DOCUMENTARY SERIES
THIRD PERIOD – 4.5
原爆のあと、日本はどう動いたのか
― 8月6日から、敗戦を受け入れるまで ―
長崎に二発目の原爆が落ちた。
しかし、
その日、日本で起きていたことは
それだけではなかった。
日本の運命を決める、数日間が始まっていた。
しかし、
その日、日本で起きていたことは
それだけではなかった。
日本の運命を決める、数日間が始まっていた。
ここから、視点を変える。
長崎の爆心地から――
日本全体へ。
1945年8月6日。
広島。
8月8日。
ソ連が日本に宣戦。
8月9日。
長崎への原爆投下と、
ソ連軍の満州侵攻。
そして――
8月15日。
日本の人々は、
戦争の終わりを知ることになる。
長崎の爆心地から――
日本全体へ。
1945年8月6日。
広島。
8月8日。
ソ連が日本に宣戦。
8月9日。
長崎への原爆投下と、
ソ連軍の満州侵攻。
そして――
8月15日。
日本の人々は、
戦争の終わりを知ることになる。
AUGUST 6 — AUGUST 15, 1945
広島。
↓
ソ連参戦。
↓
長崎。
↓
満州。
↓
降伏。
↓
ソ連参戦。
↓
長崎。
↓
満州。
↓
降伏。
わずか数日の間に、日本を取り巻く状況は大きく変わった。
1945年8月9日。
長崎に二発目の原子爆弾が落ちた。
しかし――
日本の戦争は、まだ終わっていなかった。
ここから、敗戦を受け入れるまでの
「日本の数日間」を見ていく。
「日本の数日間」を見ていく。

第1章|広島のあと、日本は何を知ったのか
― 原爆は、すぐに「終戦」をもたらしたのか ―
8月9日、長崎のあとから始まった
「数日間」に視点を移した。
では、その数日前――
広島に原爆が落ちたあと、日本では何が起きていたのだろうか。
1945年8月6日。
広島に原子爆弾が投下された。
しかし、東京にいた人々が、
その瞬間からすべてを理解したわけではなかった。
「数日間」に視点を移した。
では、その数日前――
広島に原爆が落ちたあと、日本では何が起きていたのだろうか。
1945年8月6日。
広島に原子爆弾が投下された。
しかし、東京にいた人々が、
その瞬間からすべてを理解したわけではなかった。
広島で起きたことを、
日本はすぐには正確に知ることができなかった。
そして――
戦争は、まだ続いていた。
日本はすぐには正確に知ることができなかった。
そして――
戦争は、まだ続いていた。
■ 8月6日、広島から届いた異常な情報
― 「新型爆弾」という最初の認識 ―
1945年8月6日。
広島で、これまでにない規模の爆発が起きた。
しかし、その直後から
日本政府は、広島で起きた異常な破壊の全体像は、すぐには把握できなかった。
広島で、これまでにない規模の爆発が起きた。
しかし、その直後から
日本政府は、広島で起きた異常な破壊の全体像は、すぐには把握できなかった。
通信は大きく混乱し、
現地の被害もすぐには把握できなかった。
やがて、
通常の爆撃とは明らかに違う破壊が起きたことが分かってくる。
AUGUST 6, 1945
広島で巨大な爆発。
しかし、何が起きたのかは、まだ分からない。
しかし、何が起きたのかは、まだ分からない。
日本は「異常な破壊」が起きたことから、少しずつ事実に近づいていった。
■ それは「普通の空襲」ではなかった
― 一発で都市を破壊する兵器 ―
広島への攻撃について調査が進むと、
そこには、それまでの空襲とは異なる特徴が見えてきた。
そこには、それまでの空襲とは異なる特徴が見えてきた。
大量の爆撃機による空襲ではない。
一発の爆弾によって、都市の広い範囲が破壊された。
そして、
爆風や熱線だけでは説明できない被害も広がっていた。
その後、日本政府と軍部は、
広島で使用された兵器について調査を進めた。
その結果、調査によって
新しい種類の爆弾――原子爆弾による攻撃
であることが次第に明らかになっていった。
一発の爆弾によって、都市の広い範囲が破壊された。
そして、
爆風や熱線だけでは説明できない被害も広がっていた。
その後、日本政府と軍部は、
広島で使用された兵器について調査を進めた。
その結果、調査によって
新しい種類の爆弾――原子爆弾による攻撃
であることが次第に明らかになっていった。
■ しかし、それでも戦争は終わらなかった
― 「原爆が落ちた」ことと「降伏する」ことは別だった ―
ここが重要だった。
広島への原爆投下によって、
日本は新しい破壊力を持つ兵器の存在を知った。
しかし――
それだけでは、日本の戦争は終わらなかった。
そして8月8日。
日本を取り巻く状況は、さらに変わる。
広島への原爆投下によって、
日本は新しい破壊力を持つ兵器の存在を知った。
しかし――
それだけでは、日本の戦争は終わらなかった。
そして8月8日。
日本を取り巻く状況は、さらに変わる。
■ 広島のあと、日本を取り巻く状況はさらに動き始めた
― 原爆だけではなかった ―
8月6日の広島。
それは、日本にとって極めて大きな衝撃だった。
しかし――
それだけではなかった。
それは、日本にとって極めて大きな衝撃だった。
しかし――
それだけではなかった。
AFTER HIROSHIMA
8月6日
↓
広島に原子爆弾
↓
日本政府・軍部が被害を調査
↓
「原子爆弾」と判明
↓
しかし、降伏の決断には至らない
↓
そして、8月8日へ
広島への原爆投下によって、
