DOCUMENTARY SERIES
THIRD PERIOD – 3
アジアは、日本をどう見ていたのか
― 戦後日本とアジア、それぞれの記憶 ―
第三期-2では、
私たちは敗戦から立ち上がった日本の歩みを見つめてきた。
占領。
復興。
高度経済成長。
そして世界有数の経済大国への成長。
日本は、焼け野原から新しい時代を築き上げていった。
しかし――
その日本を見ていたのは、日本人だけではない。
同じ戦争を経験したアジアの国々にも、
それぞれ異なる歴史と記憶が残されていた。
ある国では、日本の復興を驚きをもって見つめた。
ある国では、戦争の記憶が長く語り継がれてきた。
そしてまた、
日本との新しい関係を築いていった国々もあった。
戦後日本は、
アジアからどのように見えていたのだろうか。
ここから私たちは、
日本という視点を少し離れ、
アジアそれぞれの視点から戦後を見つめ直していく。
私たちは敗戦から立ち上がった日本の歩みを見つめてきた。
占領。
復興。
高度経済成長。
そして世界有数の経済大国への成長。
日本は、焼け野原から新しい時代を築き上げていった。
しかし――
その日本を見ていたのは、日本人だけではない。
同じ戦争を経験したアジアの国々にも、
それぞれ異なる歴史と記憶が残されていた。
ある国では、日本の復興を驚きをもって見つめた。
ある国では、戦争の記憶が長く語り継がれてきた。
そしてまた、
日本との新しい関係を築いていった国々もあった。
戦後日本は、
アジアからどのように見えていたのだろうか。
ここから私たちは、
日本という視点を少し離れ、
アジアそれぞれの視点から戦後を見つめ直していく。
歴史は、一つではない。
同じ戦争を経験しても、残された記憶は国によって異なっていた。
同じ戦争を経験しても、残された記憶は国によって異なっていた。
第1章|アジアは、一つではなかった
― 戦後、それぞれが歩み始めた道 ―
敗戦から復興した日本を、
アジアの国々がどのように見ていたのかという視点へ歩みを進めてきた。
しかし、
「アジア」という言葉で、
すべてを一つに語ることはできない。
1945年。
日本が敗戦を迎えたその時、
アジアの国々もまた、
それぞれ異なる終戦を迎えていた。
独立へ向かった国。
内戦へ向かった国。
植民地支配から解放された国。
そして、
新しい国家づくりを始めた国。
同じ出来事を経験しても、
置かれていた状況は決して同じではなかった。
だからこそ、
戦後日本への見方も、
国ごとに大きく異なっていくのである。
アジアの国々がどのように見ていたのかという視点へ歩みを進めてきた。
しかし、
「アジア」という言葉で、
すべてを一つに語ることはできない。
1945年。
日本が敗戦を迎えたその時、
アジアの国々もまた、
それぞれ異なる終戦を迎えていた。
独立へ向かった国。
内戦へ向かった国。
植民地支配から解放された国。
そして、
新しい国家づくりを始めた国。
同じ出来事を経験しても、
置かれていた状況は決して同じではなかった。
だからこそ、
戦後日本への見方も、
国ごとに大きく異なっていくのである。
同じ1945年でも、
アジアには、それぞれ異なる「戦後」が始まっていた。
アジアには、それぞれ異なる「戦後」が始まっていた。
■ 日本の敗戦は、アジアにも大きな転換をもたらした
― 1945年という共通の節目 ―
1945年8月。
日本の敗戦によって、
第二次世界大戦は終結へ向かう。
しかし、
その出来事は日本だけではなく、
アジア各地にも大きな変化をもたらした。
長く続いた戦争は終わり、
それぞれの地域で新しい時代が始まろうとしていた。
日本の敗戦によって、
第二次世界大戦は終結へ向かう。
しかし、
その出来事は日本だけではなく、
アジア各地にも大きな変化をもたらした。
長く続いた戦争は終わり、
それぞれの地域で新しい時代が始まろうとしていた。
【画像】1945年9月2日 降伏文書調印式 (戦艦ミズーリ)
■ 戦後の歩みは、それぞれ違っていた
― 国によって異なる出発点 ―
終戦後、
アジアの国々は同じ未来を歩んだわけではなかった。
独立国家として歩み始めた地域。
新たな戦争へ向かった地域。
政治体制が大きく変わった地域。
復興に力を注いだ地域。
それぞれの歴史が異なれば、
社会の記憶も変わっていく。
戦後アジアは、
一つではなく、さまざまな道へ分かれていったのである。
アジアの国々は同じ未来を歩んだわけではなかった。
独立国家として歩み始めた地域。
新たな戦争へ向かった地域。
政治体制が大きく変わった地域。
復興に力を注いだ地域。
それぞれの歴史が異なれば、
社会の記憶も変わっていく。
戦後アジアは、
一つではなく、さまざまな道へ分かれていったのである。
【画像】戦後復興・独立・各国の街並みを象徴する実際の写真

