今回は、東日本大震災の遺構の記事です。
もし、つらい思いをされる方がいらっしゃいましたら、スルーしてください。
2022年8月7日(日)
気仙沼の気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館にて東日本大震災を教訓とした防災を学ぶ。
震災遺構(旧南校舎)
4階「津波到達地点」
4階の床上25cmまで津波は到達。
4階はこの錆びたところまで海水が来たということを示すものがある。
水が来たため、少し流されてはいるが、破壊されたほどではないらしい。
ただ・・・
冷凍工場が流されてきた?!
冷凍庫ではなく、工場?上の写真は工場の壁材のスポンジらしい。
そして、冷凍工場がぶつかったところ。
べっこり、いっちゃってる。
外から見ると、外側に折れたという意味がわかる。校章がギリギリ残った。
4階まで津波は来たが、教室への被害は少なく残っている。が、ひっそりした感じが物悲しかった。
屋上「避難の行方」
屋上から見えるもの。とてもステキなデザインの北校舎。
こちらも3階までは、窓も割れ、いろんなものが流入している様子。
屋内運動場。車で来たときにまず見えた破壊された建物。屋根がすっかりなくなっている。
生徒たちは、地震が発生したとき、内陸に向かって避難し、全員無事だった。
ただ、教職員と改修工事を行っていた工事関係者が屋上に逃げたとのこと。
油断をせず、少しでも高いところへ!との行動で無事脱出をしたとのこと。
屋外
南校舎の見学のあとは、屋外に出る。上から見た建物を間近で見る。
南校舎西側「壊れた壁」
屋外に出る。ここは、懐かしく感じる学校の昇降口だ。
出てみると、冷凍工場がぶつかった、南校舎西側の壁が見える。その向こうは公園として復興し、グランドゴルフを楽しむ市民の姿。
”震災を忘れない、そして復興する” そんな象徴の場所に感じる。
上から見た屋内運動場。
出入口のスロープのポールがなぎ倒されている。こんな細いものにも圧がかかったということだ。津波の水の威力の証明。
総合実習棟前「折り重なった車」
今は写真の家屋は撤去されているが・・・
校舎の間に、折り重なった車があった。
破壊された船の残骸も。「水上丸」と。
旧北校舎
1階「震災前の面影」
荒れ果てた教室の廊下に、震災前の高校生たちの学生生活の写真パネル。
こんな普通の学生生活が、一瞬にして消え去った。
友人がみな無事だったのは、避難優先という判断をした学校のおかげ。
伝承館
再びの伝承館。
最後に映像室で映像を見る。
お子さんと旦那さんを亡くした人生き方、妻を亡くした人の募る思い、震災直後の卒業式での中学生の叫びに近い涙の答辞。
もう、涙が止まらない。周りも気にせず、嗚咽なみの爆泣き。何もわかってあげられないけど、何もできないけど・・・
写真パネルでは、「水を運ぶ少年」の展示パネルがあった。この少年も今年21歳だそう。強く生きている。
※撮影禁止だったのでサイトからお借りしています。
生きていることに感謝し、生きていくことの難しさを感じ、一生懸命生きていこうと思う1日だった。
災害はいろんな形で今年もやってくる。今回、命の大切さと命を守ることの難しさを感じていただきたくて、ブログに載せました。
気仙沼のステキな景色と復興した街並みともに、ここへも訪れて、感じていただけたらと思います。
いわてagain@気仙沼市東日本大震災遺構②