DOCUMENTARY SERIES
THIRD PERIOD – 12
「核を持たない国」は、どう生きたのか
― 日本が選んだ「非核」と「核抑止」の共存 ―
第三期-11では――
核兵器を動かしていた、
巨大な国家システムを見てきた。
軍隊。
情報機関。
研究機関。
兵器産業。
基地。
予算。
同盟。
そして――
それらを結びつける、
巨大な安全保障システム。
核兵器を動かしていた、
巨大な国家システムを見てきた。
軍隊。
情報機関。
研究機関。
兵器産業。
基地。
予算。
同盟。
そして――
それらを結びつける、
巨大な安全保障システム。

TOKYO|AROUND 1950
戦後の東京。
人々は――
電車に乗り。
街を歩き。
働き。
買い物をしていた。
電車に乗り。
街を歩き。
働き。
買い物をしていた。
戦争は終わった。
しかし――
世界では、
核兵器をめぐる新しい時代が
始まっていた。
しかし――
世界では、
核兵器をめぐる新しい時代が
始まっていた。
そして日本は――
核兵器を持たない道を
選んでいく。
核兵器を持たない道を
選んでいく。

しかし――
ここで、
一つの疑問が生まれる。
核兵器を持たない。
それは――
一体、どうやって
国家の安全保障として
成立したのだろうか。
ここで、
一つの疑問が生まれる。
核兵器を持たない。
それは――
一体、どうやって
国家の安全保障として
成立したのだろうか。
THE JAPANESE PARADOX
核兵器を持たない。
↓
しかし――
核兵器が存在する世界で生きる。
↓
自国では核兵器を持たない。
↓
しかし――
核抑止を持つ同盟国と結びつく。
↓
核兵器の廃絶を求める。
↓
しかし――
核抑止を含む安全保障体制の中にいる。
日本の「非核」は――
核時代の外側にあったのではなかった。
↓
しかし――
核兵器が存在する世界で生きる。
↓
自国では核兵器を持たない。
↓
しかし――
核抑止を持つ同盟国と結びつく。
↓
核兵器の廃絶を求める。
↓
しかし――
核抑止を含む安全保障体制の中にいる。
日本の「非核」は――
核時代の外側にあったのではなかった。
むしろ――
「核を持たない」という選択そのものが、
核時代の中で作られていた。
「核を持たない」という選択そのものが、
核時代の中で作られていた。
第1章|日本は、なぜ核兵器を持たなかったのか
― 核兵器を経験した国が、冷戦の中で選んだ最初の選択 ―
1945年。
広島。
そして――
長崎。
日本は――
核兵器が都市に何をもたらすのかを、
世界で初めて経験した。
広島。
そして――
長崎。
日本は――
核兵器が都市に何をもたらすのかを、
世界で初めて経験した。

しかし――
戦争が終わったからといって、
核兵器が消えたわけではなかった。
戦争が終わったからといって、
核兵器が消えたわけではなかった。
1945年。
アメリカが核兵器を保有する。
1949年。
ソ連が原爆実験に成功する。
1950年代。
核軍拡競争が進む。
そして――
中国も核兵器開発へ進んでいく。
世界は――
「核兵器を持つ国」が増えていく時代へ入った。
アメリカが核兵器を保有する。
1949年。
ソ連が原爆実験に成功する。
1950年代。
核軍拡競争が進む。
そして――
中国も核兵器開発へ進んでいく。
世界は――
「核兵器を持つ国」が増えていく時代へ入った。
■ 日本は、核時代の外側にいたわけではない
むしろ――
日本は、
核時代の中心に近い場所にいた。
広島。
長崎。
そして戦後――
占領。
再軍備。
自衛隊。
日米関係。
冷戦。
日本の安全保障もまた――
核兵器が存在する世界の中で
組み立てられていった。
日本は、
核時代の中心に近い場所にいた。
広島。
長崎。
そして戦後――
占領。
再軍備。
自衛隊。
日米関係。
冷戦。
日本の安全保障もまた――
核兵器が存在する世界の中で
組み立てられていった。
つまり――
日本が選んだのは、
核兵器を保有する道ではなかった。
しかし――
核兵器を持たないという選択だけでは、
国家の安全保障は完成しなかった。
日本が選んだのは、
核兵器を保有する道ではなかった。
しかし――
核兵器を持たないという選択だけでは、
国家の安全保障は完成しなかった。
THE FIRST CHOICE
核兵器を持つ。
ではなく――
核兵器を持たない。
ではなく――
核兵器を持たない。
しかし――
核兵器を持たない国が、
核兵器を持つ大国が存在する世界で
どうやって安全を守るのか。
「持たない」だけでは、
国家の安全保障にはならなかった。
核兵器を持たない国が、
核兵器を持つ大国が存在する世界で
どうやって安全を守るのか。
「持たない」だけでは、
国家の安全保障にはならなかった。
■ では、誰が日本の安全を支えるのか
ソ連が核兵器を持つ。
中国も、やがて核兵器を持つ。
その世界で――
日本は、
核兵器を自ら保有しない。
中国も、やがて核兵器を持つ。
その世界で――
日本は、
核兵器を自ら保有しない。
では――
誰が、日本の安全を支えるのか。
誰が、日本の安全を支えるのか。

THE SAME DAY|SEPTEMBER 8, 1951
同じ1951年9月8日。
サンフランシスコでは――
平和条約が、
華やかな会場で署名された。
平和条約が、
華やかな会場で署名された。

そして――
同じ日、
別の場所では。
同じ日、
別の場所では。
SAN FRANCISCO|THE PRESIDIO
1951年9月8日|サンフランシスコ・プレシディオ
吉田茂、日米安全保障条約に署名。

この日の午前――
サンフランシスコの戦争記念オペラハウスでは、
日本と連合国による
サンフランシスコ平和条約の署名式が行われた。
サンフランシスコの戦争記念オペラハウスでは、
日本と連合国による
サンフランシスコ平和条約の署名式が行われた。
そして午後――
吉田茂は、
サンフランシスコのプレシディオにある
米陸軍第六司令部へ向かった。
吉田茂は、
サンフランシスコのプレシディオにある
米陸軍第六司令部へ向かった。
そこで行われたのが――
日米安全保障条約の署名だった。
日米安全保障条約の署名だった。
平和条約の署名式とは異なる場所で、
日本側は吉田茂が署名し、
アメリカ側も条約に署名した。
日本側は吉田茂が署名し、
アメリカ側も条約に署名した。
日本は――
主権回復への道を進む一方で、
アメリカとの安全保障関係を受け入れ、
選択していく道へ進んでいた。
主権回復への道を進む一方で、
アメリカとの安全保障関係を受け入れ、
選択していく道へ進んでいた。
同じ日。
しかし――
日本の戦後は、
「講和」と「安全保障」という
二つの選択によって形づくられていった。
しかし――
日本の戦後は、
「講和」と「安全保障」という
二つの選択によって形づくられていった。
THE FIRST DISCOVERY
日本が選んだのは――
自国の核兵器を持たない道だった。
自国の核兵器を持たない道だった。
そして同時に――
アメリカとの安全保障関係の中で、
自国の安全を確保する道を進むことだった。
アメリカとの安全保障関係の中で、
自国の安全を確保する道を進むことだった。
1951年9月8日。
日本は――
一つの条約によって、
戦争状態を終わらせる道を進み、
もう一つの条約によって――
アメリカとの安全保障関係を
持つ道へ進んでいった。
日本は――
一つの条約によって、
戦争状態を終わらせる道を進み、
もう一つの条約によって――
アメリカとの安全保障関係を
持つ道へ進んでいった。
ここで重要なのは――
この時点で、
現在のような「拡大抑止」が
完成していたわけではないということだ。
1951年の日米安全保障条約は、
日本に米軍が駐留することを認め、
米軍が日本の安全や極東の安全に寄与する
という構造を持っていた。
つまり――
この時点でまず成立したのは、
「アメリカとの安全保障関係」だった。
この時点で、
現在のような「拡大抑止」が
完成していたわけではないということだ。
1951年の日米安全保障条約は、
日本に米軍が駐留することを認め、
米軍が日本の安全や極東の安全に寄与する
という構造を持っていた。
つまり――
この時点でまず成立したのは、
「アメリカとの安全保障関係」だった。
そして――
その関係は、
冷戦と核軍拡の進展の中で
少しずつ意味を変えていく。
その関係は、
冷戦と核軍拡の進展の中で
少しずつ意味を変えていく。
THE JAPANESE CHOICE
日本が選んだのは――
核兵器を自国で保有しないこと。
核兵器を自国で保有しないこと。
そして同時に――
アメリカとの安全保障関係の中で、
自国の安全を確保する道を進むことだった。
アメリカとの安全保障関係の中で、
自国の安全を確保する道を進むことだった。
そして――
日本の「非核」という選択は、
ここから一つの問いを抱えることになる。
ここから一つの問いを抱えることになる。
核兵器を持たない。
しかし――
核兵器が存在する世界で、
どうやって安全を守るのか。
どうやって安全を守るのか。
第2章|日本は、なぜ「核の傘」の下に入った のか
― 核兵器を持たない代わりに、日本が選んだ安全保障の仕組み ―
ここで――
日本の戦後史を、
もう一度別の角度から見る必要がある。
第1章で見たように――
日本は、
自国で核兵器を保有する道を選ばなかった。
しかし――
「持たない」という選択だけでは、
国家の安全を守ることはできない。
日本の戦後史を、
もう一度別の角度から見る必要がある。
第1章で見たように――
日本は、
自国で核兵器を保有する道を選ばなかった。
しかし――
「持たない」という選択だけでは、
国家の安全を守ることはできない。
なぜなら――
1950年代以降の世界は、
核兵器を中心にした
冷戦の真っただ中へ入っていったからだ。
1950年代以降の世界は、
核兵器を中心にした
冷戦の真っただ中へ入っていったからだ。
ソ連。
核兵器。
長距離爆撃機。
弾道ミサイル。
そして――
アジアでも、
冷戦の緊張が続いていた。
その中で日本は――
自国で核兵器を保有するのではなく、
アメリカとの安全保障関係を
基盤としていった。
核兵器。
長距離爆撃機。
弾道ミサイル。
そして――
アジアでも、
冷戦の緊張が続いていた。
その中で日本は――
自国で核兵器を保有するのではなく、
アメリカとの安全保障関係を
基盤としていった。

■ 安全保障の意味が、少しずつ変わっていった
1950年代。
冷戦はさらに深まっていく。
アメリカとソ連は、
核兵器を増やしていった。
そして――
核兵器は単なる「強力な兵器」から、
相手に攻撃を思いとどまらせる
抑止力としての意味を
強く持つようになっていった。
冷戦はさらに深まっていく。
アメリカとソ連は、
核兵器を増やしていった。
そして――
核兵器は単なる「強力な兵器」から、
相手に攻撃を思いとどまらせる
抑止力としての意味を
強く持つようになっていった。
日本自身は――
核兵器を保有しない。
その代わりに――
自衛のための通常戦力を整え、
アメリカとの安全保障関係を維持し、
その抑止力を安全保障に組み込んでいった。
核兵器を保有しない。
その代わりに――
自衛のための通常戦力を整え、
アメリカとの安全保障関係を維持し、
その抑止力を安全保障に組み込んでいった。
つまり――
1951年に始まった
「アメリカとの安全保障関係」は、
冷戦の進展と核軍拡の中で――
次第に「核抑止を含む安全保障関係」へと
発展していった。
1951年に始まった
「アメリカとの安全保障関係」は、
冷戦の進展と核軍拡の中で――
次第に「核抑止を含む安全保障関係」へと
発展していった。
■ 「核の傘」という言葉
ここで――
後に日本の安全保障を語る上で
重要になる言葉が登場する。
「核の傘」。
後に日本の安全保障を語る上で
重要になる言葉が登場する。
「核の傘」。
これは――
日本が自ら核兵器を持つという意味ではない。
むしろ――
核兵器を持つアメリカとの同盟関係を通じて、
その核抑止力を含む安全保障上の力に
支えられる構造を指す言葉だった。
日本が自ら核兵器を持つという意味ではない。
むしろ――
核兵器を持つアメリカとの同盟関係を通じて、
その核抑止力を含む安全保障上の力に
支えられる構造を指す言葉だった。
ただし――
ここには、
歴史的に重要な注意がある。
ここには、
歴史的に重要な注意がある。
1951年の段階で――
現在と同じ意味での
「拡大抑止」が完成していたわけではない。
日米の安全保障関係は、
冷戦の変化とともに発展していった。
そして――
その後の核戦略と同盟関係の深化によって、
日本の安全保障における
アメリカの核抑止の意味が大きくなっていった。
現在と同じ意味での
「拡大抑止」が完成していたわけではない。
日米の安全保障関係は、
冷戦の変化とともに発展していった。
そして――
その後の核戦略と同盟関係の深化によって、
日本の安全保障における
アメリカの核抑止の意味が大きくなっていった。
THE EVOLUTION OF JAPAN'S SECURITY
1951年
アメリカとの安全保障関係
↓アメリカとの安全保障関係
冷戦の深化
↓核軍拡競争
↓日米安全保障関係の発展
↓アメリカの核抑止を含む
安全保障上の役割
↓安全保障上の役割
後に「拡大抑止」と呼ばれる
安全保障の枠組み
安全保障の枠組み

■ 「非核」と「核抑止」は、同時に存在した
ここで――
日本の戦後安全保障に、
一つの特徴が現れる。
日本は――
核兵器を持たない。
しかし――
核兵器が存在する世界から、
離れることもなかった。
日本の戦後安全保障に、
一つの特徴が現れる。
日本は――
核兵器を持たない。
しかし――
核兵器が存在する世界から、
離れることもなかった。
日本は――
核兵器を持たない。
そして――
核兵器の廃絶を求める。
同時に――
アメリカとの安全保障関係を維持する。
核兵器を持たない。
そして――
核兵器の廃絶を求める。
同時に――
アメリカとの安全保障関係を維持する。
THE NUCLEAR UMBRELLA PARADOX
日本は――
自国の核兵器を持たない。
しかし――
核兵器を持つアメリカとの同盟関係を通じて、
核抑止を含む安全保障環境に位置する。
自国の核兵器を持たない。
しかし――
核兵器を持つアメリカとの同盟関係を通じて、
核抑止を含む安全保障環境に位置する。
そして――
この構造が、
日本の戦後安全保障を
大きく特徴づけていった。
この構造が、
日本の戦後安全保障を
大きく特徴づけていった。
THE SECOND DISCOVERY
日本の「非核」は――
核兵器から完全に離れることではなかった。
核兵器から完全に離れることではなかった。
むしろ――
「自国では持たない」ことで、
核兵器が存在する世界の中に
独自の安全保障上の位置を作る道だった。
「自国では持たない」ことで、
核兵器が存在する世界の中に
独自の安全保障上の位置を作る道だった。
そして――
日本は、
この特殊な立場を
さらに明確な政治原則として
整理していくことになる。
日本は、
この特殊な立場を
さらに明確な政治原則として
整理していくことになる。

それが――
「非核三原則」だった。
核兵器を――
「持たない」。
「持たない」。
しかし――
日本の安全保障そのものは、
核兵器が存在する世界の中で
組み立てられていた。
日本の安全保障そのものは、
核兵器が存在する世界の中で
組み立てられていた。
第3章|日本は、なぜ「核を持たない」と決めたのか
― 第五福竜丸から「非核三原則」へ ―
日本は――
核兵器を自国で保有する道を
選ばなかった。
しかし1954年――
核兵器は、
もう一度日本の日常へ現れる。
核兵器を自国で保有する道を
選ばなかった。
しかし1954年――
核兵器は、
もう一度日本の日常へ現れる。
そして1954年。
核兵器は――
もう一度、
日本の日常へ戻ってくる。
核兵器は――
もう一度、
日本の日常へ戻ってくる。

1954|THE FIFTH LUCKY DRAGON
1954年3月1日。
太平洋。
ビキニ環礁。
ビキニ環礁。
アメリカが――
水爆「ブラボー」の
核実験を行った。
水爆「ブラボー」の
核実験を行った。

1954年3月1日|太平洋・ビキニ環礁
第五福竜丸。
静岡県焼津港所属の
遠洋マグロ漁船だった。
遠洋マグロ漁船だった。

その日――
爆心地から遠く離れた海上で操業中、
乗組員23人は
核実験による放射性降下物を受けた。
爆心地から遠く離れた海上で操業中、
乗組員23人は
核実験による放射性降下物を受けた。

同じ核兵器が――
今度は、
「戦争の中」ではなく、
「平和な日常」の中に現れた。
今度は、
「戦争の中」ではなく、
「平和な日常」の中に現れた。
ここが――
日本にとって重要だった。
日本にとって重要だった。
1945年。
広島。
長崎。
それは――
戦争の中で経験した核兵器だった。
しかし1954年には――
核実験による放射性降下物が、
戦争のない日本の生活へ入り込んだ。
広島。
長崎。
それは――
戦争の中で経験した核兵器だった。
しかし1954年には――
核実験による放射性降下物が、
戦争のない日本の生活へ入り込んだ。
核兵器は――
「戦争の記憶」だけではなく、
「今、生きている人々の問題」になった。
「戦争の記憶」だけではなく、
「今、生きている人々の問題」になった。
■ 第五福竜丸だけではなかった
しかし――
被害を受けたのは、
第五福竜丸だけではなかった。
被害を受けたのは、
第五福竜丸だけではなかった。
1954年末までに――
856隻の漁船から、
放射性物質による影響が報告された。
856隻の漁船から、
放射性物質による影響が報告された。
「核兵器」は――
もはや、
広島や長崎だけの記憶ではなかった。
もはや、
広島や長崎だけの記憶ではなかった。
魚。
漁師。
市場。
食卓。
漁師。
市場。
食卓。
核実験の影響は――
日本の日常へ入り込んできた。
日本の日常へ入り込んできた。

※856隻という数字は、
都立第五福竜丸展示館の資料による。
都立第五福竜丸展示館の資料による。
■ そして――海の向こうにも、人々がいた
ビキニ環礁の向こうには――
マーシャル諸島の人々が暮らしていた。
マーシャル諸島の人々が暮らしていた。

1946–1958|マーシャル諸島
核実験場となった島々。
アメリカは1946年から1958年まで、
マーシャル諸島で核実験を繰り返した。
マーシャル諸島で核実験を繰り返した。

1954年のCastle Bravoでは――
広範囲に放射性降下物が広がった。
広範囲に放射性降下物が広がった。
核実験は――
爆発した瞬間だけで終わるものではなかった。
爆発した瞬間だけで終わるものではなかった。
島を離れた人々。
戻ることのできなくなった故郷。
そして――
長く残った影響。
戻ることのできなくなった故郷。
そして――
長く残った影響。

核時代の被害は――
爆心地から遠く離れた場所にも、
広がっていた。
爆心地から遠く離れた場所にも、
広がっていた。
■ 核兵器への恐怖は、「社会の記憶」になった
1945年。
広島。
長崎。
そして1954年。
第五福竜丸。
核実験。
放射性降下物。
広島。
長崎。
そして1954年。
第五福竜丸。
核実験。
放射性降下物。
THE JAPANESE MEMORY
1945年
広島・長崎
↓
1954年
第五福竜丸
↓
核実験。
放射性降下物。
漁業。
食卓。
↓
核兵器への不安が、
日本社会の日常へ入り込んだ。
広島・長崎
↓
1954年
第五福竜丸
↓
核実験。
放射性降下物。
漁業。
食卓。
↓
核兵器への不安が、
日本社会の日常へ入り込んだ。
そして――
日本の「非核」は、
単なる軍事政策としてだけではなく――
戦争と核兵器を経験した社会の中で、
形成されていくことになる。
日本の「非核」は、
単なる軍事政策としてだけではなく――
戦争と核兵器を経験した社会の中で、
形成されていくことになる。
■ そして1967年――日本は境界線を言葉にした
1954年から――
時間が流れた。
時間が流れた。
世界では――
アメリカ。
ソ連。
イギリス。
フランス。
中国。
核兵器を持つ国が存在する時代になっていた。
アメリカ。
ソ連。
イギリス。
フランス。
中国。
核兵器を持つ国が存在する時代になっていた。
日本は――
その核時代の中で、
アメリカとの安全保障関係を維持していた。
その核時代の中で、
アメリカとの安全保障関係を維持していた。
しかし同時に――
日本社会には、
核兵器への強い拒否感が存在していた。
日本社会には、
核兵器への強い拒否感が存在していた。
そして1967年。
佐藤栄作首相は――
日本の核政策について、
三つの原則を示した。
佐藤栄作首相は――
日本の核政策について、
三つの原則を示した。
THE THREE NON-NUCLEAR PRINCIPLES
持たず。
作らず。
持ち込ませず。
作らず。
持ち込ませず。
日本は――
核兵器を保有しない。
核兵器を製造しない。
そして――
核兵器を日本に持ち込ませない。
核兵器を保有しない。
核兵器を製造しない。
そして――
核兵器を日本に持ち込ませない。
ここで――
1954年から続いてきた
一つの流れが、
政治的な言葉を持つ。
1954年から続いてきた
一つの流れが、
政治的な言葉を持つ。
広島。
長崎。
第五福竜丸。
核実験。
放射性降下物。
そして――
「核を持たない」という
日本独自の境界線。
長崎。
第五福竜丸。
核実験。
放射性降下物。
そして――
「核を持たない」という
日本独自の境界線。
THE THIRD DISCOVERY
日本の「非核」は――
1967年に突然生まれたものではなかった。
1967年に突然生まれたものではなかった。
1945年の被爆経験。
1954年の第五福竜丸。
核実験への社会的不安。
そして冷戦下の安全保障。
それらが重なりながら――
日本は「核を持たない」という
政治的な境界線を形にしていった。
1954年の第五福竜丸。
核実験への社会的不安。
そして冷戦下の安全保障。
それらが重なりながら――
日本は「核を持たない」という
政治的な境界線を形にしていった。
そして――
日本は、
「核を持たない国」としての
立場を固めていく。
「核を持たない国」としての
立場を固めていく。
しかし――
「核を持たない」とは、
「核技術から離れる」
という意味ではなかった。
「核技術から離れる」
という意味ではなかった。
では――
日本は、
核兵器を作り得る能力を持つようになった後も、
なぜ核保有を選ばなかったのか。
核兵器を作り得る能力を持つようになった後も、
なぜ核保有を選ばなかったのか。
第4章|豊かになった日本は、なぜ核を持たなかったのか
― 「持てなかった」から「持たなかった」へ。能力と国家の選択 ―
1945年の日本は――
核兵器を持つかどうかを考える以前に、
国そのものを立て直す必要があった。
核兵器を持つかどうかを考える以前に、
国そのものを立て直す必要があった。
しかし――
ここで重要なのは、
1945年直後だけではない。
ここで重要なのは、
1945年直後だけではない。
戦後日本は――
復興した。
産業を育てた。
科学技術を発展させた。
そして――
世界有数の経済力を持つ国になっていく。
復興した。
産業を育てた。
科学技術を発展させた。
そして――
世界有数の経済力を持つ国になっていく。

すると――
問いは変わる。
「持てなかった」のか。
それとも――
「持たなかった」のか。
問いは変わる。
「持てなかった」のか。
それとも――
「持たなかった」のか。
■ 「能力」と「選択」は、同じではない
日本には――
高度な工業力があった。
科学技術も発展した。
原子力研究も進んだ。
高度な工業力があった。
科学技術も発展した。
原子力研究も進んだ。

つまり――
戦後の日本は核兵器開発につながり得る高度な科学・技術・産業基盤を持つ国へ成長していった
戦後の日本は核兵器開発につながり得る高度な科学・技術・産業基盤を持つ国へ成長していった
説明することはできない。
しかし――
核兵器を作り得る能力を持つことと、
実際に核兵器を保有することは、
別の問題だった。
核兵器を作り得る能力を持つことと、
実際に核兵器を保有することは、
別の問題だった。
では――
なぜ、日本は
核保有という道を選ばなかったのか。
なぜ、日本は
核保有という道を選ばなかったのか。
そこには――
広島・長崎の経験。
第五福竜丸を含む
核被害の記憶。
戦後の平和主義。
国内政治と社会の意識。
そして――
日米同盟を中心とした安全保障環境。
広島・長崎の経験。
第五福竜丸を含む
核被害の記憶。
戦後の平和主義。
国内政治と社会の意識。
そして――
日米同盟を中心とした安全保障環境。
つまり――
日本の非核政策は、
一つの理由だけでは説明できない。
日本の非核政策は、
一つの理由だけでは説明できない。
ABILITY → CHOICE
戦後復興
↓経済力・科学技術の発展
↓原子力技術の利用
↓核兵器を保有する能力と、
核兵器を保有する意思を分ける
↓核兵器を保有する意思を分ける
「持たない」という国家の選択
■ 核兵器を拒みながら、原子力は利用した
ここには――
もう一つの特徴がある。
もう一つの特徴がある。

日本は――
核兵器を持たない。
しかし――
原子力そのものを拒絶したわけではなかった。
核兵器を持たない。
しかし――
原子力そのものを拒絶したわけではなかった。
原子力発電。
原子力研究。
核燃料。
そして――
原子力の平和利用。
原子力研究。
核燃料。
そして――
原子力の平和利用。

つまり――
「核兵器」と「原子力技術」を、
同じものとして扱うのではなく――
目的の違いによって分けて考えた。
「核兵器」と「原子力技術」を、
同じものとして扱うのではなく――
目的の違いによって分けて考えた。
ここで重要なのは――
日本の原子力史を詳しく説明することではない。
日本の原子力史を詳しく説明することではない。
重要なのは――
核兵器を持たないという政策と、
核関連技術を利用する能力は、
両立した。
核兵器を持たないという政策と、
核関連技術を利用する能力は、
両立した。
■ そして「非核」は、国際的な枠組みへ入っていく
1968年。
核兵器不拡散条約――
NPTが署名開放された。
核兵器不拡散条約――
NPTが署名開放された。
日本は――
1970年に署名。
そして1976年――
NPTを批准した。
1970年に署名。
そして1976年――
NPTを批准した。
ここでも――
NPTがあったから、
日本が非核を選んだ。
という単純な順序ではない。
NPTがあったから、
日本が非核を選んだ。
という単純な順序ではない。

戦後日本の国家像。
核兵器への社会的記憶。
国内政治。
日米同盟。
そして――
国際的な核不拡散体制。
核兵器への社会的記憶。
国内政治。
日米同盟。
そして――
国際的な核不拡散体制。
それらが重なりながら――
日本の「核を持たない」という位置は、
国内外で固まっていった。
日本の「核を持たない」という位置は、
国内外で固まっていった。
THE FOURTH DISCOVERY
日本が核兵器を持たなかったのは――
「持てなかったから」だけではなかった。
「持てなかったから」だけではなかった。
日本は経済力と科学技術を高めた後も――
核兵器を持たないという選択を、
戦後の国家像の一部として
形作っていった。
核兵器を持たないという選択を、
戦後の国家像の一部として
形作っていった。
そして――
ここで、問いは最後の段階へ進む。
日本は――
核兵器を持たない。
核兵器を持たない。
しかし――
核兵器を持つ大国が存在する世界で、
国家の安全をどう守るのか。
核兵器を持つ大国が存在する世界で、
国家の安全をどう守るのか。
では――
日本は、核を持たずに
どうやって安全を守ったのか。
どうやって安全を守ったのか。
第5章|「非核」と「核の傘」は、どう共存したのか
― 核兵器を持たない日本が、核兵器の存在する世界で作った安全保障 ―
第4章までで――
日本が選んだ「非核」は、
一つの理由だけから生まれたものではなかった。
日本が選んだ「非核」は、
一つの理由だけから生まれたものではなかった。
しかし――
ここまでの話を、
一つの構造として見ると――
ここまでの話を、
一つの構造として見ると――
THE JAPANESE SECURITY STRUCTURE
① 日本自身
自衛隊
通常防衛
自衛隊
通常防衛
+
② 日米同盟
安全保障協力
米軍の前方展開
安全保障協力
米軍の前方展開
+
③ 拡大抑止
通常戦力
核戦力を含む抑止
通常戦力
核戦力を含む抑止
↓
④ 日本の安全保障
※これは、戦後日本の安全保障を
単純化して示した概念図です。
単純化して示した概念図です。
つまり――
日本は、
自国の核兵器だけで安全を守るのではなく――
通常防衛と同盟、
そして拡大抑止を組み合わせることで、
安全保障を構築していった。
日本は、
自国の核兵器だけで安全を守るのではなく――
通常防衛と同盟、
そして拡大抑止を組み合わせることで、
安全保障を構築していった。
■ 「非核」と「核抑止」は、矛盾しなかった
ここで――
このシリーズの大きな疑問が、
一つの形になる。
このシリーズの大きな疑問が、
一つの形になる。
THE JAPANESE PARADOX
日本自身は、
核兵器を持たない。
しかし――
通常防衛。
日米同盟。
米軍の前方展開。
拡大抑止。
日本は――
核戦力を含む抑止が存在する
安全保障環境の中で、
「核兵器を持たない国」として
国家を運営してきた。
核兵器を持たない。
しかし――
通常防衛。
日米同盟。
米軍の前方展開。
拡大抑止。
日本は――
核戦力を含む抑止が存在する
安全保障環境の中で、
「核兵器を持たない国」として
国家を運営してきた。
つまり――
「非核」と「拡大抑止」は、
同じものではない。
日本は自ら核兵器を保有しない。
一方で――
核抑止を含む同盟環境の中に位置する。
「非核」と「拡大抑止」は、
同じものではない。
日本は自ら核兵器を保有しない。
一方で――
核抑止を含む同盟環境の中に位置する。
それは――
「核を持たない」ことと、
「核兵器の存在する世界で安全を確保する」ことを、
別々の問題として組み合わせた構造だった。
「核を持たない」ことと、
「核兵器の存在する世界で安全を確保する」ことを、
別々の問題として組み合わせた構造だった。
■ そして――その中で、人々は普通に暮らしている
安全保障を語るとき――
私たちはつい、
国家。
軍隊。
基地。
兵器。
同盟。
そうした「大きなもの」だけを見る。
私たちはつい、
国家。
軍隊。
基地。
兵器。
同盟。
そうした「大きなもの」だけを見る。
しかし――
その安全保障の中で
暮らしているのは――
「国家」だけではない。
その安全保障の中で
暮らしているのは――
「国家」だけではない。

