人の作文を読んで鼻で笑った国語教師 | きのこさんぽ。

きのこさんぽ。

6歳差男子兄弟に翻弄される母。昭和59年生まれ。
岡山在住。
長男きのすけ2015年うまれ
次男しめじ2020年うまれ

手相と四柱推命の鑑定も時々やってます。
(不定期募集)

こんにちは。


きのこです。


ご訪問いただきありがとうございますにっこり



中3に上がる前の春休みに、今まで貯めていたお年玉とお小遣いを全て使ってフランスはパリへ旅行へ行った。(今思うと大運が偏印に切り替わった時だった。)



最初は一人でいく、と息巻いていたが(←比肩)それはちょっと無理だろうと、実家住み社会人だった姉とその友人が引率という形で一緒にいくことになった。(姉←偏官)



初めての海外旅行、ヨーロッパ、12時間フライト、時差、よく分からない食事、意味わからない量のオニオングラタンスープ、一人で行くとイキッてたくせに何もしようとしない妹にイラつく姉、などのストレスで初日から胃を痛くした。姉が胃痛にならなかったのが不思議である。



胃痛と食欲不振を抱えながらも凱旋門やノートルダム寺院、美術館、ベルサイユ宮殿、蚤の市、可愛い雑貨屋さん、など、行ってみたかったところにも別にそうでなかったところにも一通り行くことができた。姉のコーディネートで。



忘れもしない最終日、胃の調子が悪すぎてずっと食事をまともにとれていなかったが、やっと体がパリ仕様になってきたのか【あれなら食べたい】というものを見つけた。



シテ島の公園で売っていたホットドックである。



フランス旅行で中学生だった私がまず驚いたのは、あらゆるパンが全て【フランスパン】だったことである。



サンドイッチもホットドックも柔らかいパンではなく、日本でフランスパンという名前で売られている堅い生地のパンにハムもチーズもソーセージも挟まれていた。

【フランスパン】という名称がイメージではなく事実に基づいたものだったと14歳の私は知った。そしてフランスパンはフランスではフランスパンと呼ばずただのパンだった。(長いやつはバゲット🥖)



堅いパン生地の消化の悪さも胃の不調に加担していたと思うが、その日はそれでもホットドックなら食べたい、と思えたのが嬉しくて、すぐに買って公園のベンチに座って食べた。



美味しかった。



美食の都の食事が貧乏舌と腹に合わずずっと辛かったが、パリ最終日に食べたパリパリの後にふわふわが来る生地に挟まれたパリっとした塩気の強いソーセージが死ぬほど美味しかった。パリなだけに。



これもまた無理と思いながら毎日飲んでいたエビアンの水が美味しく感じられるくらいの塩気が胃にしみた。



今まで食べたことのない美味しいホットドックに感動していたら、公園の隅に犬を散歩させているブラッドピットが居た。






!!!



いや、正しくはブラッドピット似のイケメン(一般人、おそらく)だがジョニーデップ宅があると噂のシテ島ならブラッドピット似のイケメンはもはやブラッドピットだろう。



美しい青い目、短髪の金髪と顎ひげ、日本の規格には無い頭身数、



とにかく格好良かった。



草刈正雄を初めてTVで見た日本人の感動もこんな感じだったのではないか。



ホットドックの美味しさも忘れ、このイケメンを目に脳に焼き付け日本に持ち帰る為、



じーーーーーーーーーーーー凝視🥖



と無遠慮に見つめていたら



ハロー👋



とこちらに気づいて手を振ってくれた。



!!驚き🥖!!



突然のファンサである。



私?私に手を振ってる?と戸惑いながら



驚き🥖はろう、、



と返した。



心臓がドカンドカンして一瞬にして口の中がカラカラに乾いた。一口、エビアンを口に含んだ。



そのままブラッドピットは犬を連れてどこかへ行ってしまった。



人生で一番美味しいと思ったホットドックは人生で一番のイケメンを見た時に食べていたホットドックになった。残りのホットドックを食べ終わったあとものすごく体が元気になっていた。



ブラッドピットが連れていた犬はまさに

ホットなドッグ🐕だったなあ

とうまいことを思いつくのはそれから25年経ってからである。

14歳当時の私にそんな余裕は無かった。




🥖




中3に上がってすぐの国語の授業で春休みの思い出だったか何だったか忘れたが、作文を書いて提出する課題があった。



初めての海外旅行、フランスは芸術の都パリにて凱旋門に行ったことも人垣越しにモナリザを観たことも書かずに、パリで死ぬほどうまいパリパリのホットドックを食べながらドッグを連れたブラッドピットにファンサをしてもらったことを書いた。



今まで読書感想文も日記も【書く】課題が苦手だったが、この時はとても楽しく書けた。



それを教壇に立ち私の目の前で読んだ若い男性の国語教師は



ぶふぅっ



と鼻から息をもらして笑った。



それが嬉しかった。

自分の書いた文章を読んで笑ってもらえたのが、ブラッドピットに手を振って貰った時ほどでは無かったかもしれないが嬉しかった。



あの嬉しさが忘れられなくて今も誰に頼まれたわけでもないのに毎日毎日ブログに駄文を垂れ流し、占いの鑑定書も無駄に長文を書いている、のかもしれない。



そしてその国語教師は今思い出したが岡山出身の人だった。

岡山=桃太郎くらいしか知らない関東の中学生にいつもからかわれていたが優しい先生だった。

当時は五条悟と同じくらいの歳、28歳くらいだったと思う。若いなあ。




私が人生の伴侶に岡山のブラッドピットを選んだのもこの出来事が頭の片隅に残っていたからかもしれない。(この件は読み流して下さって結構です)




どういうトリガーが発動したのかわからないが先日夢に当時の国語教師が出てきたのでこれを書いている。


夢の中で先生は限界突破×サバイバーの氷川きよしのような格好をしていた。

50代になった先生の今が限界突破しているのかが気になるところである。






まさかの最後はきーちゃんで締めとなります。



長文駄文お付き合いいただきありがとうございました。お疲れ様でした。