日本は新しい破壊力を持つ兵器の存在を知った。
しかし、日本を取り巻く国際情勢も、
同時に急速に動いていた。
8月6日の衝撃だけを見ていては、
その後の日本の判断を理解することはできない。
日本は新しい破壊力を持つ兵器の存在を知った。
しかし、日本を取り巻く国際情勢も、
同時に急速に動いていた。
8月6日の衝撃だけを見ていては、
その後の日本の判断を理解することはできない。
THE DAYS AFTER HIROSHIMA
広島。
原子爆弾という、
それまで知らなかった破壊力。
しかし、日本はまだ降伏していない。
そして――
日本を取り巻く世界は、さらに動き始めていた。
原子爆弾という、
それまで知らなかった破壊力。
しかし、日本はまだ降伏していない。
そして――
日本を取り巻く世界は、さらに動き始めていた。
広島のあと、日本の運命を決める時間は急速に短くなっていった。
1945年8月6日。
広島に、原子爆弾が落ちた。
日本は、これまでとは違う兵器の存在を知った。
しかし――
戦争は、まだ終わらなかった。
そして8月9日、
日本を取り巻く世界は、さらに大きく動く。
日本を取り巻く世界は、さらに大きく動く。
広島への原爆投下は、
日本に大きな衝撃を与えた。
日本に大きな衝撃を与えた。
しかし、
それだけで日本の戦争は終わらなかった。
それだけで日本の戦争は終わらなかった。
日本政府と軍部の中では、
戦争を続けるのか、
それとも終わらせるのかという判断が続いていた。
戦争を続けるのか、
それとも終わらせるのかという判断が続いていた。
そして――
広島から三日後、
日本を取り巻く状況は一気に変わる。
広島から三日後、
日本を取り巻く状況は一気に変わる。
長崎への二発目。
そして同じ頃、
日本の北側から迫っていた、
もう一つの大きな衝撃。
そして同じ頃、
日本の北側から迫っていた、
もう一つの大きな衝撃。
原爆だけではない。
ソ連も動き始めていた。
ソ連も動き始めていた。
次章では、
1945年8月9日、
長崎と満州で同時に起きた出来事を見ていこう。
1945年8月9日、
長崎と満州で同時に起きた出来事を見ていこう。
第2章|8月8日、もう一つの戦争が始まった
― 日本の北から、戦争が動き始めた ―
広島への原爆投下後、
日本国内で何が起きていたのかを見てきた。
しかし――
その間にも、
日本を取り巻く世界は動いていた。
1945年8月6日。
広島。
そして――
8月8日。
日本にとって、
もう一つの戦争が始まろうとしていた。
日本国内で何が起きていたのかを見てきた。
しかし――
その間にも、
日本を取り巻く世界は動いていた。
1945年8月6日。
広島。
そして――
8月8日。
日本にとって、
もう一つの戦争が始まろうとしていた。
広島の空で、
原子爆弾が炸裂した。
そのわずか二日後――
日本の北から、別の戦争が動き始めた。
原子爆弾が炸裂した。
そのわずか二日後――
日本の北から、別の戦争が動き始めた。
■ 8月6日から8月9日へ
― わずか三日間 ―
THREE DAYS — AUGUST 1945
8月6日
↓
広島
原子爆弾
↓
原子爆弾
8月8日
↓
ソ連、日本に宣戦
↓
8月9日未明
↓
ソ連軍、満州へ侵攻
8月6日、広島。
8月8日、ソ連が日本に宣戦。
そして9日未明、ソ連軍が満州へ侵攻した。
わずか三日間で、日本を取り巻く戦争の構図が変わった。
8月8日、ソ連が日本に宣戦。
そして9日未明、ソ連軍が満州へ侵攻した。
わずか三日間で、日本を取り巻く戦争の構図が変わった。
■ 日本が向き合っていた「もう一つの戦争」
― アメリカとの戦争だけではなくなった ―
それまで日本にとって、
戦争の中心にあったのは、
アメリカを中心とする連合国との戦いだった。
しかし――
ソ連が参戦したことで、
状況は一変する。
西からはアメリカ。
そして北からは、ソ連。
日本は、
これまでとは異なる方向からも、
軍事的な圧力を受けることになった。
戦争の中心にあったのは、
アメリカを中心とする連合国との戦いだった。
しかし――
ソ連が参戦したことで、
状況は一変する。
西からはアメリカ。
そして北からは、ソ連。
日本は、
これまでとは異なる方向からも、
軍事的な圧力を受けることになった。
A NEW WAR
西から、アメリカ。
北から、ソ連。
そして――
日本は、二つの方向から
戦争の圧力を受けることになった。
北から、ソ連。
そして――
日本は、二つの方向から
戦争の圧力を受けることになった。
日本を取り巻く戦争は、ここで一気に広がった。
■ なぜ、ソ連はこの時に参戦したのか
― すでに決まっていた「8月」の約束 ―
ソ連の参戦は、
8月8日に突然決まったものではなかった。
1945年2月、
アメリカ・イギリス・ソ連の首脳は、
ヤルタ会談で戦後の国際秩序について協議していた。
その中でソ連は、
ドイツ敗北後、一定期間を置いて
日本との戦争に参加することを約束していた。
つまり――
8月のソ連参戦は、
すでに戦争末期の国際政治の中で準備されていた。
8月8日に突然決まったものではなかった。
1945年2月、
アメリカ・イギリス・ソ連の首脳は、
ヤルタ会談で戦後の国際秩序について協議していた。
その中でソ連は、
ドイツ敗北後、一定期間を置いて
日本との戦争に参加することを約束していた。
つまり――
8月のソ連参戦は、
すでに戦争末期の国際政治の中で準備されていた。
