二人の息子がいますが、二人とも6月生まれ。
それぞれの息子の誕生には、それぞれのドラマがありました。
長男の時は初産(当り前)で、不安がいっぱい。
しかも「頑固」な逆子で、たいそうむなしく結局そのまま。
破水して病院に行ったけれど、まだだと帰ることになったり、
いざ陣痛が始まって、何時間もたってから、ようやく生まれそうになったのに、
へその緒が先にでてきてしまって、結局帝王切開になった。
そんなんやったら、最初から手術にしてよ!!!!!みたいな。。。。
でも、やってみなきゃわかんないよね、
ひょっとしたら、逆子でも上手に生まれたかもしれなかったもんね。
まあ、仕方ないか。
でも、さんざん苦しんで、手術までして、「もうなにがあっても怖くない!!」と思ったものでした。
なぜ、おばさんが強いのかもわかった気がしました。
それにしても、いまだに切った痕がかゆかったり、たまに血がにじんだりします。どないなってるんでしょうね。(もう26年もたつのに)
ちなみに当時は、今とはちがって、おへその下からすっぱりと切られましたので、見事な手術の痕が残っています。
手術は最初は部分麻酔で行われたので、(赤ちゃんに悪影響を及ぼさないため)、自分のおなかを切られる音は聞こえるし、ちょうど見学していた見習いの看護婦さんたちの悲鳴は聞こえるしで、さんざんな体験でした。
次男のときは、最初に切っているだけにちょっと怖くて、「最初から帝王切開」と決めていました。
一応3年開けていたけれど、万が一の子宮破裂・・っていうことが恐怖でしたから。
ところが予定日の二か月ばかりまえに虫歯が不安になったので、
「今なら大丈夫」と治療してもらったその夜、なんと陣痛が始まってしまった。。。
そうだ。私は異常???に歯医者恐怖症だったのだった。。。。
あわてて病院にいって、陣痛止めの点滴をうってもらったけれど、間に合わず。
三日後には本格的に陣痛が始まり・・・とうとう「じゃあ、このままいくか」ってことになっちゃった。
一人目が帝王切開だから、なんや、結局初産とおんなじジャン・・・てなわけで、時間はかかるし、しんどいし、
しかも病院が混んでいて、「はい、ベッドを代わってね」なんて、陣痛でひいひいいっている私を尻目に、ありえない指令。もうどうにでもなれっていう心境でした。
幸い、ベッド交代のショックでいきなり子宮口が開き、大慌てのお医者さんたち。
いそいで 分娩台に、うなりながら移動して、無事????出産したつもりでした。
さあ、赤ちゃんと感動の対面・・・と思って、「看護婦さん、赤ちゃんは??」と尋ねると、なんと「今はお見せできません」との言葉。
ええ~!!!っ なんでよお~っと叫んだかどうかは忘れたけれど、とにかく分娩室から私だけ病室に運ばれた。
そのあと、どうなったのか、さっぱり記憶がない。
とにかく後からわかったことは、赤ちゃんは泣かず、仮死状態でうまれたうえに、黄疸がきつくて特別室に保護されていたのでした。
アプガー指数というのがあって、健康な赤ちゃんは10点満点。うちの子は、たった5点でした。
そんな息子たちも、当時の心配や苦労をすっかりわすれるほど、立派に大きく育って、もはや、26歳と23歳。
母親がいい加減だった分、しっかりおばあさんに育ててもらって、いい子に育ちました。(手前味噌ですね)
さだまさしじゃないですが、「今が一番幸せな時もう少しこのままでいたいと」思うけれども、そこは息子たちの人生。正直ちょっとさみしいけれど、でも、さっさと自分たちの伴侶を見つけて、独立して自分の人生を自分で歩んでいってほしいです。
私が病気をしたばっかりに気を使うことのないように願っています。
私もまだまだこれからやりたいことがいっぱいです。
夫と二人で人生を楽しみます。