■ 日本への記憶も、一つではなかった
― 国ごとに異なる歴史認識 ―
戦争の経験。
植民地支配。
経済交流。
文化交流。
こうした歴史の積み重ねによって、
日本への印象は国ごとに少しずつ異なっていった。
そのため、
「アジアは日本をこう見ていた」と、
一つの言葉で表すことはできない。
歴史には、
さまざまな視点が存在しているのである。
植民地支配。
経済交流。
文化交流。
こうした歴史の積み重ねによって、
日本への印象は国ごとに少しずつ異なっていった。
そのため、
「アジアは日本をこう見ていた」と、
一つの言葉で表すことはできない。
歴史には、
さまざまな視点が存在しているのである。
【画像】日本とアジア各国の交流を象徴する歴史写真
■ それぞれの記憶を見つめていく
― 歴史を一つずつ歩く ―
ここから先、
私たちは国ごとの歴史を歩いていく。
中国。
韓国。
台湾。
東南アジア。
同じ戦争を経験しても、
残された記憶は決して同じではない。
その違いを知ることは、
現在のアジアを理解する第一歩となる。
私たちは国ごとの歴史を歩いていく。
中国。
韓国。
台湾。
東南アジア。
同じ戦争を経験しても、
残された記憶は決して同じではない。
その違いを知ることは、
現在のアジアを理解する第一歩となる。
【画像】アジア各国の現在の風景を並べた写真(中国・韓国・台湾・東南アジア)

ASIA AFTER 1945
1945年
↓
終戦
↓
それぞれの戦後
↓
異なる歴史
↓
異なる日本観
DIFFERENT MEMORIES
アジアは、一つではなかった。
戦後の歩みも、それぞれ違っていた。
だからこそ、日本への記憶も一つではなかったのである。
戦後の歩みも、それぞれ違っていた。
だからこそ、日本への記憶も一つではなかったのである。
歴史は、見る場所によって姿を変える。
1945年。
日本は敗戦を迎えた。
しかし、アジアもまた、
新しい時代へ歩き始めていた。
それぞれの国は、
それぞれの歴史を歩んでいく。
その違いが、日本へのさまざまな記憶を生み出していったのである。
ここまで見てきたように、
戦後のアジアは決して一つではなかった。
国ごとに異なる歴史があり、
それぞれ異なる戦後を歩んでいた。
その中でも、日本と最も長く、
深い歴史的な関わりを持ってきた国の一つが中国である。
次章では、中国は戦後日本をどのように見つめ、
両国の関係はどのように変化していったのかを歩いていこう。
第2章|日本は「復興の国」として見られ始めた
― 驚異的な経済成長 ―
第1章では、
戦争が終わった直後、
アジアの多くの国々が、日本に対して複雑な思いを抱いていたことを見てきた。
植民地支配。
戦争。
独立。
それぞれの国には、それぞれの記憶が残されていた。
しかし、その後、
アジアの人々が見る日本の姿は、少しずつ変わり始める。
1960年代。
焼け野原だった日本は、
世界でも例を見ない速さで復興を遂げていた。
新幹線。
東京オリンピック。
大阪万博。
家電。
自動車。
世界へ広がる「Made in Japan」。
かつて戦争を経験した国は、
やがて「奇跡の復興」を成し遂げた国として、
アジアからも驚きをもって見つめられるようになっていく。
戦争が終わった直後、
アジアの多くの国々が、日本に対して複雑な思いを抱いていたことを見てきた。
植民地支配。
戦争。
独立。
それぞれの国には、それぞれの記憶が残されていた。
しかし、その後、
アジアの人々が見る日本の姿は、少しずつ変わり始める。
1960年代。
焼け野原だった日本は、
世界でも例を見ない速さで復興を遂げていた。
新幹線。
東京オリンピック。
大阪万博。
家電。
自動車。
世界へ広がる「Made in Japan」。
かつて戦争を経験した国は、
やがて「奇跡の復興」を成し遂げた国として、
アジアからも驚きをもって見つめられるようになっていく。
同じ日本でも、
時代が変われば、見え方も変わっていく。
時代が変われば、見え方も変わっていく。
■ 世界を驚かせた高度経済成長
― 焼け野原から経済大国へ ―
1950年代後半から1970年代にかけて、
日本経済は急速な成長を続けた。
工場は増え、
道路が整備され、
都市には高層ビルが建ち始める。
敗戦国だった日本は、
短期間で世界有数の工業国へと変貌していった。
この変化は、
アジア各国にも大きな驚きを与えることになる。
日本経済は急速な成長を続けた。
工場は増え、
道路が整備され、
都市には高層ビルが建ち始める。
敗戦国だった日本は、
短期間で世界有数の工業国へと変貌していった。
この変化は、
アジア各国にも大きな驚きを与えることになる。
【画像】1960年代の東京の街並みと建設ラッシュ

