
僕は一時期ヴォーカルを本当に真剣にやっていました。
毎日毎日、夜になると近所の墓場で大声で歌ってましたね。
深夜の墓場は人がいなくて練習にもってこいです。
今日お話したいのは、僕がどうしてヴォーカルをやっていたのかということ。
そしてやめた理由。
そもそも僕は歌いたくてバンドを始めたんです。
そして、その最大のきっかけになったのは、
高校1年生のとき学園祭で見た同級生の演奏でした。
一生忘れないと思う。
あの時聞いたミスターチルドレンの『未来』。
曲そのものよりも、僕にとって衝撃だったのはそのコピーバンドのヴォーカルでした。
バンドの主役を握るそのポジションにふさわしい、
堂々として美しく力強いヴォーカル。
自分の感情だけではなく、客観性もある。でも彼と曲はリンクしている。
そんな最高の演奏でした。
僕はその日からヴォーカリストとしてあんな風に格好良く歌いたいと思うようになりました。
それから約三年間、真剣にヴォーカルとして努力したつもりですが、
全然追いつけなかった。それで僕はこのパートを離れました。
そうです。僕はヴォーカルを諦めたんです。
人生で唯一、本当に諦めたものかもしれません。
今なら、その程度でやめてしまうなんて論外だと思います。
でも当時は18歳。まだ僕も強くありませんでした。
卒業式の日、初めて僕はその彼に
「ずっと目標だったんだよ」
と打ち明けました。
それまで誰にも言ったことがない、僕だけの秘密でした。
残念ながら反応は覚えていません。
予想通り、なんのことだかわかっていなかったと思います。
だって、彼は軽音部でも何でもなかったから。
ヴォーカルとして日々練習をつんでいた人ではなかったから。
たまたま、学園祭で歌っただけの素人だったから。
僕の人生で唯一の挫折を与えた人間は、
ヴォーカリストじゃないヴォーカルだったんです。
音楽におけるステージングにはもちろん日々のたゆまない努力が前提にあります。
しかしそれによって培われた技術というのは、
演者の人間的魅力を伝える手段でしかありません。
人間的に魅力がないなら技術も無意味。
技術がないなら魅力は伝わらない。
練習だけしていても意味がない。
日々を生きなきゃ意味がない。
献身、幸福、快感、希望、愛、
苦労、絶望、挫折、嫉妬、怒り、
それらを敏感に感じながら生きていかなければ、
もっというなればありきたりではない、
他人が魅力的だと思ってくれるような生き方をしなければ、
きっとアーティストにはなれないんだと思います。
高校生の僕にはそれがわかっていなかった。
だから一度音楽を諦めたんです。
ちゃんと生きていなかったんでしょうね。
そして今。
当時の挫折やそれから経験した色々なことを全て力にしつつ僕は、
再び自分が「敵わない」と思えたヴォーカリストと
今度は一緒にステージに立っています。
これからも自分のやりたいように、人生をもっともっと面白く生きていこうと思っています。

まだまだまだまだ僕はつまらない男だ。全然足りない!
まあ自分の基準なんだけどね!
てなわけで、
めりーくりすます!\(^o^)/