占いをやっていると、どうしても【潜在意識】という言葉、概念がついてくる。

 

 

引き寄せの法則とかもその分野になってくるのだと思う。

 

 

だから、知っておかないとなあ。と思い、【潜在意識の書き換え】関連の動画をみていた。

 

 

ビジネスに潜在意識の書き換えを活かそうぜ、って言ってるのは、この方が有名かな…?

認知科学コーチングの村岡大樹さん。

 

 

 

 

 

潜在意識の書き換え、ではなく、認知科学のコーチングか。

 

 

まあ何というか、自分で意識できない部分を意識的に理想にもってく、みたいな感じでは似たようなものかと。(個人的な感想)

 

 

 

 

最近それ系を見聞きして思うのは

 

 

トイレトレーニングと一緒だな

 

と。

 

 

よくある潜在意識(無意識領域)の書き換えのながれはこうだ。

 

 

①今までの有意識(常識)を捨てる

 

②新しい自分になるための行動をする

 

③元の自分への揺り戻しがくる

 

④元の自分が思い出せなくなる

 

 

これをみた時に、

 

 

え、トイトレじゃん。

 

 

と思った。

 

 

①オムツを辞める

②パンツを履いてトイレで排泄するよう試みる

③やっぱりオムツが楽で戻りたくなる

④トイトレ完了、オムツにおしっこしてたことを忘れる

 

 

 

トイレトレーニングって…

 

潜在意識の書き換えだったんだ…

 

幼児って大人でもなかなかできないことをしてたんだ…

 

 

潜在意識の書き換えは、②と③がやはり1人ではキツいらしい。

 

 

どうしても元の楽な方に戻ってしまう。人間の本能として【安定した状態】を求めるので、本能に抗うのはキツい、とのこと。不安との戦いになる。

 

 

だから、潜在意識書き換えコーチみたいなビジネスが成り立つ。

 

 

上の本の著者、村岡大樹さんの会社は言えばトイトレに付き合ってくれる親なり保育園の先生みたいなものだ。

 

 

たしかに、パンツへの移行を促して根気強く付き合ってくれるコーチがいないと、1人でオムツを外すのは難しい。

 

 

パンツを履くのが常識だよ!の側の世界の人に引っぱってもらうしかない。

 

 

大人の潜在意識書き換えでいうなら、飛行機はファーストクラスに乗るのが常識だよ!側の世界の人に引っぱってもらう感じだろう。

 

 

トイレトレーニング中の子どもは不安と戦っているのだ。本当にパンツで大丈夫なの?私はトイレでおしっことうんちができるようになるの?失敗したら怒られない?と。

 

 

もう、なんかこれを書いているだけで幼児の気持ちを思って泣けてくる。

 

 

大人なら、本当に今の会社を辞めてしまって大丈夫なの?私は新しい仕事で稼げるようになるの?事業で失敗して社会的に落ちこぼれない?と。そんな不安と同じだろう。

 

 

大変なストレスだ。

 

 

そして、書き換えをスムーズに行うには共振を使うと良いらしい。

 

 

お金持ちになりたければお金持ちの人の近くにいて行動を真似るとか、

 

美人になりたければ美人の食べ物や生活を真似るとか。

 

 

そうすると、キツい②③を比較的ストレスなく乗り越えられるらしい。

 

 

これもよくわかる。

 

 

保育園に行きながらトイトレをするのと、夏休み中に自宅でトイトレするのとは前者のほうがスムーズなのは想像に容易い、というか、我が子は見事に保育園でオムツを外してきた。

 

 

お友達とみんなでトイレにいこうね〜

 

 

が、効いたのだと思う。まさに共振。

 

別途コーチング代を先生にお支払いするべきだったかもしれない。

 

 

 

そして思うのは、

 

バカな方が潜在意識の書き換えは上手くいくのだろうな、と。

 

バカというと言葉があれなんだけど、

 

左脳を使わないというか、論理的思考が弱い方が上手く行きやすいのだろうなと思う。

 

 

「お金待ちになりたい」

 

左脳→今のスキルから逆算するに…無理そうだ。

右脳→なれる、理由は、なれるから。

 

みたいな、感じだろうか。

 

 

もしかしたら、オムツが外れるのが遅い子は左脳優位で賢すぎる子なのかも。


 

なんでこんな快適なものをやめなければならないんですか?社会性などという曖昧模糊としたものでなく、より論理的で合理的な理由は?社会性、というのであればあなた方がオムツを履けば良いだけの話だし、人生でトイレに行く時間、トイレを設置する費用、流す水の量、トータルで見たときにオムツの方が良いのではないですか?

 


と、言葉にはならずともそんな思考回路が脳内でパンツへの移行を阻んでいるのかもしれない。

 

 

 

そして最後はみんなオムツのお世話になって死んでいくのだから、今パンツを履いている人生そのものが【元の楽な自分への揺り戻しとの戦い】とも言えるだろう。

 

(言えないかもしれない)

 

(この話どこに着地しようかすごい悩んだ)

 

 

パンツを履いたところから、顕在意識(常識)の檻に囚われ、逃れようとジタバタするのが人生。

 

 

だから人間以外だれもパンツなど履こうとしないのかもしれない。

 

 

 

 

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