■ 新幹線が走った
― 世界最先端の高速鉄道 ―
1964年。
東京と大阪を結ぶ東海道新幹線が開業した。
時速200キロを超える高速鉄道は、
当時の世界でも最先端の技術だった。
海外から訪れた人々は、
時間通りに走る列車と、高い技術力に驚いた。
日本は、
「戦争の国」ではなく、
「技術の国」として知られ始めていく。
東京と大阪を結ぶ東海道新幹線が開業した。
時速200キロを超える高速鉄道は、
当時の世界でも最先端の技術だった。
海外から訪れた人々は、
時間通りに走る列車と、高い技術力に驚いた。
日本は、
「戦争の国」ではなく、
「技術の国」として知られ始めていく。
【画像】開業当時の0系新幹線と東京駅

■ 東京オリンピックが世界へ伝えた日本
― 復興を示した国際舞台 ―
1964年の東京オリンピックは、
戦後日本を世界へ紹介する大きな舞台となった。
新しい高速道路。
新幹線。
近代的な都市。
世界中のテレビ放送を通じて、
多くの人々が復興した日本の姿を目にした。
アジア諸国でも、
日本の変化は大きな話題となっていった。
戦後日本を世界へ紹介する大きな舞台となった。
新しい高速道路。
新幹線。
近代的な都市。
世界中のテレビ放送を通じて、
多くの人々が復興した日本の姿を目にした。
アジア諸国でも、
日本の変化は大きな話題となっていった。
【画像】1964年東京オリンピック開会式・国立競技場


■ 大阪万博が未来を映し出した
― 「日本の時代」を象徴した万国博覧会 ―
1970年。
大阪で日本初の万国博覧会が開催された。
世界中から集まった人々は、
日本の科学技術や産業の発展を目の当たりにする。
未来都市。
ロボット。
新しい生活。
日本は、
未来を創る国として注目され始めていた。
大阪で日本初の万国博覧会が開催された。
世界中から集まった人々は、
日本の科学技術や産業の発展を目の当たりにする。
未来都市。
ロボット。
新しい生活。
日本は、
未来を創る国として注目され始めていた。
【画像】大阪万博・太陽の塔・万博会場


■ 「Made in Japan」がアジアへ広がる
― 家電と自動車への憧れ ―
日本製のテレビ。
冷蔵庫。
洗濯機。
カメラ。
自動車。
日本製品は品質の高さで評価され、
アジア各国へも広がっていった。
「日本製なら安心できる。」
そんな評価が少しずつ生まれ、
日本はものづくりの国として存在感を高めていく。
冷蔵庫。
洗濯機。
カメラ。
自動車。
日本製品は品質の高さで評価され、
アジア各国へも広がっていった。
「日本製なら安心できる。」
そんな評価が少しずつ生まれ、
日本はものづくりの国として存在感を高めていく。
【画像】1960〜70年代の日本製家電


■ アジアが見た、新しい日本
― 戦争の記憶と、復興への驚き ―
かつて戦争を経験した国々も、
日本の急速な発展には強い関心を寄せていた。
戦争の記憶は残っている。
しかし同時に、
ここまで復興した日本への驚きや関心も広がっていく。
アジアの人々にとって日本は、
過去だけではなく、
未来を考える上でも無視できない存在になり始めていたのである。
日本の急速な発展には強い関心を寄せていた。
戦争の記憶は残っている。
しかし同時に、
ここまで復興した日本への驚きや関心も広がっていく。
アジアの人々にとって日本は、
過去だけではなく、
未来を考える上でも無視できない存在になり始めていたのである。
【画像】1970年代の東京・アジアからの旅行者

