私が乳がん告知されて
8年間で
1番、辛かった時期
2019年7月頃~10月頃
たくさんあった辛さで
1番の苦しみは
寝れなかったことです



その事については
の記事でお話ししました

そして、やっと寝れたとしても
朝を迎えることも恐ろしかった……
そのお話しは
コチラで、させてもらいました↓↓↓

この時期は24時間
休まる時が無かったので
朝、晩だけでなく
日中もかなり辛かったです
実は、落ち着いて話せる今、
朝と晩の記憶は
しっかりあるのですが……
日中の記憶が
とても曖昧なんです…

もしかしたら、、
"寝れない"という、休むべき時に
休めなかったという事で
私的には、夜が1番辛く思いましたが
……
私の身体が1番辛かったのは
意識もハッキリしてる
日中だったのかも…。と
思いました

私的には、日中は"負けない!"
と言う気力があったから
それが辛いとかの認識には
ならなかっただけで……
よく、生きていく為に
究極の痛みや辛さは
"忘れる"ように
人間の身体は、なっていると
言われるように
私にとって、この時期の
日中がそうだったのかもしれない
……
と、ふと思い出しにくい今。
そう感じました

だからって
全て忘れた訳じゃないので
覚えている範囲で
この時期の日中、私は
どんなふうに過ごしていたか……
それをお話ししようと思います

まず、この時
私の拳以上になっていた
胸の腫瘍からの大出血が
いつあっても、おかしくない
状態でした

だから、いつも私が座る目の前には
いつでも、すぐ出血を
押さえれるようにガーゼが
山積みに
用意されていました

そして、もう座っている事さえも
辛かった私は
柔らかいソファに座ることも
……
リビングの硬すぎる椅子に
座ることもできずに
でも、立つことも寝転ぶ事も
苦痛で出来ない私は
健康な人には
疲れ知らずとされる

ゲーミングチェアにタオルで
腰の隙間を埋めてもらい
腰が痛く足を下げるのもしんどいので
足だけソファに乗せる。
そんな状態で1日過ごしていました



もう、自分で椅子から降りることも
椅子に座ることも出来ないので
介助してもらいながら座ったら
もう自分では身体をずらす事さえも
できずにいました
その頃、何かを観たり
本を読んだりとか……
しんどすぎて出来なかったから
ただ、痛みを感じながら
うめきながら座ってるだけ。
そして、トイレに行く時だけ動く。
そんな状態で…。
でも、このトイレ移動が
日中の1番の恐怖でした



トイレに行くとなると
まず、痛い身体を動かして
テーブルに手をつき、何とか立つ。
そしたら
腰にコルセットを着けてもらい
両杖をつきトイレに向かう。
ただ、、この普通だったら
1分もかからないトイレまでの距離を
私は1本歩く度に
全身の激痛で泣き叫び
もう、両杖の自分の腕の力だけでは
身体を支えれなくて
誰かに両脇を支えてもらう…。
そんな状態でトイレの往復に
10分くらいかかって
移動していました
こんなんだから尿意が来る度に
苦痛で顔を歪めていました
だったらオムツをすれば??

と思われるかもしれないし
実際、家族に勧められた事もありました
でも、私はそれだけは嫌だ。
と拒否し続けました

なんか、それをしてしまったら
もう、本当に動けなくなってしまう
……
本当に私は、ただ苦痛の中
生きてるだけの
人形みたいになってしまう……
そんなふうに感じていました。
だから、どれだけ激痛でも
泣き叫びながらでも耐えていました
(オムツする事がダメ。みたいには思っていません。
今オムツはしませんが、尿とりパットを使う事もあります。
ただ、この時の私は必死で、自分でトイレに行く。
これだけは守りたかったように思います
)

そして、身体が痛いのは
動く時だけでなく……
太ももとかを撫でるだけで
激痛で泣き叫ぶ。
もう、全てが痛くて苦しくて
どうしようもありませんでした



本当に今、思い返してみた時
この時の私は、、
誰かと、喋るのもしんどい
何かを観るのもしんどい
何もかも楽しむ気力が無い……
ただ、激痛に耐えて泣き叫ぶ。
私は、どうやって
1日を乗り越えていたのか?
本当に曖昧で、思い出せないです。



ただ言えるのは
目の前の1分を乗り越える。
それをただ続けていた
そんな感じだったと思います



この、24時間辛かったという状況。
確かに辛くて苦しかったけど
私は1秒足りとも
希望が無くなった事は
ありませんでした
どれだけ激痛で泣いても
もう思うように身体を動かせなくても
"私は、こんなとこで死なない
必ず、良くなる。"
この想いだけは揺るぐことが
1度もありませんでした
確かに、何度もその希望を
へし折られて
その度に、何で?!って
腹立たしく悔しい想いで泣くことも
何度もありました
それでも、またすぐに
希望を信じて
それだけは無くさないように。
負けるもんか。
諦めるもんか。
と、この
希望だけは見失わなかったです
どれだけ苦しい日も……
こうして今日も
生かされていること。そのことに
感謝だけは絶えず祈り続けました
だから、この約3ヶ月の間
確かに私の中では、壮絶だったし
辛くて苦しかったけど…
私の心はいつも希望で溢れていました



回復して、痛みも無い今と
この辛かった時期
私にとっての変化は身体だけで
心は変わらずに
今もずっと守られています
だからこそ今の、私が居る。
そんなふうにも思います

思うように動けなく、ソファにも数分座ったら疲れる。
大出血で救急車で運ばれる事もしばしば……
そんな辛く苦しい日々は始まっていました。
この後11月までの写真はありません。
もうそんな写真を撮るような余裕は無かったです
)

"神よ あなたは私の神。
私はあなたを切に求めます。
水のない 衰え果てた乾いた地で
私のたましいは あなたに渇き
私の身も あなたをあえぎ求めます。
私は、あなたの力と栄光を見るために
こうして聖所で あなたを仰ぎ見ています。
あなたの恵みは いのちにもまさるゆえ
私の唇は あなたを賛美します。
それゆえ私は 生きるかぎりあなたをほめたたえ
あなたの御名により 両手を上げて祈ります。"
詩篇 63:1-4
mimipopo