こんにちは。
きのこです。
ご訪問いただきありがとうございます。
そろそろ占い界隈では
来年の運勢は
みたいな話で盛り上がる時期です。
今日のお話は
【運気が悪い時期と一言に言っても内容が違うからマインドの持ち方、対処の仕方が変わってくるよ】
というお話。
※諸説ありますので、あくまで きのこはこう思う って話という前提でどうぞ
運気には【波】があります。
今日はなんかイイ感じな日もあれば、何もしてないのにコンビニ店員に舌打ちされて帰り道すれ違いざまに知らないおじさんに怒鳴られて家に帰ったら米研ぐの忘れてた、みたいな日があると思うんですけど
運気の波ってそういうやつです。(説明不足)
年も、月も、もっと細かく見ると1日ごとにそういう波があって、四柱推命では12というサイクルで一周するという法則があります。
12年ごと、12か月ごと、12日ごと、ってことですね、一日の中でも2時間ずつ、24時間かけて運気のサイクルは一周します。
まあそんな細かくみてもしょうがないので普通は1年ごとに、今年はどんな年かな、っていう傾向を読むのにこの運気の波は使います。
それを元に「今年はちょっと運気が悪いね」と一般的に言わる時期があって、
皆さん聞いたことがあるであろう「天中殺」の時期と、実はもう一つ「空回り」の年というのがあります。流派によっては空転の時期とか言われるように、とにかく空回るのです。
一時的な運気の波の凹み
一言に「運気が悪い」といっても天中殺と空回り運では内容が変わってきます。「どう悪いのか」を知っておくとマインドの持ち方、対処の仕方が変わってくると思うので、少し長くなりそうですがお付き合いください。
イメージとして「天中殺」は人生の物語が、クエストが変わる時期。
10年間取り組んできたステージをクリアして、次のステージへの挑戦のために装備やパーティーを組みなおしたり、自分のレベル上げをしておくような、そんな感じの時期。
その過程で別れがあったり、病気になったり、事故にあったり、強制終了を感じるような出来事が起こりやすいといわれています。もしここで離れていくものがあっても執着しない方が運気の波的には自然でその後の展開がスムーズだったりします。
過去の経験や成功体験、人からのアドバイス、植え付けられた価値観から「現状維持」に執着していると、「悪い運気」と感じやすくなります。
一見悪い運気に見える出来事は「本当はどうしたい?」を確認するために起こる出来事で、ある意味10年間の間にこびりついた不要なものを綺麗さっぱり流しさる作用のある期間なのだと思います。
要らないものを手放す断捨離や自分のレベル上げの勉強に適した年。ボランティアや寄付活動、神社仏閣巡りを始めるのにも良いといわれる時期です。
ここの過ごし方次第で次の運気のステージの高さが変わるのである意味12年に2年間めぐってくるチャンスの時、ともいえます。
(新しいことを始めてはいけないとか、結婚してはいけないとか、家を建ててはいけない、などといわれる理由は今回の記事の内容と少しずれてくるので端折ります。)
一方「空回り」の時期はあまり知られていないと思うので簡単に説明すると、「天中殺よりある意味キツイ」と一部ではいわれている時期です。頑張っても結果が付いてこない、周りにどんどん追い抜かれる、心が折れそうになる、そんな時期。
「空回り」を迎える人はこんなの読んだらつらいかもしれないけど正体を知らずに怖がるよりは知って怖がったほうがいいと思うので続けますね。
私が思うに、空回りの年が天中殺と違うところは「まだ物語の途中」という点です。
「天中殺」がエンディングを迎えて次の物語に移る時期だとしたら、「空回り」は物語の最中で主人公のピンチ!!という感じです。
【アナと雪の女王】のストーリー展開と重ねてみると
実は空回りの年って物語の一番の山場(凹んでるけど)だったりするのではないかなと。
天中殺とは違い空回り運でやってくる試練には言葉は正しくないかもしれないけど、諦め悪く執着してほしいのです。
気持ちのすれ違いでエルサの力は暴走するしハンスは裏切るし、
次から次となんだよもう、な展開の中に「愛」への気づきが詰まっていて、ここで逃げてしまうと永遠に物語が終わらず、一生人生代り映えしねーな、が続くのではないかなと、個人的には思います。
ちょっと大げさに書きましたが、
頑張らなくていい試練と、ちょっと頑張らなきゃいけない試練ってあると思うのですが、試練の最中だとどっちもキツイからどっちがどっちかわからないんですよね。
そんなとき、運気の波を知っていると「きついけど、頑張りどころだな」と、その先を見据えて粛々と取り組むモチベーションにつながるのではないかな、と思いひと記事書いてみました。
頑張れない自分を責めないためにもね。
でもこれは絶対ですよ、というのが一つあって
体は大事にしてくださいね。
物語を終わらせるにも、物語を展開させるのにも、そこに「生きている自分」がいることが前提です。
季節感無視。