私が、乳がん告知された
8年間で
1番辛かった時期は
2019年の7月くらい~10月の
3ヶ月間が
ピークだったように思います



もう歩くことはままならず、ベッドもリクライニングでないと
寝れず、常に痛みで泣いていた時期です。そんな中
久しぶりにメイクして車椅子移動で出掛けた時の写真です
)

今となって分かるのは
この時期は
骨転移が進んでいた時期なんだと
思います



何が辛かったって
細かく言い出したらキリが無いくらい
痛みも息苦しさも、出血も……
色々ありました

そんな全て称して1番キツかったのが
……
寝れない。
という事だったと思います
よくあるような
寝たいのに何か寝れない!



とか、そんなんじゃなくて
……
まず、身体中が痛みだして
動かなくなってきた
2019年の7月前後は……
ベッドに横になるだけで
ベッドに当たる腰や、仙骨や背骨
もう全てが痛くて



しかも、もう寝返りとか
自分で身体をずらすことさえも
激痛で出来ないから
足の下に布団をまるめて置き
少しでも仙骨や腰に
負担をかけないようにしたり
……
そんなふうに
寝る為のポジションを作るのに
30分近くかかって
ようやく寝ようとしても
左足全部がダルくて
(このダルいという症状は、痛みよりどうしようもなく
耐え難い。。この時1番しんどく感じてた事です
)

ずっと足を揺らしてないと
しんどくて……
もちろん、そんな状態で
寝れる訳もなくて……
そんな事している時も
腰や仙骨や背骨は痛くて
自分で身体をずらしたくても
もう、パジャマの
シワを伸ばすことさえも出来なくて
……
もう、耐えれなくなって
泣き叫ぶ
酷い時は、何時間も
"痛いよう。しんどいよう…!!"
と、大声で泣き叫ぶしかなくて
……
その大きな泣き声で母が起きて
様子を見に来てくれ
足をさすってもらって
少し落ち着く……。
でも、またすぐに
足をさすってもらわなくなると
痛みを感じ寝れない
時には、寝れたと思ったら
胸の腫瘍から大出血していて
その血が皮膚につたい
目が覚めて、腫瘍の周りは
血の海。
そして、母を呼び
夜中に1時間くらいかけて
止血して、また寝る
でも、こんな痛みや出血が
常にある状態だから
リラックスして寝れる日なんて
1日もなくて……
もちろん、朝が来たら
また痛みと出血としんどさに
闘う1日が始まるから
もう、朝起きる事も辛い。
でも寝ることさえも辛い。
その時の私は、24時間
ただ生きてる事が
試練のように思いました
正直、生きてることが辛かったし
もう、その日の記憶も無いくらい
……
目の前の1分を
乗り越えるだけでも辛いのに
それでも私は、まだ
生きたい。
と思っていました
だから、死にたい。
とかは絶対に言わない
と決めていました
それでも、辛くて苦しくて
何度も喉のところまで
"死にたい"
という言葉がでかけて、、
その度に、これだけは
言っちゃダメだ!と
何がなんでも
その言葉を口にはしませんでした
なんか、、
その言葉を言ってしまったら
もう、私は本当に耐えれなくなりそう
だと思ったし……
何より、生きたいのに
亡くなってしまう人達が
たくさん居るのに……
そして、こんな状態の私を
必死で支えてくれてる家族が居るのに……
今、辛くて苦しくても
まだ生かされてる私が
その言葉を言ったら絶対ダメだ。
と、強く思っていました
そんな時の私は
"あー、疲れた!"と言って
ソファに身を投げる母を見ては
羨ましくて。
毎日、仕事と慣れない私の介助と
それまで料理は私が担当で
家の家事も分担していたのに
私が出来なくなり全て母がする状態
だから、毎日くたびれて
しんどい、疲れたー!という母を見て
感謝の気持ちもある反面
それでもベッドに身を投げて寝れる。
それが羨ましくてしょうがなくて
そして、疲れてやっと寝れた。
そんな母を
私の泣き叫ぶ声や
痛みや出血で起こしてしまって
いても……
それでも、私は
自分では、もう身体をずらすことさえ
出来ない私より
身体を思う存分動かせて
仕事もできて
自分で家事もできる
そして私を助けることが出来る
母が羨ましくて
そんな事さえも出来なくなった
自分が悔しくて情けなくて
……
毎日、そんなふうに思ってしまう
自分を反省する……
でも、また考えてしまう。
そんな繰り返しの日々でした
とにかく毎日が……24時間
私にとって
戦争のような日々でした
今、こうして落ち着いて
その時を振り返ったときに
傍から見たらどんどん悪化して
なんで、それでも
何ヶ月もその状態で居たんだ?
と、思うところもあるのですが
その時の私は
毎日本当に必死で。
でも気持ちは絶対に諦めてなくて
絶対負けない。絶対良くなる
明日の私は今日より
必ず、良くなっているはず!
って、いつも思っていました。
だから、自分が悪くなってるとか
必死すぎて見えなかったし
そして、周りの家族も一緒で
私と共に同じように闘ってくれてたから
冷静に客観的に落ち着いて見る
これが、難しかったんだと
今になっては思います。
そんな時に
訪問看護の看護師さんが
来ることになり
第三者の目で客観的に
見てくれる人が来て……
ようやく、この状態はヤバい。
って気づけたように思います



そして、ホルモン治療を始め
その時に既にBlack Salveで小さくは
なっていた胸の腫瘍が
更に加速して小さくなり
ホルモン治療スタートと同時に
24時間痛み止めを
飲むようになった私が
少しずつ痛み止めの量を減らせ
それと、同時に
少しずつ夜も寝れるようにもなり
……
それでも
ホルモン治療を始めた1ヶ月は
39度以上の熱が毎日出ていて
夜寝れても、喉の乾きで
目が覚めたり
息苦しくて寝れない日々も
まだ続いていました
そして、11月くらいには
大分以前に比べて寝れるようになり
母を起こすのも
夜中に1回くらいになりました
(それまでは、2.3回起こしてしまう事もありました)
12月や1月は
身体全体の痛みや息苦しさは
もう全く無くて……
ただ、首の付け根の痛みで
寝にくかったですが
それも痛み止めを飲んで寝たら寝れる。
たまに腕がダルくて寝れない
(多分、この頃は編み物にハマっていたので筋肉痛です。笑)
そんな事がたまにあるくらいに
なりました



そして、2月くらいからは
もう夜寝たら、朝寝坊するくらい
1度も目が覚めずに
寝れるようになりました!



今では、まだ寝返りは出来ないものの
……
自分で身体をずらしたり
パジャマのシワを伸ばすくらいは
できるので

大分、心地よく以前のように
寝れるようになりました!



こうなって初めて思うのは
人間、寝れないって本当に辛い。
ってこと



私にとって、この寝れない日々は
生き地獄
のようにさえ思えました
でも今では、もう少ししたら
多分また寝返りも自然にして
……
そんなふうにもっと
心地よく寝れる日が来る!!
それが楽しみに思います



まだ、今こうして
思い出すと、時おり涙は出ますが



それでも、、
思い出話のように話せることが
感謝しかなくて
よくぞ頑張った!私の身体
折れなかった心!
と、褒めてあげたい気持ちです
笑笑

それにしても……
寝れるって本当素晴らしいっ

(朝の話はコチラ↓↓↓)
"悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、
神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、
支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、
また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。"
エペソ人への手紙 6:11-12
mimipopo