そしてドイツが降伏すると、
その約束を実行する時期が近づいていた。
8月8日。
ソ連は日本に宣戦を布告。
そして翌9日未明――
満州で、実際の軍事行動が始まった。
その約束を実行する時期が近づいていた。
8月8日。
ソ連は日本に宣戦を布告。
そして翌9日未明――
満州で、実際の軍事行動が始まった。
■ 8月9日未明
― ソ連軍が満州へ侵攻した ―
そして8月9日未明。
ソ連軍が満州へ侵攻を開始した。
日本が長く展開していた満州で、 新たな戦線が開いた。
ソ連軍が満州へ侵攻を開始した。
日本が長く展開していた満州で、 新たな戦線が開いた。
AUGUST 9, 1945 — BEFORE DAWN
ソ連軍、満州へ。
日本にとって、
アメリカとの戦争だけではない
新たな現実が始まった。
日本にとって、
アメリカとの戦争だけではない
新たな現実が始まった。
そして、その日の朝――長崎でも別の出来事が起ころうとしていた。
8月8日。
ソ連が、日本に宣戦した。
そして翌9日未明――
ソ連軍が満州へ侵攻を開始した。
広島への原爆投下から、
わずか三日。
わずか三日。
日本は、
それまでとは違う戦争の現実に
直面していた。
それまでとは違う戦争の現実に
直面していた。
西からは、
アメリカ。
北からは、
ソ連。
アメリカ。
北からは、
ソ連。
そして8月9日の朝――
その二つの衝撃が重なるように、
長崎の空でも新たな爆発が起ころうとしていた。
その二つの衝撃が重なるように、
長崎の空でも新たな爆発が起ころうとしていた。
次章では、
8月9日に起きた
「長崎」と「満州」という二つの出来事を、
同じ一日の中で見ていこう。
8月9日に起きた
「長崎」と「満州」という二つの出来事を、
同じ一日の中で見ていこう。
第3章|8月9日、長崎と満州
― 日本を取り巻く戦争が、変わった ―
この章で重要なのは、
まだ「日本政府が何を決めたのか」ではない。
まず見るべきなのは――
日本を取り巻く戦争そのものが変わったことだ。
まだ「日本政府が何を決めたのか」ではない。
まず見るべきなのは――
日本を取り巻く戦争そのものが変わったことだ。
西から、アメリカ。
北から、ソ連。
そして、その間に日本があった。
北から、ソ連。
そして、その間に日本があった。
■ 1945年8月9日
― 二つの場所で、戦争が動いていた ―
1945年8月9日。
その日の未明、
満州ではソ連軍が進撃を開始していた。
そして、その数時間後――
長崎では、
原子爆弾を搭載したB-29「Bockscar」が
第二目標へ向かっていた。
その日の未明、
満州ではソ連軍が進撃を開始していた。
そして、その数時間後――
長崎では、
原子爆弾を搭載したB-29「Bockscar」が
第二目標へ向かっていた。
AUGUST 9, 1945
北
ソ連軍
↓
ソ連軍
満州侵攻
↓
日本
↓
長崎
原子爆弾
↓
原子爆弾
西
アメリカ
アメリカ
そして――
午前11時2分。
長崎の空で、
原子爆弾が炸裂した。
その一方で、
日本の北では、
ソ連軍が満州を進撃していた。
午前11時2分。
長崎の空で、
原子爆弾が炸裂した。
その一方で、
日本の北では、
ソ連軍が満州を進撃していた。
THE SAME DAY
長崎では、原子爆弾。
満州では、ソ連軍の侵攻。
同じ1945年8月9日。
日本を取り巻く二つの戦争が、
同時に動いていた。
満州では、ソ連軍の侵攻。
同じ1945年8月9日。
日本を取り巻く二つの戦争が、
同時に動いていた。
日本の運命を左右する出来事が、
別々の場所で、同じ日に起きていた。
別々の場所で、同じ日に起きていた。
■ 「一つの戦争」ではなくなった
― 日本を取り巻く戦争が変わった ―
それまで日本が主に向き合っていたのは、
アメリカを中心とする連合国との戦争だった。
しかし――
1945年8月9日、
その状況は大きく変わった。
西からは、アメリカ。
北からは、ソ連。
日本は、
これまでとは異なる方向からも
軍事的な圧力を受けることになった。
アメリカを中心とする連合国との戦争だった。
しかし――
1945年8月9日、
その状況は大きく変わった。
西からは、アメリカ。
北からは、ソ連。
日本は、
これまでとは異なる方向からも
軍事的な圧力を受けることになった。
しかも――それは、
別々の時期に起きた出来事ではなかった。
同じ一日。
1945年8月9日。
長崎と満州で、
日本を取り巻く戦争が同時に動いていた。
別々の時期に起きた出来事ではなかった。
同じ一日。
1945年8月9日。
長崎と満州で、
日本を取り巻く戦争が同時に動いていた。
■ ソ連軍は、何をしに満州へ入ったのか
― 「侵攻」と「武装解除・占領」を分けて見る ―
ここで、
一つ整理しておきたいことがある。
1945年8月9日、
ソ連軍は満州へ進攻した。
日本から見れば、
新たな軍事的脅威が突然現れたことになる。
しかし――
ソ連軍が満州へ入ったことと、
そこで何を目的として軍事行動を行ったのかは、
分けて考える必要がある。
一つ整理しておきたいことがある。
1945年8月9日、
ソ連軍は満州へ進攻した。
日本から見れば、
新たな軍事的脅威が突然現れたことになる。
しかし――
ソ連軍が満州へ入ったことと、
そこで何を目的として軍事行動を行ったのかは、
分けて考える必要がある。
当時の満州には、
日本軍である関東軍が存在していた。
ソ連軍が進攻すると、
