一昔前まで大阪にはホームレスが溢れていた。大阪で精神医療に携わる以上彼らに無縁ではいられない。
今でこそ扇町公園も綺麗に改装されたが、ほんの数年前まではブルーシートとダンボールでこしらえた家に生活する住人がひしめき合っていた。


2003年には全国に25000人いたとされるホームレスの人の数は2013年には8265人に大きく減少したと報告されている。ホームレスというだけあって彼らは住所を持たないので、国勢調査の様な(名目上は)確固たる数字なのではなく、いわば日本野鳥の会がカウンターでカチカチしたような不確かな数字だ。


また、ホームレスの人たちの姿が我々の目に止まりにくくなったことも、その実数が減った訳ではなく、「目に見えないところへ追いやられた」結果なのだと

専門家は指摘する。

今年、大阪駅近辺で数名のホームレスが若者たちによりリンチを受け殺されたというニュースが報道されたが、そのニュースはさして大きな出来事でもないかの様な空気感で消えていった。

社会も、大阪という町も「そこに拘っている暇はない」といった風情だ。
全国の自殺者数が3万人を超えたのと期を同じくして1998年からホームレスの数は増加したのだという。ホームレスの問題は社会を映し出している一面が

あろう。



路上生活者の多くが精神疾患を抱えているという仮説ないしは事実は、人権上の配慮なのか表立って語られることは少ない。しかし、それは恐らく多くの精神医療関係者が感じたり確信していることである。
そして、そこには恐らく間違いなく人権屋や貧困ビジネスが関わり生業と成している。
かといって、路上生活者を捕まえてきて入院させるというようなことは一般的には積極的には行われてはいない。行政や保険所が動いて精神科医療が関わる場合というのは、彼らが大騒ぎしたり、迷惑行為を行って通報されたりした時が中心である。路上生活者は役所や医療の人間に対しては口を揃えたように
「私は精神疾患にはかかっていない」 と言う。


発病していても病識がないという場合もあれば、そもそも精神疾患ではない、つまり健康な「野生のおっさん・おばはん」として成立しているケースもあるのかも知れない。



先に行われた第109回日本精神神経学会にて

ホームレスと精神疾患との関係を扱った

シンポジウムがあったので聴いてきた。


「精神障がいをもつ人が『ホームレス』になる原因とは何か? -ホームレスとハウスレスについて考える-」と題されたシンポジウムである。

「精神障害者がホームレスになるのは本当か?」と題された演目で北九州市立精神保健福祉センター ・三井敏子氏が話された。

精神障害者がホームレスになりやすい原因としては

① 社会適応能力が低下する

② コミュニケーション能力が低いと社会資源を使うところまでたどり着けない。即ち精神科など「力になれる人がいる場所」に行く術がない
ことなどが挙げられるという。


本人が望まずとも精神医療に関わることになる場合というのは、

① 不穏を呈し、警察官による24条通報で措置入院。しかし、症状改善後退院する場所がない


② 路上で倒れていて救急搬送される。そして救急部から精神科に「受け入れてください」と依頼される
というパターンが多いという。



全国的にもパンチの利いた土地柄として有名な北九州市であるが「ホームレス自立支援法」でホームレスの数は大きく減ったという。この辺りの施策は今後全国的にモデル・ケースとして

模倣していくべきではないだろうか、と思った。


次に粟田主一先生の「重層的生活課題を

もつ認知症高齢者の支援」というお話。

ホームレスの半数以上が60歳以上であり、ホームレス業界も高齢化が進んでいるようだ。高齢のホームレスのうち、認知症が約9%、統合失調症が約17%であるという。

自殺に関連した行動のリスク・ファクターを並べてみると、「単身生活者」を「100」とした場合、

65歳以上 65
身体疾患 84
精神疾患 55
認知症 19
そして
路上生活歴 38

だという。高齢のホームレスの人の自殺のリスクが高くなる訳である。

ホームレスは現在のところ大都市圏に多いが、今後は大都市近郊の都市にも増えるであろうという。
小生、以前京都市の保健所の精神保健相談医(?)みたいなのをしていたことがあるのだが、昔から京都で縄張りを持って路上生活している有名なホームレスという人が存在することに驚いた。更に、新幹線の止まる京都駅には、他の都市で「面倒をみきれない」と判断されたホームレスの人が、京都行の片道切符を誰からか渡されて、京都駅に辿り着き駅前の七条警察に保護されて「京都の患者さん」として京都の精神医療に委ねられるというおぞましい構造を知ってしまった・・・という経験がある。




ホームレスの人に求められている日常生活支援として、


・各種手続きの援助


・体調が悪いときの相談


・食事の援助


などが挙げられていた。



援助としては「住まい」と「日常生活支援サービス」が基本で、これが満たされていないと他の援助は叶わないということであった。

ホームレスの問題が「遠い世界の出来事ではない」ことを示す話として、既に

社会問題となっている「ひきこもり」との類似点を森川すいめい先生がお話しされた。


以前は「ひきこもり」は様々な要因の結果であると漠然と捉えられていたが、今は「社会的参加の回避」だと捉えられているという。更に今後「おおむね家庭にとどまり続けている」人達が「ひきこもり」を構成するようになるという。以前の記事でもふれたが、ネットの世界にどっぷり浸かっている「ヴァーチャルの住人」もそこには多く含まれてくるのであろう。

広義の「ひきこもり」に該当すると考えられる人、つまり「趣味であれば外出するが、それ以外は外出の機会が乏しい」人は全国で69万人にものぼるという。そのうち精神疾患を抱える人が54%、その病名は発達障害、パーソナリティ障害などであることが多いとのことであった。


そして北九州ホームレス支援機構・奥田知志氏が話されたのは、現在の労働人口に占める非正規率は35%で、この層が不安定労働者でありホームレス予備群だというショッキングな内容であった。3人に1人が成り行き次第ではホームレスになり得る訳だ。


例によって必死にメモを取りながら、という聴き方だったので上記のシンポジウムの内容の記載に間違いがあるかも知れません。




個人的に思うのは、生活保護の支給額を大幅に減らし、広く薄く支給する様に帰るべきだと思う。そうすれば、生保に甘える「自称・働けない人」や不正受給者にとって生保のシステムは今ほど

旨味のあるものではなくなるので、おのずと受給者は「本当に生保を受けるしかない人」だけに

淘汰されていくと思う。現金ではなく現物支給で、住むところも指定する・・・それくらい旨味をなくさないと、生保のシステムは、

国益に寄与する気のないずる賢い輩やプロ市民や人権屋の巣窟であり続けるに違いない。生保の想定する生活水準を

「ホームレスの人が生きていけるくらいの衣食住のみ」に設定し直すべきだと思う。



左翼の顧客であるゴネサラシ・ピープルなどではなく、「本当に援助なくしては生きていけない人」「ゴネ晒す力もない人」を救わずして何が生保だ福祉国家だ馬鹿野郎!・・・と言いたい。


http://blog.livedoor.jp/radicalma/archives/1683390.html