2022年8月7日(日)

 

 

  旭崎のケヤキ

 

伝承館で説明があったここ、ここに行きたい。

「樹木は命を救う」

いろんな犠牲から生まれる教訓。

 

伝承館から見える。行ってみよう。

 

お。これだね。この樹だね。って、説明が切れちゃったアセアセ

 

で、説明はこちら。

旭崎と呼ばれる岬に、膝の高さまで津波が 押し寄せました。岬には8名が避難しており、 松の木にしがみつき波に耐えていました。そ こに偶然、アルミのはしごが流れつき、その はしごを使って、ケヤキの木に登り津波をや り過ごし一命をとりとめた。この岬にあったケ ヤキの木は、明治三陸大津波の後、「樹木は 命を救う」との考えから、植えられたものだそ うです。

 

意外とひょろひょろしてるな。この樹が命を救ったの?と、ちょいびっくり。

 

ちゅーをしてほしそうな鯉がいたから・・・CHU♥

 

灯台?さきっちょに行って覗いてみる。

 

なかなかの絶景。このあたりの樹は津波に耐えたのだろうか。

 

東北三陸地方の復興は、がっちりとした堤防づくりから始まった。高い堤防で覆われた海岸沿いは、海が見えなくなってしまった。震災の前年9月に岩手にひとり旅に行ったときの海岸沿いの風景を今も思い出す。

 

この高い堤防も、震災の教訓からの高さだ。堤防を登って海を見てみる。

 

がっつり堤防。

 

のえまろは堤防を歩き、ダンさんはいったん堤防を降りて、車移動。

おーい!ここだー!堤防のぼってんで~!!

 

そして、おちあったのは、海の殉難者慰霊塔。震災だけではなく、海の事故で亡くなった方もここに刻まれている。

慰霊塔は震災の津波で一部が欠け、塔に書かれた文字も流された。塔と共に整備されていた明戸霊園も津波の直撃を受け、 遺骨の多くが流失したそう。でも、再び海の近くの墓地には、墓石が再建されていた。

 

海と共に生きるための教訓がそこかしこに。

 

明治三陸大津波(1896年)と昭和三陸津波(1933年)を伝える石碑も、東日本大震災の津波で流失。しかし、9年以上の時を経て見つかり、過去の津波の教訓を後世に残すため、傷もそのままで、石碑を再建したそう。

これは、明治三陸大津波、昭和三陸津波やチリ地震津波を伝える石碑の一つ。

「地震があったら津浪(波)の用心」と大きく刻まれている。

 

岩手旅行で、大船渡の綾里湾に宿泊したのが震災の前年9月。

 

震災の半年前だ。海なし県に育ったのえまろは、海がわからない。もし、旅行に来ていたときに震災にあっていたら・・・。

伝承館で教わったこと。

「躊躇することなく、逃げる。さらに遠くへ、そしてさらに高く」

 

 

いわてagain@海と共存するための教訓。