両軍の間で戦闘が発生した。
そしてソ連軍は、
日本軍の軍事力を破壊し、
部隊を降伏させ、
武装を解除し、
占領地域を軍事的に掌握していった。
つまり――
「日本人をただ攻撃するため」だけの軍事行動だった、
という単純な構図ではない。
戦争中の軍隊同士が戦闘し、
相手側の軍事組織を排除・武装解除して、
その地域を軍事的に制圧する。
それが、戦争における「侵攻」と「占領」の一つの側面だった。
日本軍である関東軍が存在していた。
ソ連軍が進攻すると、
両軍の間で戦闘が発生した。
そしてソ連軍は、
日本軍の軍事力を破壊し、
部隊を降伏させ、
武装を解除し、
占領地域を軍事的に掌握していった。
つまり――
「日本人をただ攻撃するため」だけの軍事行動だった、
という単純な構図ではない。
戦争中の軍隊同士が戦闘し、
相手側の軍事組織を排除・武装解除して、
その地域を軍事的に制圧する。
それが、戦争における「侵攻」と「占領」の一つの側面だった。
MANCHURIA — AUGUST 1945
ソ連軍が進攻。
↓
日本軍との戦闘。
↓
日本軍部隊の降伏・武装解除。
↓
ソ連軍が地域を軍事的に掌握。
↓
日本軍との戦闘。
↓
日本軍部隊の降伏・武装解除。
↓
ソ連軍が地域を軍事的に掌握。
「侵攻」「戦闘」「武装解除」「占領」は、
それぞれ意味の違う出来事である。
それぞれ意味の違う出来事である。
ただし――
ここで、もう一つ重要な区別がある。
軍隊を武装解除することと、
民間人への暴力や捕虜の扱いなどを正当化することは、
同じではない。
戦争中の軍事行動としての武装解除・占領と、
その過程で個別に発生した行為の適法性や戦争犯罪の問題は、
分けて検証する必要がある。
ここで、もう一つ重要な区別がある。
軍隊を武装解除することと、
民間人への暴力や捕虜の扱いなどを正当化することは、
同じではない。
戦争中の軍事行動としての武装解除・占領と、
その過程で個別に発生した行為の適法性や戦争犯罪の問題は、
分けて検証する必要がある。
だからこそ、
1945年8月の満州を理解するときには、
「ソ連は野蛮だった」
あるいは
「ソ連の行為はすべて正しかった」
という二つの単純な結論だけでは、
当時の現実を十分に説明できない。
重要なのは、
誰が、どこで、誰と戦い、
何を目的として軍事行動を行い、
その過程で何が起きたのかを分けて見ることだ。
1945年8月の満州を理解するときには、
「ソ連は野蛮だった」
あるいは
「ソ連の行為はすべて正しかった」
という二つの単純な結論だけでは、
当時の現実を十分に説明できない。
重要なのは、
誰が、どこで、誰と戦い、
何を目的として軍事行動を行い、
その過程で何が起きたのかを分けて見ることだ。
WHAT CHANGED ON AUGUST 9?
長崎では――
原子爆弾によって都市が破壊された。
満州では――
ソ連軍が日本軍と戦闘し、
日本軍の武装解除と地域の軍事的掌握を進めた。
日本を取り巻く戦争は、
西だけではなく、北からも動き始めた。
原子爆弾によって都市が破壊された。
満州では――
ソ連軍が日本軍と戦闘し、
日本軍の武装解除と地域の軍事的掌握を進めた。
日本を取り巻く戦争は、
西だけではなく、北からも動き始めた。
8月9日を理解するには、
「原爆」と「ソ連参戦」を感情的に比較するのではなく、
それぞれが日本の戦争環境をどう変えたのかを見る必要がある。
「原爆」と「ソ連参戦」を感情的に比較するのではなく、
それぞれが日本の戦争環境をどう変えたのかを見る必要がある。
■ 西と北から、同時に迫る戦争
― 日本から見れば、戦争の姿そのものが変わった ―
JAPAN — AUGUST 9, 1945
西
アメリカ
↓
長崎
原子爆弾
アメリカ
↓
長崎
原子爆弾
────────
日本
────────
北
ソ連軍
↓
満州侵攻
ソ連軍
↓
満州侵攻
この日、日本は、
それまでとは違う二つの方向から
同時に戦争を受けることになった。
長崎では、
一発の原子爆弾によって都市が破壊された。
満州では、
ソ連軍による大規模な軍事行動が始まった。
西からの戦争。
北からの戦争。
日本を取り巻いていた戦争は、
もはや、それまでと同じ形ではなかった。
それまでとは違う二つの方向から
同時に戦争を受けることになった。
長崎では、
一発の原子爆弾によって都市が破壊された。
満州では、
ソ連軍による大規模な軍事行動が始まった。
西からの戦争。
北からの戦争。
日本を取り巻いていた戦争は、
もはや、それまでと同じ形ではなかった。
■ 1945年8月9日、日本から見えた世界
― 戦争の地図が、一日で変わった ―
1945年8月9日という一日を、
日本側から見てみると、
その変化はよりはっきりする。
日本側から見てみると、
その変化はよりはっきりする。
THE WAR AROUND JAPAN
アメリカ
↓
長崎
↓
↓
長崎
日本
↑
ソ連
↑
満州
↑
満州
それまでの日本の戦争は、
主として西側から迫るアメリカとの戦争として
認識されていた。
しかし8月9日、
その北側からソ連軍が大規模な軍事行動を開始した。
そして同じ日に、
長崎では二発目の原子爆弾が投下された。
戦争の方向が、一つではなくなった。
日本を取り巻く戦争は、
一日で、これまでとは違う姿になった。
主として西側から迫るアメリカとの戦争として
認識されていた。
しかし8月9日、
