序章:原爆は終戦ではなく"開戦"だった― ヤルタで欺かれたスターリン
それは、“戦後世界”をアメリカが握るための核の署名だった。
1945年2月、ヤルタ会談
◆ ヤルタ会談とは何だったのか?
ヤルタ会談は、戦争終結を目前に控えた連合国の首脳による外交交渉でありながら、その実態は“戦後の覇権配分”をめぐる冷酷な取引だった。
会談ではドイツの分割占領、国際連合の創設、そして極めて重要な「ソ連の対日参戦」が合意された。
特に注目すべきは、国際連合と安全保障理事会の創設である。
名目上は「世界平和の維持」を目的としたこの新組織は、ヤルタ会談でルーズベルト、チャーチル、スターリンの間で基本方針が策定された。
安全保障理事会の「常任理事国(米・英・仏・中・ソ)」による拒否権制度は、このとき設計された世界の“新たな力のバランス”を反映している。
◆ ヤルタ会談が決めた“ヨーロッパの運命”
ヤルタ会談では、第二次世界大戦後の世界秩序だけでなく、 ヨーロッパ大陸そのものの“未来”が事実上決められていた。
ルーズベルト、チャーチル、スターリンの三首脳は、ドイツを連合国で分割占領することで合意。
その結果、東ドイツはソ連の影響下に、西ドイツは英米の影響下に置かれ、 これは後に「冷戦」と「ベルリンの壁」へとつながっていく。
また、東ヨーロッパ全域がソ連の影響圏とされることも黙認され、ポーランドやルーマニア、ブルガリアなどは事実上、ソ連の“衛星国”と化していった。
→「戦後秩序の協議」ではなく、覇権の分割と地政学的支配領域の線引きであった。
「ドイツ降伏後3か月で対日参戦してほしい」と求めた。
——しかし、アメリカはこのとき、ソ連に原爆の存在を一切共有していなかった。
- ● ソ連参戦 ➡ 日本降伏を早める“援軍”と説明
- ● 原爆計画 ➡ 完全秘匿、スターリンをも欺くカード
2. “参戦の3日前”に落とされた光 ― 時系列で見る裏切り
日付 | 出来事 | 意味 |
---|---|---|
8月6日 | 広島に原爆 | ソ連なしで単独勝利の既成事実化 |
8月8日 | ソ連、対日参戦宣言 | アジア進出の口実が薄れる |
8月9日 | 長崎に原爆 | ソ連参戦を無力化、米主導で終戦へ |
広島と長崎の光は、日本だけでなく、
スターリンの目をも眩ませる閃光だった。
3. 原爆後、日本は“前線基地”に――覇権の地図が塗り替わる
- ✔ GHQ占領 (1945-1952) —— 憲法・教育・報道の改造
- ✔ 警察予備隊→自衛隊 —— “再軍備”の始動
- ✔ 在日米軍基地 —— アジア戦略の永久拠点
それはアジア覇権を固定するサインとなったのである。
だが“戦後”という名の新しい戦争が始まった。
この序章を超え、
朝鮮半島の分断、北朝鮮の孤立、日本の再軍備
——すべての根源へ足を踏み入れる。
第1章 : 日ソ中立条約と原爆:ソ連参戦の裏にある“米国の覇権の計算”
🔶 日ソ中立条約とは?
1941年4月13日、日本とソ連は「日ソ中立条約」を締結。
有効期限は5年間(1946年4月まで)で、互いに中立を保つことを約束しました。
この条約により、日本はソ連を「和平交渉の仲介役」として期待し、最後まで信頼していたのです。
🔶 なぜソ連は条約を破って参戦したのか?
- 1945年2月のヤルタ会談において、スターリンは米英と密約を交わし、対日参戦と引き換えに「南樺太・千島列島の割譲」などの利益を確保。
- その約束に従い、「ドイツ降伏から3か月以内に対日戦に参戦する」と合意していた。
- しかし、決定的だったのはアメリカによる原爆投下。
🔶 広島・長崎への原爆投下が与えた衝撃
スターリンは原爆の威力を見て、
「戦後秩序をアメリカによる支配にさせてはならない」と判断。
そのため、
原爆によるアメリカの“単独勝利”(全世界支配)を阻止すべく、
ソ連は急ぎ参戦を実行。
🔶 ソ連参戦と原爆の“タイミング”
日付 | 出来事 |
---|---|
8月6日 | 広島に原爆投下(アメリカ) |
8月8日 深夜 | ソ連が日本に宣戦布告 |
8月9日 早朝 | 長崎に原爆投下 & ソ連軍が満洲へ侵攻 |
8月15日 | 日本、終戦を宣言 |
原爆を通じてアメリカが見せつけた“覇権の力”に対抗するための
戦後アジア防衛をめぐる地政学的な選択だったのです。
“解放”の仮面をかぶった占領 ― 日本の主権は誰のものか?
1945年、日本は敗戦によりアメリカを中心とする連合国に占領されました。
表向きには「戦争からの解放」「民主主義の導入」「平和国家への転換」が謳われましたが、実際にはアメリカの覇権戦略が本格的に始動した瞬間でもありました。
GHQによる徹底した制度改変や検閲により、日本人の意識と制度そのものが「属国化」されていったのです。
戦後秩序のアジア覇権 ― 日本は“前線基地”へと変貌した
- 朝鮮戦争(1950年)では、日本が兵站・修理・輸送の拠点に。
- 米軍基地は沖縄を中心に日本全土へと拡大され、「不沈空母」と化す。
- 「自衛隊」はアメリカの意向で創設され、実質的には再軍備の一環。
この構造は現在でも変わっておらず、日本は“平和国家”の仮面の裏で、アメリカの対中・対ロシア戦略の前線国家となっているのが実態です。
第2章:北方領土問題の“本質”とは?
多くの日本人が「北方領土問題」と聞くと、「奪われた領土を取り返す正義の戦い」だと思い込んでいます。
しかし、この問題を“領土”という表面だけで捉えてしまうと、本質を完全に見誤ることになります。
米軍基地の問題と北方領土
北方領土(南クリル諸島)は、北海道のすぐ隣。仮にこの島々が日本に返還された場合、日米安保条約のもと、米軍が進出する可能性が極めて高くなります。
そうなると、オホーツク海という戦略的海域が危険にさらされると、ロシアは強く懸念しています。
なぜ“平和の象徴”ではなくなるのか
領土返還を受けても、その地に米軍基地が建てられれば、それは「新たな対立の火種」に過ぎません。
返還=平和という単純な構図ではなく、 「返還=前線基地化」 というリスクを孕んでいるのです。
“本質”を隠す政治とメディア
日本の大手メディアは、北方領土をあくまで「歴史問題」「国益」として報道し、「安全保障の連鎖」にはほとんど触れません。
背景にあるのは、日米同盟という枠組みを前提にした報道バイアスです。
実際、ロシアの視点では、「日本は敵ではないが、背後の米国が脅威」であるという構図が繰り返し示されています。
まとめ
✅ 「領土」ではなく「軍事的前哨地」
✅ 問題の“本質”はアメリカとの安全保障構造にある
第3章:日ソ不可侵条約と北方領土 ― “裏切り”の真相とアメリカの影
日本とソ連は1941年に「日ソ中立条約」を結んでおり、相互に戦争を起こさないことを確認していました。
ところが1945年8月、ソ連はこの条約を一方的に破棄し、日本への参戦を表明します。
一体、なