その世界が変わったあと、 日本はどこに立ったのか ― 1989年から1991年、世界と日本 ― | ミミカムdays!

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歴史探索・文明研究の記録

 

DOCUMENTARY SERIES
THIRD PERIOD – 24
 
その世界が変わったあと、
日本はどこに立ったのか
― 1989年から1991年、世界と日本が同時に変わり始めた ―
第三期-23では――

1962年。
ガガーリン。

1972年。
日中国交正常化。

1978年。
鄧小平訪日。

そして――

1991年。

ソ連が崩壊し、
冷戦が終わった。
しかし――

この1991年という年を、
日本から見てみると――

もう一つの
「終わり」が見えてくる。
その熱気は――

1989年に突然、
生まれたものではなかった。

1985年。
プラザ合意。

円高が進み、
日本経済は大きな転換を
迎えていた。

そして――
国内では、
新たな成長を求める動きが
強まっていった。
平成 平成
1989年。
平成元年。

昭和という
長い時代が終わった。

日本は――
新しい時代へ入った。

そして東京では――

土地も。
株も。
消費も。

上がり続けていた。
「日本は、これからも
豊かになり続ける」

そんな感覚が――

日本社会を
覆っていた。
23
1989年から1990年。

街には――
活気があった。

新しい店。
新しいビル。
新しい商品。

株価は上がり、
土地の価格も上がった。

日本は――

かつてないほどの
熱気に包まれていた。
bubble bubble
しかし――

その熱狂は、
永遠には続かなかった。
1989年。
昭和が終わった。

そして――

1990年。
日本の株価が急落した。
bubble bubble
まだ――

多くの人は、
それが日本の長い時代を
変えることになるとは
知らなかった。
1991 1991
そして――

テレビの画面には、
それまで日本人が
日常では見ることのなかった
光景が映し出されていた。

1990年。
湾岸危機。

そして――

1991年1月。
湾岸戦争。
1991 1991
夜のニュース。

炎上する夜空。
ミサイル。
戦車。
砂漠。

遠く離れた中東で
起きている戦争が――

テレビを通して、
日本の家庭の中へ
入ってきた。
23
1991年。
平成3年。

昭和から切り替わって
まだ間もない平成は――

まったく新しい時代の
入口に立っていた。
そして――

日本では、
バブル経済が終わり始めた。

世界では――

ソ連が消えようとしていた。
1991年。

日本では――
バブルの終わり。

世界では――
冷戦の終わり。
23
1989 → 1990 → 1991
三年のあいだに――

1989年。
昭和が終わった。


1990年。
株価が崩れ始めた。

1991年。
平成3年。
湾岸戦争が始まり、
バブルが終わりへ向かい、
世界では冷戦が終わった。
それぞれは――
同じ原因によって起きた
一つの出来事ではない。

しかし――

同じ時代に、
日本と世界で
「それまでの時代」が
終わり始めていた。
世界を東と西に分けていた
巨大な境界線が消えた。

そして日本でも――

「豊かさは、
これからも続く」

という感覚が、
少しずつ崩れていった。
世界が変わった。

日本も――
変わった。
では――

その新しい世界で、
日本はどこに立ったのか。

第1章|敵が消えたのに、なぜ日米同盟は残ったのか
― 冷戦の終わりと、日本の「その後」 ―
1991年12月。

ソ連が崩壊した。
23
1945年以降、
世界を東と西に分けていた
冷戦という大きな構造が――

終わった。
日本にとっても――

大きな変化だった。

戦後日本の安全保障を考えるうえで、
長く存在していた
「ソ連」という巨大な相手が
消えたからだ。
ならば――

冷戦が終わったのなら、
日米同盟も
役割を終えるのではないか。
敵が消えたのに――
なぜ、同盟は残ったのか。
しかし――

日米同盟は終わらなかった。

むしろ日本とアメリカは――

「冷戦後の同盟には、
どんな意味があるのか」

を考え始めた。
それまでの同盟は――

ソ連を中心とする
冷戦への対応という
明確な役割を持っていた。

しかし――

その相手が消えた。
だからこそ――

同盟そのものを終わらせるのではなく、
新しい時代の中で
その意味を作り直すことになった。
冷戦は――終わった。
しかし――
日本は、同盟を
手放さなかった。
では――
なぜだったのか。