その北側からソ連軍が大規模な軍事行動を開始した。
そして同じ日に、
長崎では二発目の原子爆弾が投下された。
戦争の方向が、一つではなくなった。
日本を取り巻く戦争は、
一日で、これまでとは違う姿になった。
AUGUST 9, 1945
長崎。
原子爆弾。
満州。
ソ連軍の進撃。
西と北。
二つの方向から、戦争が動いた。
原子爆弾。
満州。
ソ連軍の進撃。
西と北。
二つの方向から、戦争が動いた。
1945年8月9日。
日本を取り巻く戦争の形が変わった。
日本を取り巻く戦争の形が変わった。
■ ここで、まだ「決断」の話ではない
― まず、何が変わったのかを見る ―
この時点で重要なのは、
日本政府が何を決めたのかではない。
まず見ておきたいのは、
日本を取り巻く戦争そのものが変わった
という事実である。
日本政府が何を決めたのかではない。
まず見ておきたいのは、
日本を取り巻く戦争そのものが変わった
という事実である。
長崎への原爆投下。
ソ連軍による満州侵攻。
この二つは、
それぞれ異なる出来事だった。
しかし日本から見れば、
1945年8月9日という同じ日に、
戦争の圧力が二つの方向から現れた。
日本を取り巻いていた戦争の地図が、
変わったのである。
ソ連軍による満州侵攻。
この二つは、
それぞれ異なる出来事だった。
しかし日本から見れば、
1945年8月9日という同じ日に、
戦争の圧力が二つの方向から現れた。
日本を取り巻いていた戦争の地図が、
変わったのである。
1945年8月9日。
満州では、ソ連軍が進撃していた。
そして午前11時2分。
長崎では、原子爆弾が炸裂した。
西から、アメリカ。
北から、ソ連。
日本を取り巻く戦争は、
この日、それまでとは違う姿になった。
この日、それまでとは違う姿になった。
広島への原爆投下から、
わずか三日。
わずか三日。
その間に、
ソ連が日本へ参戦した。
ソ連が日本へ参戦した。
そして8月9日――
満州ではソ連軍が進撃し、
長崎では原子爆弾が炸裂した。
満州ではソ連軍が進撃し、
長崎では原子爆弾が炸裂した。
西から、アメリカ。
北から、ソ連。
北から、ソ連。
日本を取り巻く戦争は、
もはや以前と同じものではなかった。
もはや以前と同じものではなかった。
1945年8月9日。
日本を取り巻く戦争の形が、
変わった。
日本を取り巻く戦争の形が、
変わった。
そして――
その現実を前に、
日本政府は何を決めるのか。
その現実を前に、
日本政府は何を決めるのか。
次章では、
「世界の構図」ではなく、
その現実に直面した日本政府の
最後の決断を見ていこう。
「世界の構図」ではなく、
その現実に直面した日本政府の
最後の決断を見ていこう。
第4章|では、日本政府は何を決めるのか?
― 日本は、「戦争を終わらせる」ことを決められるのか ―
1945年8月9日、
日本を取り巻く戦争の構図が変わった瞬間を見た。
長崎。
満州。
ソ連参戦。
しかし――
ここから見るのは、
「何が起きたか」ではない。
その現実を前に、日本政府は何を決めたのか。
日本を取り巻く戦争の構図が変わった瞬間を見た。
長崎。
満州。
ソ連参戦。
しかし――
ここから見るのは、
「何が起きたか」ではない。
その現実を前に、日本政府は何を決めたのか。
戦争を続けるのか。
それとも、終わらせるのか。
ここから始まるのは、
「歴史が動いた話」ではない。
「人間が決断した話」だ。
それとも、終わらせるのか。
ここから始まるのは、
「歴史が動いた話」ではない。
「人間が決断した話」だ。
■ すでに、「終戦」という問題は置かれていた
― ポツダム宣言 ―
1945年7月26日。
アメリカ、イギリス、中国は、
日本に対してポツダム宣言を発表した。
そこには、
日本に戦争を終結させることを求める
連合国側の条件が示されていた。
しかし日本政府は、
この宣言をすぐには受け入れなかった。
つまり――
8月を迎えた時点で、
「戦争をどう終わらせるのか」という問題は、
すでに日本政府の前に置かれていた。
アメリカ、イギリス、中国は、
日本に対してポツダム宣言を発表した。
そこには、
日本に戦争を終結させることを求める
連合国側の条件が示されていた。
しかし日本政府は、
この宣言をすぐには受け入れなかった。
つまり――
8月を迎えた時点で、
「戦争をどう終わらせるのか」という問題は、
すでに日本政府の前に置かれていた。
そして、
その問いに答える前に、
日本政府は次々と新しい現実に直面することになる。
その問いに答える前に、
日本政府は次々と新しい現実に直面することになる。
■ 8月6日、政府の中に生まれた「迷い」
― 衝撃は、すぐには決断にならなかった ―
広島への原爆投下は、
日本にとって極めて重大な衝撃だった。
しかし――
衝撃と、決断は同じではなかった。
政府の中では、
戦争を終わらせるべきだという考えと、
なお戦争を続けるべきだという考えが残っていた。
つまり、
広島という出来事を前にしても、
「では、どうするのか」という答えは
まだ一つになっていなかった。
日本にとって極めて重大な衝撃だった。
しかし――
衝撃と、決断は同じではなかった。
政府の中では、
戦争を終わらせるべきだという考えと、
なお戦争を続けるべきだという考えが残っていた。
つまり、
広島という出来事を前にしても、
「では、どうするのか」という答えは
まだ一つになっていなかった。
AUGUST 6
