『立っている場所が、世界を決めていた』 ― 中国が見えなかった理由 ― |  耳たぶドットカムのミミカムdays!

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チモシーもるもるʕ•ᴥ•ʔ

季節は、すでに次へ進んだ。
変わらないように見えるのは、
私たちの立っている場所だけだ。

序章|
「敵だと思っていた」のではなく、
「そう見せられていた」

中国に対して、どこか警戒心不安を感じてきた—— そう言われると、多くの人はこう思うかもしれません。

「それは自分の考えだ」
「ニュースを見て、普通に判断してきただけだ」

その感覚は、間違いではありません

むしろ、とても自然なものです。

中国を警戒する気持ちは、
特別な偏見でも、悪意でもありません。
多くの場合、それは育った環境の中で、自然に身についた視線です。

私たちは戦後、
教育・報道・外交関係を通して、
ある「世界の見え方」を共有してきました。

📘 戦後の日本で共有されてきた前提・アメリカは日本を守ってくれる存在
・共産主義は危険なもの
・中国やロシアは「外側の脅威」

これらは誰かが嘘をついたというより、
時代の中で当たり前として教えられてきた前提でした。

その前提の上に立てば、
中国が警戒の対象に見えるのは、
ごく自然なことです。

ここで、ひとつ身近な例を考えてみてください。

私たちはふだん、
総理大臣を「国民の代表」として見ています。
テレビでも新聞でも、
「首相が決断した」「国民のための政策」と語られるからです。

しかし実際には、
総理大臣は国民から直接選ばれた存在ではありません
国会という仕組みの中で選ばれ、
多くの調整の上に立つポジションです。

ここで言いたいのは、
誰かを批判することではありません。

重要なのは、個人ではなく構造です。
「代表しているように見える位置」と、
「実際に立っている位置」が、
必ずしも一致しないことがある。
ここで大切なのは、
「正しいか」「間違っているか」ではありません。

問題は、どこに立って世界を見ているかです。

同じ景色でも、
立つ場所が違えば、
見え方は大きく変わります。

見ている世界が違うのではない。
立っている場所が違うだけなのかもしれない。
この先で扱うのは、
中国の「正しさ」でも、
日本の「間違い」でもありません。

私たちがどんな枠組みの中で考えてきたのか
その構造を、ひとつずつ確かめていきます。
まずは、
「考えてこなかった」のではなく、
「考える範囲を決められていた」可能性から。