■ 日本の技術は、アジアにも影響を与え始めていた
― 新幹線が未来へのヒントとなった ―
1970年代になると、
日本の技術や産業は、
アジア各国からも大きな注目を集めるようになっていた。
1978年には、
中国の指導者・鄧小平が来日し、
東海道新幹線に乗車したことは、
その象徴的な出来事の一つとして知られている。
正確に走る列車。
高度な鉄道技術。
整備された社会インフラ。
戦後復興を遂げた日本の姿は、
近代化を進めようとしていたアジアの国々にとって、
未来を考える上での一つの参考ともなっていった。
その後、中国は改革開放を進め、
高速鉄道網の整備にも取り組み、
現在では世界最大規模の高速鉄道網を築くまでに発展している。
日本の復興は、
日本だけの出来事ではなく、
アジアの発展にも少なからず影響を与えていたのである。
日本の技術や産業は、
アジア各国からも大きな注目を集めるようになっていた。
1978年には、
中国の指導者・鄧小平が来日し、
東海道新幹線に乗車したことは、
その象徴的な出来事の一つとして知られている。
正確に走る列車。
高度な鉄道技術。
整備された社会インフラ。
戦後復興を遂げた日本の姿は、
近代化を進めようとしていたアジアの国々にとって、
未来を考える上での一つの参考ともなっていった。
その後、中国は改革開放を進め、
高速鉄道網の整備にも取り組み、
現在では世界最大規模の高速鉄道網を築くまでに発展している。
日本の復興は、
日本だけの出来事ではなく、
アジアの発展にも少なからず影響を与えていたのである。
【画像】1978年、来日した鄧小平が東海道新幹線に乗車している実際の写真
【画像】鄧小平が新日本製鐵・君津製作所視察の実際の写真
JAPAN'S ECONOMIC MIRACLE
高度経済成長
↓
新幹線
↓
東京オリンピック
↓
大阪万博
↓
Made in Japan
↓
アジアから見た「復興の国」
THE MIRACLE OF JAPAN
アジアが見ていた日本は、 少しずつ変わり始めた。
戦争の記憶だけではなく、 奇跡の復興を遂げた国としての姿も映り始めていた。
日本は、アジアにとって新しい時代を象徴する存在となっていったのである。
戦争の記憶だけではなく、 奇跡の復興を遂げた国としての姿も映り始めていた。
日本は、アジアにとって新しい時代を象徴する存在となっていったのである。
復興は、日本の評価を少しずつ変えていった。
新幹線が走った。
オリンピックが開かれた。
万博に世界が集まった。
日本製品は、海を越えて広がっていった。
アジアは、日本を「戦争の国」だけではなく、「復興の国」としても見始めていたのである。
ここまで見てきたように、
1960年代から1970年代にかけて、
日本は急速な経済成長を遂げ、
世界中から注目される存在となった。
アジアの国々も、
日本の技術や産業の発展に驚き、
新しい日本の姿を見つめ始めていく。
しかし、その評価は賞賛だけではなかった。
戦争の記憶が薄れることなく残る国々では、
日本への複雑な感情も同時に存在し続けていた。
次章では、「経済大国となった日本」と「消えなかった戦争の記憶」が、
アジアの中でどのように共存していたのかを見つめていこう。
第3章|戦争の記憶は消えなかった
― 発展する日本と残り続ける歴史認識 ―
第2章では、
高度経済成長によって、日本が「復興の国」として世界から注目されるようになったことを見てきた。
新幹線。
東京オリンピック。
大阪万博。
Made in Japan。
日本は、世界有数の経済大国へと成長していく。
しかし、
経済発展によって、すべての歴史が忘れられたわけではなかった。
アジアには、
戦争を経験したそれぞれの国に、それぞれ異なる記憶が残されていた。
中国。
韓国。
東南アジア。
歴史の受け止め方は、一つではない。
ここから私たちは、
アジア各地に残された戦争の記憶を見つめていく。
高度経済成長によって、日本が「復興の国」として世界から注目されるようになったことを見てきた。
新幹線。
東京オリンピック。
大阪万博。
Made in Japan。
日本は、世界有数の経済大国へと成長していく。
しかし、
経済発展によって、すべての歴史が忘れられたわけではなかった。
アジアには、
戦争を経験したそれぞれの国に、それぞれ異なる記憶が残されていた。
中国。
韓国。
東南アジア。
歴史の受け止め方は、一つではない。
ここから私たちは、
アジア各地に残された戦争の記憶を見つめていく。
同じ出来事でも、
見る場所が違えば、記憶もまた違っている。
見る場所が違えば、記憶もまた違っている。
■ 中国に残された記憶
― 抗日戦争という歴史 ―
中国では、
1937年以降の日中戦争は、
「抗日戦争」として歴史教育の中でも重要な位置を占めている。
戦争による被害や市民生活への影響は、
現在も博物館や記念館、教育などを通して伝えられている。
経済交流が進んだ時代になっても、
戦争の記憶は歴史の一部として受け継がれている。
1937年以降の日中戦争は、
「抗日戦争」として歴史教育の中でも重要な位置を占めている。
戦争による被害や市民生活への影響は、
現在も博物館や記念館、教育などを通して伝えられている。
経済交流が進んだ時代になっても、
戦争の記憶は歴史の一部として受け継がれている。
【画像】中国の抗日戦争・平和記念施設

