とある練習の日…
「んー…はぁ…何時…」
昼頃、姫宮は目を覚まして起き上がって時計を見て寝ぐせのついた前髪を手ぐしで整えながら、鏡の前に立った。ぼんやりとした顔に、あの日の自分の言葉が、何度も何度もリフレインする。
『……うそ。泣いてたんでしょ? 薄塚さん』
『……あんた、嘘が下手ですよね……。』
姫宮の言葉を聞いた玲哉の顔は、ほんの一瞬だけ傷ついたように見えた気がした。
でもすぐに氷のような目になって「……放っといてよ」って突き放された。
「……言わなきゃよかった、あんな言い方…。静かに玲哉さんの隣にいればよかった…はぁぁぁ~~…」
(触れた指先に残ったのは、ひどく冷たい頬の感触。どれだけ長く、海辺にいたんだろう。もっと早く、見つけていればあの人が、あんな思いしなくてすんだのに。)
姫宮はもっと、違う言葉で伝えればよかったと後悔した
こうして準備し終わった姫宮はスマホ手に取って画面には、メンバーからの連絡がいくつか届いてた。けれど姫宮はそれを未読のまま、ポケットにしまって、心のざわめきが残ったまま、家を出てバイクのところまで足を運んだ
バイクのキーを回して、エンジン音が胸のざわめきをかき消してくれるような気がした。
(好きだからこそ気になるんだよ。どうでもいい人だったら、見てない。あんなに探さないよな…)
と姫宮はそう心の中で呟いて事務所へバイクを走らせながらあの時の事考えてた
(練習時間が被った日でも…目を合わせてくれないし、視線がすれ違うたびに、胸の奥がズキッとするのに…玲哉さんに避けられてるの、気づかないふりしてたけど…)
「うん、やっぱ…あんな言い方が悪いよな…避けられて当然だよ、」
事務所に着いた姫宮はバイクを止めて、エンジンを切ってまたがったまま、メット越しに深く息を吐く。ほんの少しのためらいが、鍵を抜く手を遅らせた。
(瀬良さんが、まだ玲哉さんの中にいるし俺なんかが好きって言っても、困らせるだけだよな…)
「気が重いな…今日やけに足が重たい…」
それでも姫宮は事務所の中に入ってレッスン室の外の前まで行った
「…居るかな、玲哉さん…」
そう呟きながら深く、息を吸ってそっとドアノブに手をかけて、練習所のドアを開けた瞬間、湿ったような空気と、音楽の断片が耳に飛び込んできた。中ではすでに何人かが動き始めていて、鏡の前には玲哉の姿もあった。
「おはようございます」
そう言った姫宮は自分で出した声が、思ったよりも軽かった。もっと沈んでると思ってたのに、案外、平気なふりはできてしまう。
(……ちゃんと、来てるんだ。よかった。)
視線の先に、玲哉の後ろ姿が見えた姫宮はそれだけで、少しほっとして、でもすぐに胸がつまった。でも姫宮は〝ここにいるのにもうずっと遠くにいる気がする〟というため息をした
「おー来たか虎珀。今日遅くねぇ?来るの」
そう言いながら来たのは同じグループのメンバー・黄華(おうか)だった
「…あ、黄華…、いや考え事しながら来たから…遅れちゃった…」
そう言って姫宮は黄華にニコッと笑った
「それに、虎珀に連絡したのに、なかなか既読すらつかないから心配だった」
黄華は心配そうに見つめた
「あー気づかなかったよ、ごめんごめん。さあ練習しようか」
黄華にそう言って練習を開始した。昨日と同じように、音が流れ始めて、体が自然に動き出す。
(…笑顔、忘れないようにしないと…ちゃんと笑って、タイミングも外さずに…)
姫宮はそう心の中で呟いていた。だが、ミスを何回もしてしまった
「はい、一旦休憩に入って?姫宮」
「おいおい、虎珀~!どうしたんだ?」
ダンス講師に練習を中断され、黄華はそう言いながら近づいた
「あぁ…ごめーん…なんか思ったより上手く動けなかった…」
あははっと姫宮は誤魔化して言った
「…大丈夫かよ?」
「大丈夫大丈夫。ごめんね?1回外の空気を吸いに行くね」
とだけ言って姫宮は屋上に向かった
「はぁぁあああ…何やってんだ…俺」
屋上に着いて姫宮は屋上の柵に手をつく
(練習に集中出来てると思ってたのに…)
「ほんとは集中出来なかったとおもうな…きっと…玲哉さんのことでいっぱいだと思う…」
そう言いながら姫宮は空を見上げる
「今は…練習に集中しなきゃ…」
〝よしっ〟と言ってレッスン室に戻った
「すみません…!もう大丈夫です。もうやれます」
講師と自分のグループと先輩グループに謝罪をして練習を再開した。その時の稲坂と愛美は姫宮の何かを勘付いていた
ーーー練習後ーーー
なんとか姫宮はミスがなく練習は上手く動けていた姫宮はふらりとスタジオを出て、自販機の前に立った。
「今度は上手く動けた…」
姫宮はそう言いながら小銭を取り出し、水を選ぶ。カチャン、とボトルが落ちる音が、やけに響いた。ボトルを取り出して、キャップを開ける。そのまま一口、水を流し込む。
「…はぁ…。今日も声かけられなかった…」
喉が冷えた感覚に少しだけ意識が戻った気がした。
だけど、胸のあたりだけは、まだ重いままだ。その時…
「姫ちゃん?」
