点滴がなくなって、自由に歩けるようになってから、少しずつ歩く練習を始めました。一人で歩くのは怖かったので、夫といっしょに歩きました。病院にはスロープが付いていて、1階から私の病室の6階まで、スロープを使って上がることができました。もちろん降りることもできました。階段もありましたが、初めはスロープをゆっくり歩きました。同時期に、リハビリ専門のセラピストも病室に来てくれて、本格的にリハビリを始めることになりました。
そのころはまだ、体のバランスが悪く、また左半身に力が十分に入らなかったので、左の筋肉を意識して鍛えるようなリハビリをしました。ただし、歩こうと思えばそこそこ普通に歩けたので、いわゆる運動麻痺のリハビリとは違って、セラピストも勝手が違ったようでした。
私自身は、そのころは感覚麻痺なんてあまり知らなかったので、運動麻痺が少ないということは、症状も軽く済んだのだと思っていました。それでも左手は少し不自由でしたし、左半身に力も入りにくかったので、なるべく手を使って、麻痺を克服できるようにしようと頑張ろうと思っていました。
なるべく手を使うということで、最初は夫が塗り絵と折り紙を買ってきてくれました。塗り絵は残念ながら、左手を使わなくてもできてしまうのですぐにやめて、折り紙に集中しました。折り紙は難しかったです。どんなに丁寧に折ろうと思っても、きっちりと折ることができませんでした。そればかりではなく、同じものを折っているはずなのに、しょっちゅう折り方を間違えていました。どちらにしてもイラつきました。けれども、ここで頑張らないと、よくならないと思って、いっしょうけんめい折り続けました。暇さえあればやりました。性格的に、こういうことは得意なタチで、折り紙をコツコツと何時間もやり続けました。夫が見つけてきてくれた折り紙の本をみながら、これまで作ったことがなかった「くすだま」に挑戦しました。
これが、最初に完成したくすだまです。このあともたくさんつくりました。看護婦さんたちは珍しがって、私の病室に来るたびに進行状況を見たり、「きれい」とほめてくれたりしました。でもさすがに折り紙だけでは飽きてしまうので、ビーズのアクセサリーなども同時に作り始めました。ビーズは子どものころに作っていたので、それを思い出しながらやりました。
でも、ビーズも折り紙も、日本の製品のように質が良くなく、また種類も少しでした。それを探し回ってくれる夫も大変だったと思います。しかも気温は35度くらいありましたので、病院の中にいる私はよかったけれども、外に買い物に行く夫はさぞしんどかったでしょう。そうは思ったけれど、何とかリハビリしたいと焦っていたので、あれこれ文句を言いながら、買ってきてもらいました。