第2章|湾岸戦争――日本は「世界」にどう関わるのか
― お金だけでは、国際社会に参加できない ―
1990年。

イラクがクウェートへ侵攻した。

そして――

1991年1月。
湾岸戦争が始まった。
23
日本では――

戦争の映像が
連日テレビで報道された。

日本から遠く離れた
中東で起きている戦争が――

日本人の生活の中へ
リアルタイムで入ってきた。
日本は――

多額の資金を拠出した。

しかし――

「それだけでいいのか」

という議論が起きた。
23
日本は――
平和国家として、
世界で何をするのか。
1991年。

停戦後、日本は
ペルシャ湾での
機雷掃海活動に
海上自衛隊を派遣した。

自衛隊にとって――

初めての本格的な
海外での活動の一つだった。
1991 19911991 1991
そして1992年。

PKO協力法が成立。

カンボジアなどへの
国際平和協力活動へと
つながっていく。
1992 1992
これは――

戦争をする国になる、
という単純な話ではない。

むしろ――

戦争をしない国が、
国際社会の中で
何をするのか。

その新しい問いだった。
冷戦が終わったことで――
日本は初めて、
「平和国家として
世界にどう関わるのか」
を、現実の問題として
考えることになった。

第3章|日本は、アメリカだけを見ていたのか
― 冷戦後、日本が向き合った「アジア」と「隣国」 ―
第三期-23では――

ソ連。
中国。
鄧小平。

そして――

日本と隣国との
「繋がり」を見てきた。
冷戦が終わったあと――

その繋がりは、
消えなかった。

むしろ――

経済や外交という形で、
さらに広がっていった。
Asia Asia
1990年代。

東南アジア。
中国。
ロシア。

冷戦後の日本は――

アメリカとの関係だけでなく、
周辺の国々との関係を
作り直そうとしていた。
日本企業は――

アジアへ進出していった。

工場。
物流。
貿易。
投資。

日本経済は――

アジアとの結びつきを
深めていった。
Asia Asia
そして――

2001年。

中国がWTOに加盟した。
Asia Asia
中国経済が成長するにつれて――

日本と中国の経済関係も
ますます深くなっていった。
安全保障では――
アメリカ。

経済では――
アジア。
しかし――

日本の外交は、
そんな単純な二択では
なかった。
日米同盟を維持しながら――

中国。
ロシア。
ASEAN。

そしてアジア全体との
関係を広げていく。
POST-COLD WAR JAPAN
日本は――

「西側か、アジアか」

という二択では
生きられなかった。
同盟。
外交。
貿易。
投資。

日本は複数の関係を
同時に抱える国に
なっていった。
そして――
その中でも特に重要だったのが、
「ロシアとの関係」だった。

第4章|ロシアは、なぜ「西側」とすれ違い始めたのか
― ソ連崩壊後の混乱と、日本が見ていたロシア ―
1991年。

ソ連が消えた。

そのあとに残されたロシアは――

国家と社会を
大きく作り直さなければ
ならなかった。
エリツィン政権。

経済の混乱。
社会の動揺。
国家制度の再構築。
ロシア ロシア
そして――

1994年。
チェチェン紛争が始まった。
 
1990年代のロシア。

ソ連という巨大な国家が消えたあと――

ロシアは、
自国そのものを
立て直さなければならなかった。
ロシア ロシア
その一方で――

NATOの東方拡大をめぐる問題などを通じ、
ロシアと西側との関係にも
少しずつ亀裂が生まれていった。
チェチェン問題も――

ロシア国内の問題である一方、
人権や安全保障をめぐって、
アメリカやヨーロッパでも
ロシアへの対応をめぐる議論を
生むことになった。
23
ソ連は消えた。

しかし――

「ロシアは、
この新しい世界で
どこに立つのか」
そして――

日本も、その問いから
無関係ではなかった。
日本政府は――

ロシアの改革を支援しながら、
北方領土問題を解決し、
平和条約を締結し、

日露関係を
正常な関係へ進めようとしていた。
23
1993年。

東京宣言。

日本とロシアは――

北方領土問題を解決し、
平和条約を締結するという
方向を確認した。
つまり――

冷戦が終わったあと、
日本はロシアを
ただ「旧ソ連」として
見ていたわけではなかった。
日本は――

新しいロシアとの
新しい関係を
作ろうとしていた。
しかし――
ロシアを取り巻く世界は、
日本が単独で決められるほど
単純ではなかった。

第5章|中国が変わる、日本の立ち位置も変わる
― 「隣国」だった中国が、巨大な経済国家になった ―
第三期-23では――

1978年。

鄧小平が日本を訪れた。

新幹線に乗り、
日本の近代化を
自らの目で見た。
23
それから――

中国は大きく変わっていった。
中国 中国中国 中国
2000年代。
2010年代。

中国経済は急速に拡大し――

日本にとって中国は、
「隣国」であるだけでなく、

巨大な貿易相手であり、
生産拠点であり、
市場でもある国になった。
中国 中国中国 中国
日本企業の工場。
中国の都市。
港湾。
物流。

日本と中国の経済は――

国境を越えて、
深く結びついていった。
中国 中国