大きな衝撃が加わった。
しかし――
「戦争を終わらせる」という決断は、
まだ成立していなかった。
しかし――
「戦争を終わらせる」という決断は、
まだ成立していなかった。
歴史を変えるほどの出来事であっても、
人間の判断は、その瞬間に自動的に決まるわけではない。
人間の判断は、その瞬間に自動的に決まるわけではない。
■ そして、「頼れる相手」が消えた
― ソ連参戦が、外交の前提を変えた ―
日本政府にとって、 さらに重大だったのはソ連との関係だった。
日本はそれまで、 ソ連を通じた外交的な終戦の可能性を探っていた。
しかし――
ソ連参戦によって、その前提そのものが崩れた。
日本はそれまで、 ソ連を通じた外交的な終戦の可能性を探っていた。
しかし――
ソ連参戦によって、その前提そのものが崩れた。
ここで重要なのは、
「新しい敵が増えた」ということだけではない。
日本政府が、終戦のために利用できると考えていた
外交的な選択肢そのものが失われた。
「新しい敵が増えた」ということだけではない。
日本政府が、終戦のために利用できると考えていた
外交的な選択肢そのものが失われた。
つまり、
「どう戦うか」だけではなく、
「どう終わらせるか」についても、
政府の選択肢が急速に狭くなっていった。
「どう戦うか」だけではなく、
「どう終わらせるか」についても、
政府の選択肢が急速に狭くなっていった。
そして――この段階で、
日本政府は一つの極めて重い問題と向き合うことになる。
日本政府は一つの極めて重い問題と向き合うことになる。
■ 「降伏する」とは、何を失うことなのか
― 国体護持という最後の条件 ―
単純に、
「戦争に負けたから降伏する」
という話ではなかった。
降伏した後、
天皇の地位はどうなるのか。
国家の形はどうなるのか。
「国体をどう維持するのか」
この問題が、
終戦をめぐる判断の中心にあった。
「戦争に負けたから降伏する」
という話ではなかった。
降伏した後、
天皇の地位はどうなるのか。
国家の形はどうなるのか。
「国体をどう維持するのか」
この問題が、
終戦をめぐる判断の中心にあった。
THE REAL QUESTION
戦争を終わらせるのか。
それとも――
戦争を続けるのか。
そして、
終わらせるなら――
どのような条件で終わらせるのか。
それとも――
戦争を続けるのか。
そして、
終わらせるなら――
どのような条件で終わらせるのか。
日本政府が判断しなければならなかったのは、
軍事的な敗北だけではなかった。
戦後、日本という国家をどう残すのか。
軍事的な敗北だけではなかった。
戦後、日本という国家をどう残すのか。
■ それでも、「続ける」という選択肢は残っていた
― 本土決戦という考え ―
戦争継続を主張する側にも、
一つの論理があった。
本土で戦えば、
連合国に大きな損害を与え、
より有利な条件を引き出せるのではないか。
「まだ戦えるなら、戦うべきだ」
そうした考えは、
なお政府内に存在していた。
一つの論理があった。
本土で戦えば、
連合国に大きな損害を与え、
より有利な条件を引き出せるのではないか。
「まだ戦えるなら、戦うべきだ」
そうした考えは、
なお政府内に存在していた。
しかし――
その選択は、
同時に日本国内での莫大な犠牲を意味していた。
その選択は、
同時に日本国内での莫大な犠牲を意味していた。
ここで問われ始めたのは、
「戦争を続けられるか」
ではない。
「戦争を続けた場合、
何が起こるのか」
という現実だった。
「戦争を続けられるか」
ではない。
「戦争を続けた場合、
何が起こるのか」
という現実だった。
決断する側にとって、
戦争はもはや抽象的な「勝敗」ではなかった。
その先に待っている犠牲まで含めて、
選ばなければならない問題になっていた。
戦争はもはや抽象的な「勝敗」ではなかった。
その先に待っている犠牲まで含めて、
選ばなければならない問題になっていた。
■ 8月9日から10日へ
― 「終戦」を具体的な選択に変える ―
8月9日。
政府内では、
戦争終結をめぐる議論が本格化していった。
政府内では、
戦争終結をめぐる議論が本格化していった。
問題は、
単純な「降伏するか、しないか」ではなかった。
戦争を終わらせるのか。
終わらせるなら、
どの条件を受け入れるのか。
そして――
天皇の地位をどうするのか。
複数の問題が重なり、
政府内の意見は容易にはまとまらなかった。
単純な「降伏するか、しないか」ではなかった。
戦争を終わらせるのか。
終わらせるなら、
どの条件を受け入れるのか。
そして――
天皇の地位をどうするのか。
複数の問題が重なり、
政府内の意見は容易にはまとまらなかった。
そして8月10日。
日本側は、ポツダム宣言受諾へ向けて動き始める。
ただし、
そこには天皇の地位をめぐる条件が付されていた。
日本側は、ポツダム宣言受諾へ向けて動き始める。
ただし、
そこには天皇の地位をめぐる条件が付されていた。
AUGUST 10
「終戦するか」だけではない。
「どのような形で終戦するのか」
そこまで決めなければならなかった。
「どのような形で終戦するのか」
そこまで決めなければならなかった。
戦争の終わりは、
一つの言葉で決まるものではなかった。
一つの言葉で決まるものではなかった。
■ 8月14日、最後の決断
― 人間が、「終わらせる」と決めた日 ―
その後も、
日本政府内では議論が続いた。
そして8月14日。
