2022年3月5日(土)
旅の2日目は、ダンさんと共に、水戸藩の歴史をたどるための弘道館、の続き。
弘道館の敷地内にある施設が特別公開されている。(丸で囲んであるところ)
せっかくなので、見に行ってみる。
梅まつりのみ正門開放中。は、画像撮ると忘れちゃったのでなし(;^ω^)
すみません
孔子廟特別公開中
なぜか、全体の画像がないので、HPから拝借。
孔子廟は、弘道館建学の主旨のひとつである「神儒一致」の教義にもとづいて、儒学の祖である孔子を祀るために建てられたものです。
廟の構造は、大成殿(中国の孔子廟の本殿)を模した入母屋造り瓦葺で、屋上には2種類の架空の動物(鬼犾頭・鬼龍子)の像を置いた特異なもので、孔子の生地(中国山東省曲阜市)の方向(西)を向いています。内部は、土間で高く設けられた室内に孔子神位の木牌を安置しています。
これが鬼犾頭・鬼龍子のどっちかだな!
弘道館は、天保12年(1841年)に仮開館し、安政4年(1857年)に孔子廟には孔子神位の安置、鹿島神社には鹿島神宮からの分祀遷座がなされたことにより、本開館式が挙行されました。孔子廟は、昭和20年(1945年)8月2日の戦災で戟門(げきもん)と左右の土塀を残して焼失し、昭和45年に復元。
※孔子廟内は通常非公開です。
これが特別公開の孔子廟の中だ!
八卦堂特別公開中
建学の精神の象徴である弘道館記碑を納めた八卦堂は、藩校当時は、敷地の中央に位置していました。
※八卦堂内は通常非公開です。
いや、邪魔せんとってな、ダンさん。
八卦堂のそれぞれの軒には、万物変化の相を示す易の算木(さんぎ)を配し、その中に万古不動の日本の道を説いた弘道館記の碑を建てたことは、斉昭の絶妙な発想であるといえます。昭和の戦災で、中の弘道館記碑を守りながら八卦堂は焼け、昭和28年(1953年)に復元されました。
八角の建物って、ステキだよね~
寒水石(大理石)に「弘道館記」が斉昭の書および篆額で刻まれています。
「弘道館記」は、弘道館建学の精神を象徴するもので、天保8年(1837年)に藤田東湖によって草案が作られ、多くの学者らによって検討が繰り返されたのち、天保9年3月に斉昭の名で公表。弘道館という校名は、「弘道館記」の冒頭「弘道とは何ぞ。人、よく道を弘むるなり。」からつけられました。
弘道館記は、こんなに全開で公開中やった
鹿島神社
これは、特別公開ではないんだけどね。
鹿島神社の祭神は、天照大神の国土平定の祖業に貢献した武甕槌命(たけみかづちのみこと)で常陸一の宮である鹿島神宮から分霊を勧請して祀ったものです。
いや、ほんま、
邪魔せんとってな。
ダンさん。
これも、ふたりたびの醍醐味か?
被りまくり
昭和20年(1945年)の戦災で社殿が焼失し、昭和49年の第60回伊勢神宮式年遷宮の折、伊勢神宮別宮「風日折宮」の旧殿一式が特別譲与され、昭和50年5月伊勢神宮独特の「唯一神明造り」の社殿として再建されました。
この注連縄、布紐やな。
黄色やし、
珍しいのか?!
さらに、鹿島神社横の社務所で、特別展をやっていたので、それにも寄る。
なんだか、お得感いっぱいやなぁ、水戸の旅。