■ 韓国に残された記憶
― 植民地時代の歴史 ―
韓国では、
1910年から1945年まで続いた日本統治時代が、近代史の重要な出来事として学ばれている。
独立運動。
文化。
教育。
社会。
こうした歴史は、現在も学校教育や記念施設などを通して受け継がれている。
そのため、日本への見方には、歴史的な背景が大きく影響している。
1910年から1945年まで続いた日本統治時代が、近代史の重要な出来事として学ばれている。
独立運動。
文化。
教育。
社会。
こうした歴史は、現在も学校教育や記念施設などを通して受け継がれている。
そのため、日本への見方には、歴史的な背景が大きく影響している。
【画像】韓国の独立記念館・歴史資料館・当時の写真

■ 東南アジアに残された記憶
― 国によって異なる戦争体験 ―
東南アジアでは、
日本軍の進出を経験した国が多く存在する。
しかし、
各国の歴史や戦後の歩みはそれぞれ異なっていた。
独立運動との関わりを重視する国。
占領時代の苦難を強く記憶する国。
日本との経済協力を重視する国。
アジアと一言で言っても、
戦争の記憶は決して一つではなかったのである。
日本軍の進出を経験した国が多く存在する。
しかし、
各国の歴史や戦後の歩みはそれぞれ異なっていた。
独立運動との関わりを重視する国。
占領時代の苦難を強く記憶する国。
日本との経済協力を重視する国。
アジアと一言で言っても、
戦争の記憶は決して一つではなかったのである。
【画像】シンガポール・戦争記念施設

■ 記憶は国ごとに違っていた
― 一つではない歴史認識 ―
戦争を経験した国々は、
それぞれ異なる歴史を歩んできた。
そのため、
日本に対する記憶も一様ではない。
歴史教育。
社会経験。
戦後の外交。
経済交流。
こうした様々な要素が重なり、それぞれの国独自の歴史認識が形成されてきた。
それぞれ異なる歴史を歩んできた。
そのため、
日本に対する記憶も一様ではない。
歴史教育。
社会経験。
戦後の外交。
経済交流。
こうした様々な要素が重なり、それぞれの国独自の歴史認識が形成されてきた。
【画像】アジア地図と各国の戦争記念施設を示すイメージ

■ 発展する日本と、残り続ける記憶
― 二つは同時に存在していた ―
高度経済成長によって、
日本は世界有数の経済大国となった。
一方で、
戦争を経験した国々では、
その時代の記憶も受け継がれていった。
つまり、
日本の経済発展への評価と、
戦争の歴史に関する記憶は、
互いに打ち消し合うものではなく、
同じ時代に並行して存在していたのである。
日本は世界有数の経済大国となった。
一方で、
戦争を経験した国々では、
その時代の記憶も受け継がれていった。
つまり、
日本の経済発展への評価と、
戦争の歴史に関する記憶は、
互いに打ち消し合うものではなく、
同じ時代に並行して存在していたのである。
【画像】現代の東京とアジアの平和記念施設を対比した写真