※ ここで示す「構造」とは、誰かを悪者にするための言葉ではありません。
私たち自身も、その中で生きてきたという事実を指しています。

風はまだ冷たい。
けれど、同じ場所に立っていても、
世界の足元は、少しずつ変わり始めている。

第1章|
日本人は「考えていない」のではなく、
考える範囲を決められている

前章で見てきたのは、
私たちが「考えてこなかった」のではなく、
考える前提そのものを、共有させられてきた
という構造でした。

この章では、それを
抽象論ではなく、
具体的な政治の姿から確かめていきます。

日本人は、政治について
何も考えていない——
そう言われることがあります。

「日本人は政治に無関心だ」
「誰が総理でも同じだと思っている」

しかし、それは正確ではありません。

多くの人は、
選挙に行き
ニュースを見て
「国のトップは誰か」を気にかけています

それでも、
どこかでこんな感覚を抱いたことはないでしょうか。

総理大臣が変わっても、
国の方向は、
あまり変わらない気がする。

この違和感こそが、
思考の範囲が決められている証拠です。

総理大臣という「わかりやすい象徴」

総理大臣は、
国民から見ると、とてもわかりやすい存在です。

📍 多くの人が抱く総理大臣像・国のトップ
・国民の代表
・国の進路を決める人
・最終的な責任者

テレビや新聞は、
「首相が決断した」
「国民のための政策」
と語ります。

そのため私たちは、
総理=国民の意志を体現する存在
だと、自然に受け取ります。

しかし——
ここに、大きなズレがあります。
見えないもう一つの顔

日本の総理大臣は、
国民が直接選んでいるわけではありません。

国民が選ぶのは国会議員であり、
総理大臣は、
議員同士の力関係の中で選ばれる
「間接的な存在」です。

その結果、総理が最も気にする相手は、
必ずしも国民ではなくなります。

📍 総理を取り囲む現実の力関係・与党内の派閥
・官僚機構
・財界
・アメリカとの関係
・国際的な圧力

総理大臣とは、
国民の代表のように見えながら
実際には「体制の調整役」
という、二重構造を持つポジションなのです。

ここで重要なのは、
誰が悪いかではありません。

問題は、
そう振る舞わざるを得ない構造
最初から組み込まれていることです。

戦後の日本では、
自主的な外交や、
独自の安全保障を打ち出そうとすると、
強い反発が生まれてきました。

総理が弱いのではない。
動ける範囲が、最初から決まっている

私たち国民もまた、
その構造の外側から、
政治を見てきたわけではありません。

総理大臣を通して見える世界は、
すでに枠付けられた世界だったのです。

だから、
どれだけ考えても、
どれだけ議論しても、

「結局、日本はアメリカと一緒でしかいられない」
という結論に、
戻ってきてしまう。

考えていなかったのではない。
間違っていたのでもない。

私たちは、
与えられた位置から、
とても真剣に考えてきただけ
だった。

では、その「位置」は、
いったいどこから来たのだろうか。

※ ここで述べているのは、特定の人物を批判するためではありません。
私たち自身が、どんな構造の中で「考えてきたのか」を確認するための整理です。

空気は、もう変わっている。
昨日と同じ景色のはずなのに、
光の入り方だけが、違って見える。

気づいたときには、
春は「始まっていた」のではなく、
すでに、本格化していた。

第2章|
「愛国心=親米」という前提は、
どこから来たのか

前の章で見えてきたのは、
日本人の多くが「考えていない」のではなく、
考える場所そのものを、
いつの間にか共有していた
という事実でした。

それは、
特定の思想を押し付けられた、
という話ではありません。

この「座標」は、
思想ではなく、
生活してきた環境そのものとして、
私たちの中に組み込まれてきました。

学校で学んだこと。
テレビで繰り返し見た光景。
疑う必要のないものとして語られてきた言葉。

それらは、
何かを信じ込ませるためというより、
「ここから世界を見るのが自然だ」と、
静かに教えてきただけなのです。

アメリカは味方。
日本は守られている。
この前提から考えるのが、当たり前だった。

気づけばその前提は、
意見ではなく、
空気のようなものになっていました。

この章で辿るのは、
「愛国心=親米」という考えが正しいかどうか、ではありません。

それが、
なぜ「考える前の前提」になったのか
を、
環境という視点から見ていきます。

思想ではなく、
教育でもなく、
戦後を生きるために用意された「見取り図」として。

「愛国心」と聞いて、
どんな姿を思い浮かべるでしょうか。

国を守ろうとする人
強い国を支持する人
共産主義に厳しい人

こうしたイメージは、
偶然生まれたものではありません。

それは、
戦後の日本が置かれた環境の中で、