御前会議で、ポツダム宣言受諾の最終決定がなされた。
意見が対立する中、
天皇が終戦を望む意思を示し、
最終的な受諾決定へと進んだ。
日本政府内では議論が続いた。
そして8月14日。
御前会議で、ポツダム宣言受諾の最終決定がなされた。
意見が対立する中、
天皇が終戦を望む意思を示し、
最終的な受諾決定へと進んだ。
THE DECISION
8月14日。
日本は、「戦争を終わらせる」ことを決めた。
日本は、「戦争を終わらせる」ことを決めた。
しかし――
その決断が国民に伝えられるのは、
翌8月15日だった。
その決断が国民に伝えられるのは、
翌8月15日だった。
■ では、何が日本を決断へ追い込んだのか
― 一つの出来事ではなかった ―
ここで、
もう一度だけ全体を見てみよう。
もう一度だけ全体を見てみよう。
日本の降伏を、
一つの出来事だけで説明することはできない。
広島への原爆。
ソ連の参戦。
長崎への二発目。
戦争継続によるさらなる犠牲。
本土決戦の現実。
そして、国体護持をめぐる政治的問題。
これらが、
わずかな日数の中で重なっていた。
一つの出来事だけで説明することはできない。
広島への原爆。
ソ連の参戦。
長崎への二発目。
戦争継続によるさらなる犠牲。
本土決戦の現実。
そして、国体護持をめぐる政治的問題。
これらが、
わずかな日数の中で重なっていた。
だからこそ――
「原爆が日本を降伏させた」
という一本の線だけでは、
この数日間の意思決定を十分に説明することはできない。
「原爆が日本を降伏させた」
という一本の線だけでは、
この数日間の意思決定を十分に説明することはできない。
WHAT DROVE JAPAN TO SURRENDER?
広島
+
ソ連参戦
+
長崎
+
戦争継続の困難
+
本土決戦の現実
+
国体護持をめぐる問題
+
ソ連参戦
+
長崎
+
戦争継続の困難
+
本土決戦の現実
+
国体護持をめぐる問題
一つの出来事が、単独で決めたのではない。
複数の現実が短期間に重なり、
日本政府の選択肢を狭めていった。
そして最後に――
人間が、その現実の中から一つを選んだ。
複数の現実が短期間に重なり、
日本政府の選択肢を狭めていった。
そして最後に――
人間が、その現実の中から一つを選んだ。
8月6日。
一つの衝撃が加わった。
8月8日。
外交の前提が崩れた。
8月9日。
さらに、判断を迫る現実が重なった。
そして――
8月14日。
御前会議で、
ポツダム宣言受諾の最終決定がなされた。
ポツダム宣言受諾の最終決定がなされた。
日本は、戦争を終わらせることを決めた。
第3章で見たのは、
歴史が動いた瞬間だった。
歴史が動いた瞬間だった。
第4章で見たのは、
その歴史を前に、人間が決断した過程だった。
その歴史を前に、人間が決断した過程だった。
広島。
ソ連参戦。
長崎。
満州。
ソ連参戦。
長崎。
満州。
それらは、
日本政府に決断を「命令」したわけではない。
日本政府に決断を「命令」したわけではない。
しかし、それらが重なることで、
日本政府が選べる道は、少しずつ狭くなっていった。
日本政府が選べる道は、少しずつ狭くなっていった。
そして8月14日。
最後に必要だったのは、
「歴史が動くこと」ではなかった。
最後に必要だったのは、
「歴史が動くこと」ではなかった。
人間が、決めることだった。
しかし――
その決断は、
まだ国民には伝えられていなかった。
その決断は、
まだ国民には伝えられていなかった。
翌日、1945年8月15日。
日本中の人々が、
一つの声をラジオから聞くことになる。
日本中の人々が、
一つの声をラジオから聞くことになる。
次章では、
「日本政府が戦争を終わらせると決めた日」ではなく、
「日本の人々が戦争の終わりを知った瞬間」を見ていこう。
「日本政府が戦争を終わらせると決めた日」ではなく、
「日本の人々が戦争の終わりを知った瞬間」を見ていこう。
第5章|8月15日、戦争の終わりを日本は知った
― 日本は、敗戦を知った ―
日本政府が戦争を終わらせる決断に至るまでを見てきた。
しかし――
その決断を、国民はまだ知らなかった。
しかし――
その決断を、国民はまだ知らなかった。
1945年8月15日。
朝。
日本では、まだ戦争が続いていると思っている人々がいた。
朝。
日本では、まだ戦争が続いていると思っている人々がいた。
■ 8月15日の朝
― 日本の人々は、まだ「終戦」を知らなかった ―
1945年8月15日。
日本の人々は、
その朝を迎えた。
広島。
ソ連の参戦。
長崎。
満州への侵攻。
そして前日、
日本政府では、
ポツダム宣言を受諾する最終決定が行われていた。
しかし――
その決定は、まだ国民には伝えられていなかった。
政府の中では、
すでに戦争を終える方向へ進んでいた。
しかし国民の側から見れば、
その朝もなお、
日本は戦争のただ中にあった。
日本の人々は、
その朝を迎えた。
広島。
ソ連の参戦。
長崎。
満州への侵攻。
そして前日、
日本政府では、
ポツダム宣言を受諾する最終決定が行われていた。
しかし――
その決定は、まだ国民には伝えられていなかった。
政府の中では、
すでに戦争を終える方向へ進んでいた。
しかし国民の側から見れば、
その朝もなお、
日本は戦争のただ中にあった。
■ 正午、ラジオから声が流れた
― 玉音放送 ―
そして正午。
人々はラジオの前に集まった。