MEMORIES OF THE WAR
経済成長
↓
世界が日本を見る
↓
中国の記憶
↓
韓国の記憶
↓
東南アジアの記憶
↓
国によって異なる歴史認識
DIFFERENT MEMORIES
経済発展は、日本の姿を変えた。
しかし、戦争の記憶は、それぞれの国で異なる形のまま受け継がれていった。
アジアには、一つではない歴史の記憶が存在していたのである。
しかし、戦争の記憶は、それぞれの国で異なる形のまま受け継がれていった。
アジアには、一つではない歴史の記憶が存在していたのである。
歴史は、立場によって異なる記憶として残っていく。
日本は発展した。
世界は日本を見つめた。
しかし、戦争を経験した国々には、
それぞれ異なる記憶が残されていた。
歴史を理解するとは、一つではない記憶を知ることでもある。
ここまで見てきたように、
アジアに残る戦争の記憶は、
国ごとに異なる背景を持っている。
だからこそ、
日本を見る視点も一つではなかった。
しかし、
時代が進むにつれ、日本とアジアの関係は、
過去だけではなく未来へ向けても大きく変化していく。
次章では、「日本とアジアは、
どのように新しい関係を築いていったのか」を歩いていこう。
第4章|日本とアジアは再び結び付き始めた
― 経済と交流の時代へ ―
第3章では、
戦争の記憶は、
国や地域によって異なる形で受け継がれてきたことを見てきた。
中国。
韓国。
東南アジア。
同じ戦争を経験していても、
歴史の受け止め方は一つではなかった。
しかし、
歴史は過去だけで止まり続けたわけではない。
戦後、日本とアジアは、
少しずつ新しい関係を築き始めていく。
経済協力。
企業進出。
観光。
留学。
文化交流。
人々は再び行き来し、
国と国との結び付きは、
戦争の時代とは異なる姿へ変わっていった。
ここから私たちは、
戦後、日本とアジアがどのように新しい関係を築いていったのかを歩いていく。
戦争の記憶は、
国や地域によって異なる形で受け継がれてきたことを見てきた。
中国。
韓国。
東南アジア。
同じ戦争を経験していても、
歴史の受け止め方は一つではなかった。
しかし、
歴史は過去だけで止まり続けたわけではない。
戦後、日本とアジアは、
少しずつ新しい関係を築き始めていく。
経済協力。
企業進出。
観光。
留学。
文化交流。
人々は再び行き来し、
国と国との結び付きは、
戦争の時代とは異なる姿へ変わっていった。
ここから私たちは、
戦後、日本とアジアがどのように新しい関係を築いていったのかを歩いていく。
歴史は、過去を受け継ぐ。
そして、人々は新しい未来も築いていく。
そして、人々は新しい未来も築いていく。
■ 日本は経済協力を進めた
― ODAという新しい関わり ―
戦後、日本は経済復興を遂げると、
アジア各国への経済協力を拡大していった。
道路。
橋。
港湾。
発電所。
鉄道。
病院。
学校。
ODA(政府開発援助)を通じて、
日本は各国のインフラ整備や経済発展を支援していった。
日本企業で働く現地の人
日本語学校
日本食レストラン
アニメイベント
戦後の日アジア関係は、
協力という新しい形でも結ばれていくことになる。
アジア各国への経済協力を拡大していった。
道路。
橋。
港湾。
発電所。
鉄道。
病院。
学校。
ODA(政府開発援助)を通じて、
日本は各国のインフラ整備や経済発展を支援していった。
日本企業で働く現地の人
日本語学校
日本食レストラン
アニメイベント
戦後の日アジア関係は、
協力という新しい形でも結ばれていくことになる。
【画像】アジア各国で建設された橋・港・道路・鉄道など日本のODAを象徴する実際の写真
■ 日本企業がアジアへ広がった
― 工場と産業の発展 ―
高度経済成長を遂げた日本企業は、
アジア各国へ進出を始めた。
自動車。
家電。
電子機器。
部品工場。
現地での雇用も生まれ、
日本企業は各国の産業発展とも深く結び付いていく。
経済は、
国境を越えて互いに支え合う時代へ入っていった。
アジア各国へ進出を始めた。
自動車。
家電。
電子機器。
部品工場。
現地での雇用も生まれ、
日本企業は各国の産業発展とも深く結び付いていく。
経済は、
国境を越えて互いに支え合う時代へ入っていった。
【画像】アジア各国に進出した日本企業の工場・自動車工場・電子機器工場
■ 人々の交流も広がっていった
― 観光・留学・人的交流 ―
時代が進むにつれ、
国と国との交流は、
経済だけではなく人々の日常にも広がっていった。
観光旅行。
留学生。
姉妹都市。
国際交流。
ビジネス。
飛行機や新しい交通網の発達によって、
人々は以前より自由に行き来できるようになった。
アジアは、
少しずつ身近な存在になっていったのである。
国と国との交流は、
経済だけではなく人々の日常にも広がっていった。
観光旅行。
留学生。
姉妹都市。
国際交流。
ビジネス。
飛行機や新しい交通網の発達によって、
人々は以前より自由に行き来できるようになった。
アジアは、
少しずつ身近な存在になっていったのである。
【画像】国際交流の実際の写真
■ 日本文化もアジアへ広がった
― 新しい親しみが生まれる ―
経済だけではなく、
日本文化もアジアへ広がっていった。
アニメ。
漫画。
ゲーム。
音楽。
食文化。
日本語教育。
新しい世代は、
戦争を知らない時代の中で、
日本文化を身近な存在として受け入れていった。
国と国との関係には、
新しい交流の形が加わっていったのである。
日本文化もアジアへ広がっていった。
アニメ。
漫画。
ゲーム。
音楽。
食文化。
日本語教育。
新しい世代は、
戦争を知らない時代の中で、
日本文化を身近な存在として受け入れていった。
国と国との関係には、
新しい交流の形が加わっていったのである。
【画像】アニメイベント (2015/シンガポール)
■ 日本とアジアは新しい時代へ進んだ
― 協力と交流の積み重ね ―
戦争が終わってから数十年。
日本とアジアは、
経済。
技術。
教育。
観光。
文化。
人的交流を通して、
新しい関係を築いてきた。
過去の記憶を持ちながらも、
人々は未来へ向けた協力を積み重ねてきたのである。
日本とアジアは、
経済。
技術。
教育。
観光。
文化。
人的交流を通して、
新しい関係を築いてきた。
過去の記憶を持ちながらも、
人々は未来へ向けた協力を積み重ねてきたのである。
【画像】日本とアジア巨大な経済圏が動き始めた象徴的な写真

