国の人と結婚して
更にグローバル化を…
とか企む
今日この頃です
笑

ちなみに私以外は皆
英語ペラペラです
唯一韓国語を話す私

"環境を無駄にしてる!"
と散々、友人に言われてます
笑笑
{キコエナイフリ

今まで色々あったけど
母のおかげで
今やグローバルな

とても楽しい家族になりました



私は、そんな今の家族が
大好きですっ



mimipopo