とても自然に形づくられていったものです。

戦後日本に与えられた「物語」

戦争に敗れ、国が崩れたあと、
日本は一つの強い物語の中で再出発しました。

・アメリカは日本を占領したが、
・最終的には復興を助け、
・経済成長と安全を与えてくれた

この物語は、
学校教育、テレビ、映画、ニュースを通じて、
何十年も繰り返し語られてきました。

「アメリカがいなければ、
日本は守れなかった」

こうして、
アメリカ=守ってくれる存在
という前提が、疑問の対象にならなくなっていきます。

冷戦という「思考の型」

そこへ重なったのが、冷戦です。

世界は単純な二分法で説明されました。

・自由陣営=正しい
・共産陣営=危険

この構図の中では、
考える余地はあまりありません。

アメリカ側に立つ=正義
反対側に疑問を持つ=危険

こうして、
保守=反共=愛国
という、分かりやすい公式が出来上がります。

思想ではなく「型」の継承

ここで大切なのは、
これは誰かの性格や思想の問題ではない
という点です。

この「型」は、
考えなくても使える便利な判断基準として、
世代から世代へ渡されていきました。

その延長線上に、

📍 現代につながる反応 ・強いアメリカを称賛する政治家への期待
・「反共」を強く打ち出す姿勢への安心感
・米国と距離を取ろうとする動きへの不信感

これらは、
自然な感情として現れます。

国を思っているだけなのに、
なぜ疑われるのか分からない

そう感じるのも、無理はありません。

では、
この「型」に当てはめられたとき、
ある国は、どんな役割を与えられてしまうのか。

※ この章は、特定の支持や思想を否定するものではありません。
それらが「どのような時代背景で形づくられたか」を見ているだけです。

見ているつもりで、
実は「語られてきたもの」を見ているだけだった。
それに気づくまで、
私たちは長い時間を必要とする。

第3章|
なぜ「中国を批判すること」が
愛国心に見えてしまうのか

中国に対する強い警戒や反発は、
どこから生まれてきたのでしょうか。

多くの場合、
それは自分自身の直接体験からではありません。

実際には、
「語られてきた物語」が、
感情の土台になっています。

体験ではなく、伝聞が積み重なった

思い出してみてください。

昔こうだったと聞いた
学校でそう教わった
テレビで何度も見た

これらは、
"事実かどうか"以前に、
感情を伴って語られることが多い。

📍 語りの特徴 ・被害の記憶が強調される
・恐怖や怒りが感情的に伝えられる
・「あの国は危険だ」という結論が先にある

こうした語りは、
検証よりも印象を残します。

「日本は被害者」という固定された位置

戦後の日本では、
ある世界観が、非常に強く共有されてきました。

・日本は常に守る側
・周囲は潜在的な敵

この位置に立つと、
周囲を見る視線は自然とこうなります。

こちらが正しく、
向こうは信用できない

すると、
相手が「何をしているか」よりも、
「どういう存在だと教えられてきたか」が、
判断の軸になります。

「批判」が安全な愛国表現になる理由

ここで、一つの現象が生まれます。

中国を批判することが、
自分が正しい位置にいる証明として、
機能し始めるのです。

それは、
相手を理解する行為ではなく、
自分の立ち位置を確認する行為です。

中国に厳しい人=「日本を思っている」
批判しない人=「非国民だ」

こうして、
実際の中国の行動や変化は、
見る必要がなくなっていきます。

「見ていない」ことの連鎖

この構造の中では、
他国の行動も、同じ色で塗られます。

📍 典型的な誤解 ・中国と関係を持つ国=従っている
・距離を取らない国=支配されている

しかし、
それらの国が何を選び、どう判断しているかは、
ほとんど見られていません。

問題は、
中国をどう評価するかではなく、
中国を実際には見ていないことにあります。
では、
世界の国々は、
本当に「従って」いるのでしょうか。

※ この章は、特定の感情や記憶を否定するものではありません。
それらがどのような構造で形づくられたかを整理しています。

世界は、どこかへ「行った」のではない。
立つ場所を、静かに増やしてきただけだ。

第4章|世界は「中国に従っている」のではなく、
立ち位置を使い分けている

日本のニュースや学校教育では、
世界はよく次のように描かれます。

「中国に近づく国は、中国に従っている」
「中国と付き合えば、価値観まで染まる」

けれど、これは世界の実像ではありません。
それは、日本だけが立っている「床」から見た景色なのです。

■ 世界は「一つの床」で生きていない

多くの国は、
一つの価値観・一つの同盟
人生を丸ごと預けるような生き方をしていません。

経済の床
(利益・成長)
安全保障の床
(防衛・抑止)
文化・内政の床
(自国の価値)