JAPAN AND ASIA RECONNECTED
戦後
↓
ODA・経済協力
↓
企業進出
↓
観光・留学
↓
文化交流
↓
新しいパートナーシップ
A NEW RELATIONSHIP
戦争の時代は終わった。
日本とアジアは、経済と人々の交流によって再び結ばれていった。
新しい関係は、過去と未来の両方を抱えながら築かれてきたのである。
日本とアジアは、経済と人々の交流によって再び結ばれていった。
新しい関係は、過去と未来の両方を抱えながら築かれてきたのである。
歴史は、対立だけではなく協力の積み重ねでも形づくられていく。
人々は再び行き来した。
企業が海を渡った。
若者が学び合った。
文化が国境を越えた。
日本とアジアは、過去を抱えながらも、新しい時代の関係を築き始めていたのである。
ここまで見てきたように、
戦後、日本とアジアは経済や人々の交流を通じて、
新しい関係を築いていった。
戦後、日本とアジアは経済や人々の交流を通じて、
新しい関係を築いていった。
しかし、
その関係は常に順調だったわけではない。
歴史認識や領土問題、政治的な立場の違いなど、
国と国との間には新たな課題も生まれていく。
国と国との間には新たな課題も生まれていく。
次章では、
「現在の日本とアジアは、どのような関係にあるのか」を見つめていこう。
「現在の日本とアジアは、どのような関係にあるのか」を見つめていこう。
第5章|戦後80年、日本とアジア
― 共に歩む時代へ ―
第4章では、
戦後、日本とアジアが、
経済協力や人々の交流を通して、
新しい関係を築いてきたことを見てきた。
ODA。
企業進出。
観光。
留学。
文化交流。
国と国との関係は、
戦争の時代から、
協力と交流の時代へと少しずつ変わっていった。
そして現在。
日本とアジアは、
経済だけではなく、
暮らしや文化の中でも深く結び付いている。
ここから私たちは、
戦後80年を迎えた現在の日本とアジアの姿を見つめていこう。
戦後、日本とアジアが、
経済協力や人々の交流を通して、
新しい関係を築いてきたことを見てきた。
ODA。
企業進出。
観光。
留学。
文化交流。
国と国との関係は、
戦争の時代から、
協力と交流の時代へと少しずつ変わっていった。
そして現在。
日本とアジアは、
経済だけではなく、
暮らしや文化の中でも深く結び付いている。
ここから私たちは、
戦後80年を迎えた現在の日本とアジアの姿を見つめていこう。
歴史は、過去を受け継ぐ。
そして、人々は新しい未来を共に築いていく。
そして、人々は新しい未来を共に築いていく。
■ アジアは互いに支え合う時代になった
― 経済は国境を越えてつながる ―
現在、
日本とアジアの経済は、
かつてないほど深く結び付いている。
ASEAN。
中国。
韓国。
台湾。
インド。
部品は複数の国で生産され、
製品は世界中へ届けられる。
一つの国だけでは成り立たない、
相互につながる経済が広がっているのである。
日本とアジアの経済は、
かつてないほど深く結び付いている。
ASEAN。
中国。
韓国。
台湾。
インド。
部品は複数の国で生産され、
製品は世界中へ届けられる。
一つの国だけでは成り立たない、
相互につながる経済が広がっているのである。
【画像】港湾・コンテナ・物流ネットワーク
■ サプライチェーンは一つにつながっている
― 世界のものづくりを支えるアジア ―
スマートフォン。
自動車。
半導体。
家電製品。
一つの製品には、
日本だけでなく、
多くのアジアの国々で作られた部品や技術が使われている。
現在の産業は、
国境を越えた協力によって支えられている。
自動車。
半導体。
家電製品。
一つの製品には、
日本だけでなく、
多くのアジアの国々で作られた部品や技術が使われている。
現在の産業は、
国境を越えた協力によって支えられている。
【画像】自動車工場・国際物流を象徴する実際の写真
■ 人々の交流はさらに広がった
― 観光・留学・ビジネス ―
現在では、
多くの人々が国境を越えて行き来している。
観光。
留学。
ビジネス。
技術交流。
国際会議。
飛行機によって数時間で移動できる時代となり、
日本とアジアは日常の中でも身近な存在となった。
多くの人々が国境を越えて行き来している。
観光。
留学。
ビジネス。
技術交流。
国際会議。
飛行機によって数時間で移動できる時代となり、
日本とアジアは日常の中でも身近な存在となった。
【画像】空港・観光地・留学生・ビジネス交流の実際の写真