そこから流れてきたのは、
それまで多くの人が直接聞いたことのなかった声だった。
天皇の声による放送。
玉音放送だった。
人々はラジオの前に集まった。
そこから流れてきたのは、
それまで多くの人が直接聞いたことのなかった声だった。
天皇の声による放送。
玉音放送だった。
放送では、
日本がポツダム宣言を受諾したことが伝えられた。
しかし、
その言葉は当時の人々にとって、
必ずしもすぐに理解できるものではなかった。
それでも――
人々はこの放送によって初めて、
日本が戦争を終えることになったことを知った。
そして同時に、
自分たちの国が戦争に敗れたことを知った。
日本がポツダム宣言を受諾したことが伝えられた。
しかし、
その言葉は当時の人々にとって、
必ずしもすぐに理解できるものではなかった。
それでも――
人々はこの放送によって初めて、
日本が戦争を終えることになったことを知った。
そして同時に、
自分たちの国が戦争に敗れたことを知った。
■ 「終戦」とは、「勝つ」ことではなかった
― 日本が敗戦を知った瞬間 ―
それまで日本では、
戦争を続けることが前提となっていた。
しかし、この日を境に、
その前提が崩れた。
日本は、
これ以上戦争を続ける国ではなくなった。
そして人々は、
自分たちの国が戦争に敗れたことを知った。
「終戦」は、同時に「敗戦」を意味していた。
戦争を続けることが前提となっていた。
しかし、この日を境に、
その前提が崩れた。
日本は、
これ以上戦争を続ける国ではなくなった。
そして人々は、
自分たちの国が戦争に敗れたことを知った。
「終戦」は、同時に「敗戦」を意味していた。
AUGUST 15, 1945
政府では――
戦争を終えることが決まっていた。国民には――
この日、初めてその事実が伝えられた。
戦争を終えることが決まっていた。国民には――
この日、初めてその事実が伝えられた。
8月15日は、日本国民が「戦争の終わり」を知った日だった。
■ 8月15日は、「すべてが終わった日」ではなかった
― 戦争の終わりを知った日、そして正式な降伏へ ―
ここで、
一つだけ区別しておきたい。
8月15日は、
日本国民が玉音放送によって、
戦争を終えることと敗戦を知った日だった。
しかし、
日本の降伏が正式な文書として調印されたのは、
9月2日のことだった。
つまり――
8月15日は「国民が終戦を知った日」。
そして、
9月2日は「降伏文書が正式に調印された日」。
この二つは、同じではない。
一つだけ区別しておきたい。
8月15日は、
日本国民が玉音放送によって、
戦争を終えることと敗戦を知った日だった。
しかし、
日本の降伏が正式な文書として調印されたのは、
9月2日のことだった。
つまり――
8月15日は「国民が終戦を知った日」。
そして、
9月2日は「降伏文書が正式に調印された日」。
この二つは、同じではない。
■ 街の空気が変わった
― 昨日までの日本と、今日からの日本 ―
昨日まで、
日本では戦争が続いていた。
そして8月15日、
人々はその戦争を終えることになったことを知った。
街には、
これまでとは違う空気が広がっていった。
戦争が終わることへの安堵。
敗戦への衝撃。
これから何が起きるのか分からない不安。
人々の中には、
さまざまな感情があった。
しかし、確かなことが一つだけあった。
日本では戦争が続いていた。
そして8月15日、
人々はその戦争を終えることになったことを知った。
街には、
これまでとは違う空気が広がっていった。
戦争が終わることへの安堵。
敗戦への衝撃。
これから何が起きるのか分からない不安。
人々の中には、
さまざまな感情があった。
しかし、確かなことが一つだけあった。
AUGUST 15, 1945
昨日まで――
「戦争の中にいた日本」が、
「戦争の中にいた日本」が、
この日から――
「戦争を終える日本」へと変わった。
「戦争を終える日本」へと変わった。
日本の歴史は、ここで大きく方向を変えた。
AUGUST 6 → AUGUST 15
8月6日
↓
広島・原子爆弾
↓
8月8日
↓
ソ連、日本に宣戦
↓
8月9日
↓
長崎・原爆 / 満州・ソ連軍侵攻
↓
8月14日
↓
ポツダム宣言受諾を最終決定
↓
8月15日・正午
↓
玉音放送
↓
日本国民、敗戦と戦争の終わりを知る
1945年8月15日。
朝、日本の人々はまだ、
戦争の終わりを知らなかった。
戦争の終わりを知らなかった。
そして正午。
ラジオから、天皇の声が流れた。
日本がポツダム宣言を受諾し、
戦争を終えることになったことを、
人々は知った。
戦争を終えることになったことを、
人々は知った。
そして――
日本が戦争に敗れたことを知った。
長かった戦争の終わりを、
この日、日本の人々は知った。
この日、日本の人々は知った。
1945年8月15日。
日本の人々は、
ラジオを通じて敗戦と戦争の終わりを知った。
日本の人々は、
ラジオを通じて敗戦と戦争の終わりを知った。
それは、
政府が決断した瞬間ではなかった。
政府が決断した瞬間ではなかった。
その決断を、国民が知った瞬間だった。
8月6日から始まった、
わずか十日足らずの間に、
日本を取り巻いていた世界は、
大きく変わった。
わずか十日足らずの間に、
日本を取り巻いていた世界は、
大きく変わった。
そして――
日本の人々が「戦争の終わり」を知ったこの日から、
日本の「戦後」が始まっていく。