2020年代|日本
日本の夜は、いつも通り続いている。
街には――
灯りがともり。
人々が帰宅し。
店が営業し。
車が走る。
灯りがともり。
人々が帰宅し。
店が営業し。
車が走る。
日本の街の日常は――
こうした安全保障環境と
無関係に存在しているわけではない。
こうした安全保障環境と
無関係に存在しているわけではない。
その安全保障環境の中で――
人々は、「普通の日常」を生きている。
人々は、「普通の日常」を生きている。

■ これが、日本の「国家モデル」だった
ここまでを――
一つにまとめてみよう。
一つにまとめてみよう。
THE JAPANESE MODEL
自国では核兵器を持たない
↓
通常防衛を整える
↓
日米同盟を維持する
↓
拡大抑止を含む
安全保障環境の中に位置する
安全保障環境の中に位置する
↓
核を持たないまま、
核時代を生きる
核時代を生きる
THE FIFTH DISCOVERY
日本の戦後とは――
「核を持たなかった歴史」だけではなかった。
「核を持たなかった歴史」だけではなかった。
それは――
自国では核兵器を保有せず、
通常防衛を整え、
同盟と拡大抑止の中で、
核時代を生きる国家モデルを作った歴史でもあった。
自国では核兵器を保有せず、
通常防衛を整え、
同盟と拡大抑止の中で、
核時代を生きる国家モデルを作った歴史でもあった。
日本は――
核時代の外側へ出たのではない。
核兵器を自国では持たず、
通常防衛と同盟と拡大抑止が存在する
安全保障環境の中で――
通常防衛と同盟と拡大抑止が存在する
安全保障環境の中で――
一つの国家の位置を作った。
そして――
日本の街では、
今日も灯りがともる。
今日も灯りがともる。
人々が帰宅し、
店が営業し、
車が走る。
店が営業し、
車が走る。
核兵器を持たない国の「日常」は、
核兵器が存在する世界の中にある。
核兵器が存在する世界の中にある。
では――
核を持つ国は、
なぜ持ったのか。
なぜ持ったのか。
核を持たない国は、
なぜ持たなかったのか。
なぜ持たなかったのか。
そして――
一度核を持った国が、
なぜそれを手放すことができたのか。
なぜそれを手放すことができたのか。
その答えを知るには――
もう一度、
日本から世界へ戻らなければならない。
日本から世界へ戻らなければならない。