■ 日本文化はアジアの日常へ広がった
― アニメ・食文化・エンターテインメント ―
日本文化も、
アジア各地へ広がっている。
アニメ。
漫画。
ゲーム。
和食。
日本語。
音楽。
それぞれの国の文化も日本へ届き、
人々は互いの文化に親しむようになった。
交流は、
経済だけではなく、
日常生活の中にも広がっているのである。
アジア各地へ広がっている。
アニメ。
漫画。
ゲーム。
和食。
日本語。
音楽。
それぞれの国の文化も日本へ届き、
人々は互いの文化に親しむようになった。
交流は、
経済だけではなく、
日常生活の中にも広がっているのである。
【画像】アニメイベント・和食・日本文化フェスティバル・アジア文化交流

■ 協力と課題は共に存在している
― 対立だけではない現在の姿 ―
現在の日本とアジアには、
歴史認識や安全保障など、
さまざまな課題も存在している。
一方で、
経済協力。
貿易。
観光。
留学。
文化交流。
こうしたつながりも、
今日まで積み重ねられてきた。
現在の日本とアジアは、
対立だけではなく、
協力と交流も続いているのである。
歴史認識や安全保障など、
さまざまな課題も存在している。
一方で、
経済協力。
貿易。
観光。
留学。
文化交流。
こうしたつながりも、
今日まで積み重ねられてきた。
現在の日本とアジアは、
対立だけではなく、
協力と交流も続いているのである。
【画像】ASEAN首脳会議・国際会議・人々の交流を象徴する写真
EIGHTY YEARS OF RELATIONSHIP
戦争
↓
復興
↓
記憶
↓
協力
↓
相互依存と交流
TOGETHER IN ASIA
歴史は、一つではない。
それぞれの国が、それぞれの記憶を持っている。
そして現在、日本とアジアは交流と協力を続けながら、未来へ歩んでいるのである。
それぞれの国が、それぞれの記憶を持っている。
そして現在、日本とアジアは交流と協力を続けながら、未来へ歩んでいるのである。
過去を知ることは、未来を考えるための第一歩となる。
戦争があった。
復興があった。
記憶は、それぞれの国に残った。
それでも、人々は再び交流を続けてきた。
戦後80年、日本とアジアは、過去を抱えながらも共に歩み続けている。
日本は、
1945年から復興を遂げた。
1945年から復興を遂げた。
しかし、
その歩みを見つめていたアジアには、
それぞれ異なる歴史と記憶がある。
その歩みを見つめていたアジアには、
それぞれ異なる歴史と記憶がある。
同じ出来事でも、
立つ場所が変われば、
見える歴史も変わる。
立つ場所が変われば、
見える歴史も変わる。
だからこそ、
戦後を理解するには、
一つの視点だけでは足りない。
戦後を理解するには、
一つの視点だけでは足りない。
1945年という年は、
日本だけでなく、
アジア全体の歴史を変えた年でもあった。
日本だけでなく、
アジア全体の歴史を変えた年でもあった。
そして、そのわずか六日前――
1945年8月9日。
長崎に投下された二発目の原子爆弾は、
人類を「核と共に生きる時代」へ導いていく。
長崎に投下された二発目の原子爆弾は、
人類を「核と共に生きる時代」へ導いていく。
次章(第三期-4)では、
「長崎と、二発目の原子爆弾が世界にもたらしたもの」を歩いていこう。
「長崎と、二発目の原子爆弾が世界にもたらしたもの」を歩いていこう。