彼らは状況ごとに判断の基盤を切り替え
関係性を編成しながら世界と関わっています。

経済は経済として中国と結ぶ。
安全保障は安全保障として同盟を用いる。
内政と文化は、外部に委ねない。

それは裏切りや依存ではなく、
利害と原則を切り分けて運用するという、成熟した選択です。

■ だから「中国と付き合っても染まらない」

日本では、こんな誤解が根深くあります。

「中国と深く付き合えば、
いずれ中国の言いなりになる」

しかし世界の多くの国は、
「従う」という発想自体を持っていません。

彼らにとって中国は崇拝の対象でも、従属の相手でもない。
条件と距離を測りながら関係を組み立てる存在として扱われている。

だからこそ、
中国と貿易をしても、
中国の政治体制を採用することはありません。

「付き合う」ことと
「同一化する」ことは、
世界ではまったく別なのです。

■ 日本だけが「一つの床」に固定された理由

では、なぜ日本だけが、
他の床に立つことを怖がるのでしょうか。

戦後日本の特殊な前提 日本は戦後、
「アメリカの床=安全・正義・常識」
という一体化した世界観の中で再出発しました。

冷戦期
その床から一歩でも外れることは、
「危険」「裏切り」「敵側」と教えられました。

その結果、
日本では「床を選ぶ」という発想そのものが、
ほとんど育たなかった。

他国が当たり前にやっている
「立ち位置の切り替え」は、
日本では禁忌のように感じられる。

■ 「従属しているように見える」本当の理由

日本から見ると、
他国はこう映ります。

「あの国は中国寄りだ」
「中国に支配されている」

しかしそれは、
相手の姿ではなく、
こちらの立ち位置の問題です。

一つの床に固定された視線から見ると、
別の床に立つ人は、
「裏切った」「落ちた」ように見える。

けれど実際には、
彼らはただ
複数の床を行き来しているだけなのです。

世界が変わったのではない。
日本だけが、
「立つ場所を変えられないまま」
時間が止まっていた。

次章では、
この「複数の床」を前提に生きる世界の人々の視線を、
一通の手紙から見ていく。

違って見えたのは、世界ではない。
私たちが、ずっと同じ場所に立っていただけだった。

第5章|外から来た人が見つけた、
もう一つの「当たり前」

ここで紹介するのは、
「中国を擁護した人」の話ではありません。

それは、かつて私たちと同じ前提に立っていた、
一人の外国人が見た「現実」の記録です。

ある外国人教師の出発点 彼は、イギリスに生まれ、
オーストラリアで長く暮らし、
西側メディアが描く中国像を、
ほとんど疑わずに信じていました。

中国は、
「怖い国」「抑圧的な国」
そう思い込んだまま、
彼は初めて中国を訪れます。

■ そこで出会ったのは「恐怖」ではなかった

「思っていた世界と、まったく違った」

彼がまず感じたのは、
支配でも監視でもなく
ごく普通の「生活」でした。

・人々は礼儀正しく
・家族を大切にし
・外国人を、必要以上に特別扱いしない

それは理想郷ではありません。
しかし、
敵意に満ちた場所でもなかった

■ 征服ではなく、「続いていくこと」が優先される社会

彼が最も戸惑ったのは、
中国社会の「目標設定」でした。

勝つことより、
続くこと。
押し倒すことより、
持ちこたえること。

西側で教えられてきた、
「勝者と敗者」「正義と悪」という物語が、
ここでは中心ではなかったのです。

代わりに重視されていたのは、
生活が回り続けること
次の世代に引き継げることでした。

■ 支配ではなく、「接続」で成り立つ関係

彼は、中国が他国と築く関係にも、
違和感を覚えました。

「誰かを従わせているようには見えない」

そこにあったのは、
命令でも、忠誠でもなく、
実務的な接続でした。

価値観を押し付けない。
ただ、必要な部分だけを繋ぐ。

それは、
西側的価値観の否定ではありません。

優先順位が違う
ただそれだけなのです。

■ なぜ、この声は日本に届きにくいのか

ここで、
ある疑問が浮かびます。

「なぜ、こうした声を
私たちは、ほとんど聞かないのか?」

理由は単純です。

日本は長く、
「同じ床に立つ声」だけを
安全な情報として受け取ってきた。

別の床に立つ人の声は、
「危険」「偏っている」「信用できない」と、
無意識に遠ざけられてきました。

その結果、
中国は「説明される対象」になり、
人が生きている場所として、
想像されなくなったのです。

■ 「理解しろ」ではなく、「知ってしまった」

この外国人教師は、
誰かにこう訴えているわけではありません。

「信じろ、ではない。
ただ、来てみてほしい」

彼が伝えているのは、
結論ではなく、
体験です。

それは、
中国を「好きになる」話ではありません。

世界には、
私たちとは違う存在の仕方が、
確かにある。

見ている世界が違うのではない。
立っている場所が、
違っていただけだ。

次の終章では、
「正しさ」でも「立場」でもなく、
私たち自身の立ち位置を、
そっと問い直す。

遠くへ行った人だけが、
近くにあったものの輪郭に気づく。

第5.5章|中国在住のイギリス人(元教師)の手紙

第5章で見てきたのは、
「外から来た人」が、
日本とは異なる床に立ったとき、
世界がどう見えたか、という話でした。

ここでは、その視線を
よりはっきりと言葉にした人物を紹介します。

James Wood
中国在住のイギリス人(元教師)