背後から声がした。姫宮は振り返ると、静かに振り向くと、愛美が自販機の横に寄りかかるように立っていた。その目は冷たくて、でもどこか、黙って見ていられなかったって感じさせる視線だった。
「響…さん…」
(…また、この人……。なんで、こうタイミング良く現れるんだよ……)
姫宮の呼びかける声が、思ったよりかすれていた。
「姫ちゃん、水なんか買ってても、今のあんたの顔じゃ、何飲んでも苦いでしょ」
愛美は冷ややかに、けれどまっすぐに刺してくる言葉に、姫宮の喉がぎゅっと詰まる。
「……っ」
(言い返したいのに…喉が詰まって言えない…)
姫宮は愛美に言い返そうとしても、うまく声が出なくて、目を逸らした
(…やっぱり。目、逸らした。この子の素直になれないときの顔、何度も見てきた。今日のは……いつも以上に深刻やな…)
「……はぁ。ねぇ、いつまでそれ、続けるつもり?」
愛美の問いは、問いというよりも、ずっと見てきた上での“警告”のようだった。
「…はぁ?なんの事…?」
(いつもこの人…察してくるの、なんで?俺、顔に出てた?上手く、隠せたつもりなんだけど…)
愛美にそう言われた姫宮は思わずタメ語になってしまった
「練習の時、お前は上手くあの顔を隠せてたと思ってたでしょ、でも…俺は分かった。それに今“俺なんかが”って顔、ずっとしてる。言い訳にして、自分の気持ちから逃げてるだけじゃねぇの?」
愛美はじっと見つめながらそう言った
「……違う…っ!自分は、逃げてなんか……っ」
(やっぱこの人苦手だ…。ズバズバと言うから…)
「じゃあなんで、言わないの? 伝えないの?薄塚のこと、好きなんでしょ?」
愛美は遠慮なくズバズバと姫宮に言った
「…そ、それは…」
(そうだよ……好きだよ。好きだからこそ…言えないんだよ…)
姫宮はそう言いかけた瞬間、愛美が
「ねぇ、姫ちゃんってそんな子だったっけ?俺、ちゃんと向き合う子だと思ってたけど。今のあんた、ただの臆病者にしか見えねぇけど?」
とそう言ったあと、前髪を掻き上げた。
「……こっちだって、怖いんだよ…」
姫宮は震える声で、しっかりとそう言った。
逃げたいわけじゃない。ただ、本音を見せるのが怖かった。
「……だから、逃げてる、と?薄塚からも…自分の気持ちからも…」
(こいつ、完全に逃げてんな…でも俺が言わなきゃ…アイツもうギリギリなんだよ。
放っといたら、ほんとに壊れるしな…)
愛美そう言った後に大きなため息をついた
「し、仕方がないじゃん…っ!玲哉さんの中には、まだ瀬良さんがいる。
 俺なんかが“好き”だなんて言ったら、あの人を困らせるだけじゃねぇか…っ!」
(届かないってわかってる。だから、言わないでいたほうが、マシなんだ…)
そう言われて姫宮は怒鳴るような言い方をしてしまう
「……それ、本気で言ってる?姫宮」
(…はぁ。しかたねぇ…)
「じゃあ、あいつが壊れるの待ってろ。あんたなんもしねぇなら、それでいいじゃねぇ?」
愛美は突き放すような言い方をして姫宮を煽った
「……俺、そんなつもりじゃ……!」
(玲哉さんの顔、曇らせたくない。悲しませたくない。でも…)
姫宮は思わず、手にしていたボトルを強く握りしめた。
「じゃあ動けよ。ちゃんと、あんたの言葉でぶつかってやれよ…っ!」
姫宮の話を遮るように愛美は言い続けた。そのときだった。
少し離れたところから、足音が近づいてくる。
「……その通りだと思うよ?姫宮」
近づいたのは稲坂だった
「あ…稲坂さん…コイツになんか言ってくれよ…ずっと好きだって気持ちを隠す気なんだぜ?」
愛美は稲坂に呆れた声でそう言った
「うん、確かに伝えるのが怖いのは、わかる。でも……伝えなかったことって、一生、引きずるからな」
稲坂の声はいつも通り穏やかで、でも芯があった。その言葉が、姫宮の中の何かを確かに揺らす。
「アイツはちゃんと向き合える人だよ。言わなきゃ伝わらないけど、言ったらきっと…何か、変わるかもしれないかもだぜ?姫宮」
稲坂が言った後に愛美も優しい声でそう言って見つめた
(やっぱり、この人たち…なんでこんなに…)
「「……」」
姫宮はゆっくりと顔を上げた。愛美も稲坂も、何も言わずにただ、見ていた。
(俺なんかじゃ、無理かもしれない。でも…それでも、あの人が壊れるくらいなら、俺が……)
「……行ってきます」
今度の声は、震えていなかった。静かだけど、しっかり前を向いていた。
そして、姫宮が歩き出したその背中に。
「……姫ちゃんなら、いけるよ」
姫宮は振り返らずに、でも確かにその言葉を背に受け取って玲哉のところに行った
玲哉のもとへ向かうその一歩は、逃げていた自分に、さよならを告げる一歩でもあった。
「…稲坂さん、あの子上手く伝えるかな?」
「うーん…どうだろう…?っていうか…響…君はいつも強い言い方しか言わないのはだめだよ」
「えー?俺なりに言ったつもりだったのにぃ~!」
(でも…あの子にはああ言わないと動かないからね…♡)
「でも姫宮なら、大丈夫だろう…」
「そうだね。…でも、どうやってあいつの中の瀬良を無くすんだろうね」
「それはおじさんも分からないよ。まだ練習があるから、ほら、行くよ」
この場に残った稲坂と愛美はそんな話していた