施設の母 | 晴れ、時々・・・

施設の母

昨年の11月に施設に入居した母

骨折して入院した時よりかなり衰えている


ベッドから自力で起き上がれず

食事もドロドロの離乳食に近い状態で

スタッフの方の手をお借りして

全介護で暮らしている


普通ある程度ご自身のことが出来る方が

入居されるのに

入居する時点で全介護と言うのは異例だと思う


なので受け入れて下さった事が本当に有り難い



私や義妹が面会に行くと

スタッフの方が母をベッドから

抱き抱え車椅子に乗せてくれて

何とか顔を突き合わせて話をする


と言っても話すのは我々だけ

母の口からはほぼ何も言葉が出ず

ただ無表情に我々を見つめるだけ


「私が誰か分かる?」

母は頷く


でも私が話す事に殆ど反応は無い


しかし何らかの刺激を与えなきゃ!と

出来る限り最近あった出来事のあれこれを

大きな声でゆっくり話す



去年母が選手名鑑を持つほど大好きで

我が家で去年の夏母を預かった時も

テレビに向かい熱烈に応援していた

野球の阪神が日本一になった事も

母の中では もうどうでも良い事に

なってしまった



母の認知の進むスピードがもっと遅ければ

きっと大喜びしたに違いない


人生とは皮肉なものだとつくづく思う




と同時に私はふと昔観た映画を思い出す

『アデルの恋の物語』


イザベル・アジャニー扮する

著名な作家ヴィクトル・ユーゴーの娘アデル


彼女はイギリス軍中尉に一目惚れをし

今で言うストーカーまがいの事を繰り返す


彼は彼女の激しい愛を弄ぶかの様な

素振りを見せるものの

アデルはひたすら恋焦がれ 彼の赴任地まで

執拗に追い掛けて行く


そして最後 やっと彼が彼女の目の前に現れた時

既にアデルは狂人となり

見つめる彼の前を

ただ黙って通り過ぎて行くのだった


時既に遅し


実話の何とも悲しい映画だった




去年の年末長男夫婦と孫を連れて母に面会に行き

漸くいつもの見慣れた顔では無いから

母の目が少し大きく見開かれ

じーっと彼らを見ていた



また去年の年末 次男を連れて行った時は、彼が

「おばあちゃんに六甲おろし歌って聴かせて

あげたら 何か反応するかも?」

と提案してくれたが まぁ別に良いわと

取り敢えず次男を促し 母の手を撫でたり

握手したりしていたが

かなり力強く握り返して来たと彼は驚いていた



帰宅して息子がネットで調べてくれたのだが

人間死ぬ間際 最期の最後まで残っているのが

聴覚だそうだ


目を瞑ったまま 動かぬ身体であったとしても

聞こえているから呼び掛けてあげて下さい

とは聞いた事がある




先週行った時は

ホワイトボードに要所要所単語を書いて

母に語り掛けていたが


よし来週は

「六甲おろし」のYouTube聴かせて

私も一緒に歌ってみよう♪



笑われても良い


何かしら母から反応があれば

嬉しいじゃ無い^^







下は去年お稽古で作った正月飾り

今 母の部屋に飾っている