政治家でも、活動家でもなく、
教育の現場で人々と暮らしてきた一人の生活者です。

彼が綴ったのは、
「中国を擁護する声明」ではありません。

それは、
西側で共有されてきた前提を離れ、
別の場所から世界を眺めたときに、
自然に立ち上がってきた風景でした。

■ 「敵」でも「競争相手」でもなかった

このメッセージは、
敵対者からでも、競争相手からでもない。
同じ空の下に立つ、
一つの文明からのものです。

彼がまず否定したのは、
中国を語るときに自動的に立ち上がる
「対立の構図」でした。

そこにあったのは、
打ち負かす相手としての中国ではなく、
長い時間を生き抜いてきた社会としての姿です。

■ 征服ではなく、持続の物語

中国の歴史は、
征服の物語ではなく、持続の物語
支配ではなく、
生き延び、再生し、続いてきた記憶。

アヘン戦争、
不平等条約、
植民地的分断。

それらは「被害者意識」を煽るためではなく、
なぜこの社会が安全と安定を重視するのか
説明するために語られています。

■ 「自由」の定義が、違っていただけ

西側では、
中国はしばしば
「自由がない社会」と描かれます。

でも街を歩けば、
人々は笑い、踊り、
日常の中で安心して暮らしている。
彼が見ていたのは、
輸入された理念としての自由ではなく、
飢えや恐怖から解放された
生活としての自由でした。

■ 中国は「並び立つ」ことを選んだ

中国の目標は、
誰かを追い越すことでも、
支配することでもない。

目的は、
打ち負かすことではなく、並び立つこと

高速鉄道も、港も、道路も、
要塞ではなく、
橋として築かれている

■ 見ている世界が違っていただけ

この手紙が語っているのは、
中国の正しさではありません。

語られているのは、
立つ場所が変われば、
世界の輪郭も変わる
という、
ただそれだけの事実です。
世界は、
一つの見方しか許されない場所ではない。
立つ場所が増えただけで、
世界は、こんなにも違って見える。

次はいよいよ終章です。
外からの視線でも、
誰かの言葉でもなく、
私たち自身が、どこに立つのか
静かに問い直します。

世界が変わったのではない。
立っていた場所に、
ただ気づいただけだ。

終章|静かな帰還
― 立っている場所が、世界を決めていた ―

ここまでの旅は、
遠くへ行くためのものではありませんでした。

中国を理解するためでも、
誰かを説得するためでもない。

それは、
自分がどこに立って世界を見ていたのか
その場所を、そっと確かめ直すための時間でした。

■ 世界は、最初から一つではなかった

私たちは長いあいだ、
「正しい世界像」が一つだけあるように
教えられてきました。

中国は危険だ。
中国は異質だ。
中国を警戒することが、愛国心だ。

それらは感情ではなく、
視点の初期設定でした。

見えていたのは世界そのものではなく、
「そう見える位置」からの景色だった。

■ 外へ行ったから、内側が見えた

第5章で描いた日常。
第5.5章で語られた手紙。

それらが教えてくれたのは、
中国の正解ではありません。

教えてくれたのは、
「違う床に立つと、
同じ世界でも、別の輪郭を持つ」

という、ごく当たり前の事実でした。

■ 立ち位置は、選び直せる

世界は、
二択ではありません。

従うか、敵対するか。
信じるか、拒むか。

その間に、
もっと静かな場所がある。
疑いながら見る場所。
確認しながら聞く場所。
自分の足で立つ場所

■ 帰ってきたのは、ここだった

この文章を読み終えたとき、
何かを信じ直す必要はありません。

ただ一つ、
心に残れば十分です。

世界は、
立っている場所で、
見え方が変わる

そしてその場所は、
誰かに決められるものではなく、
いつでも、自分で選び直せる

敵か、味方かではなく。
右か、左かでもなく。

どこに立って、
何を見ているのか。

その静かな問いから、
世界は、もう一度ひらかれる。

これは、中国の物語ではありません。
あなた自身の、立ち位置の物語です。