しかし――

経済的な繋がりが
そのまま政治的な信頼を
意味するわけではなかった。
日中関係では――

歴史問題。
領土問題。
安全保障問題。

さまざまな摩擦も
生まれていった。
日米 日米 日米 日米
経済では――
繋がる。

安全保障では――
警戒する。
そして――

中国の台頭は、
日米同盟の意味にも
影響を与えていく。
日本は――

中国との経済的な関係を
簡単に切り離せない。

同時に――

安全保障では、
アメリカとの同盟を
より重要なものとして
位置づけるようになった。
JAPAN BETWEEN TWO REALITIES
日本は――

中国と経済で繋がりながら、

アメリカとの同盟を維持した。
対立していても――
繋がる。

繋がっていても――
警戒する。

それが、
冷戦後の日本が置かれた
複雑な現実だった。
そして――
その「二つの方向」は、
次第に一つの問題へ
集約されていく。

第6章|日米同盟は「冷戦の遺物」ではなかった
― 1990年代から9.11へ、同盟の意味が変わった ―
第1章で――

一つの疑問を残した。

冷戦が終わったのに――

なぜ、日米同盟は残ったのか。
その答えは――

1990年代から
少しずつ見えてくる。
23
1996年。

日米安全保障共同宣言。

冷戦後のアジア太平洋においても、
日米安全保障関係が
地域の平和と安定に重要であることが
確認された。
1997年。

新しい日米防衛協力のための
指針が策定された。
そして――

2001年9月11日。

世界を揺るがす
同時多発テロが起きた。
23
9.11。

冷戦とは違う場所から、
新しい脅威が現れた。

アメリカは――
テロとの戦いへ向かった。
日本も――

インド洋での補給活動などを通じて、
アメリカの活動を支援した。
23
ここで――

日米同盟が担う役割は
ソ連を相手にするためだけのものから、
冷戦後の新しい安全保障環境へと
広がっていった。
冷戦が終わったから――
同盟が消えたのではない。

同盟そのものが――
新しい時代に合わせて
姿を変えていった。
しかし――

その一方で、日本は
中国とも経済的に繋がり、
ロシアとも関係を作ろうとしていた。
つまり――

日本の冷戦後外交には、
一つではなく、
複数の方向があった。
アメリカとの同盟。
ロシアとの関係。
中国との経済関係。
アジアとの地域協力。
そして――
日本は、そのすべてを
同時に抱えていった。

最終章|日本は、どこに立ったのか
― 1991年から現在へ、日本が選び続けた道 ―
1991年。
ソ連が崩壊した。
冷戦が終わった。
23
そして日本では――

バブル経済が終わりへ向かい、
「豊かさは永遠に続く」という
感覚も崩れ始めた。
1991 — TWO ENDINGS
世界では――
冷戦の終わり。

日本では――
バブルの終わり。
 
1991〜1992年。
湾岸戦争。
機雷掃海。
PKO。
23
日本は――

「平和国家として
世界にどう関わるのか」という問いに
向き合い始めた。
1990年代。
日米同盟を維持しながら――

ロシア。
中国。
ASEAN。
23 23 23
周辺国との関係を
広げていった。
POST-COLD WAR JAPAN
日本は――
一つの方向だけを
見ていたわけではなかった。
2000年代。
中国が急速に成長し、
日本との経済的な結びつきも
深くなった。
23
一方で――

日米同盟は、
冷戦後の新しい安全保障環境の中で
役割を変えていった。
2010年代。
中国の存在感がさらに高まり、
米中関係にも
大きな変化が起きた。
日本は――

中国との経済関係を持ちながら、
日米同盟を安全保障の軸として
維持していった。
経済では――
繋がる。

安全保障では――
同盟を持つ。
2020年代。
世界は再び――

一つの大国だけでは
説明できない時代へ
向かっている。
130
第三期-22で見た――

一極世界の終わり。
中国の台頭。
ロシアとの対立。
そして――
多極化。
それらは――

1991年に突然、
現れたものではなかった。
1991 → 2020s
日本は――

日米同盟を維持しながら、

ロシアとも、中国とも、
アジアとも繋がろうとした。
それは――

冷戦が終わった世界で
日本が生きていくために
模索した一つの形だった。
では――

冷戦が終わったあと、
日本はどこに立ったのか。
 
日本は――

「どちらか一方」を
選んだだけではなかった。
日米同盟を維持しながら――

ロシアとも、
中国とも、
アジアとも繋がろうとした。
それは――

冷戦後の世界を生きるための、
日本自身の選択だった。
しかし――

その世界には、
もう一つの巨大な物語が
存在していた。
その物語を――

もう一度、
少しだけ時間を
巻き戻してみたい。
1957年。
スプートニク。
23
人類は初めて――
地球の外へ、
人工物を送り出した。
そして――
ガガーリン。
23
ケネディ。
23
アポロ。
23
月。
23
国家の競争は――

やがて、
地球の外へまで
広がっていった。
冷戦は――

地球だけではなく、

宇宙まで
競争の場所にした。
NEXT
THIRD PERIOD – 25
人類は、なぜ月を目指したのか

― 冷戦は、宇宙まで競争の場所にした ―