TOEICの話は、また結果がでたとき・・・・約1か月後にお話しするけれど、
次回は9月に受けようと思う。ちゃんと勉強しようっと。
ところで、今年度から「英語」が小学校5,6年に導入されたけれど、それに関する新聞特集も結構あります。
私も6年生担任として教室で「恥ずかしながら」英語を教えているわけです。
そんな中で、どうも「ちょっとちがうなあ」と思うのは、「こども」という感覚です。
というのは、「こども」だから、「英語を耳できいたまま発音する」とか「無条件で受け入れられる」とか、「楽しい経験を通して、英語に親しむ」とかいうけれど、それは主に中学年までのことかなあと思うのです。
私が住んでいるところの子どもたちが妙におとなびているのでしょうか????
でも6年生にもなれば、「意味もわからないし、言い方もわからないことを、とにかく聞こえたとおりに繰り返す」なんてことができる児童は少ないです。どの子もどんなふうに言えばいいのか知りたがるし、口に出すのは勇気がいるように見えます。
「恥をかいても大丈夫」という学級経営ができていないのかもしれません。
けれども、もう6年生という年齢は、ずいぶん「大人」なところがあるのです。
大人の私たちは、かなり「はじけた」人でないと、みんなの前でよくわからん言語を聞いたままに発声したりできないと思います。6年生は、もう そういうレベルです。
5年生では半分くらいの子は、まだそうではないので、なんとか引っ張れる場合もあります。クラスによりけりです。
そんなこどもたちでも、単語の書き方やその発音の仕方を教えると、喜んで発音しようとし、聞こうとします。文法的な知識を少し導入してやると、「なるほど」と納得してどんどん学習しようとします。
今の「小学校の英語教育」がめざしているようなところは、たぶん中学年までにあてはまることではないかと思います。
フィリピンで教師をしているときも英語の授業をみましたが、英語圏で生活している場合でさえ、高学年になるととにかくわからないままに言うことができずに、固まってしまい悩む子がたくさんいました。
ましてや日本で、たかが週に1時間程度の授業で、そのときだけ「英語モード」に切り替えるのはとても難しいことだと思います。
ですから、私は極力理屈っぽくはならないように工夫しながら、それでも発音の仕方や書き方、文法面など、すこしずつ導入しながら英語の授業をしています。「英語が好き」「もっと勉強したい」と言ってくれる子どもたちもたくさんいます。好きになるには、「わかる」ということが大きな要素です。
中学校に行ったときに、「それ知ってる」「きいたことある」「わかる」というふうに思ってくれて、テストでよい点数をとってくれればしめたものです。テストでよい点数をとれるということは、これまた「好き」になることの大きな要素なのです。いったん好きだと思うと、どんどん勉強しますから、その後のややこしい文法事項にもついていけるでしょう。
こんなことは「学問」の道からは、外れているのかもしれませんが、現実はそうです。
点数は悪くても好き・・という子も中にはいますが、レアですね。
小学生に対しての日本の英語教育はまだまだ試行段階なので、今後どんな方向になるのか楽しみです。少なくとも「英語を話せるようにする」のが究極の目標のはずなので、バリバリやっているフィリピンとは全く違うアプローチの仕方で、どこまで「英語が話せる」人を育成できるのか興味があります。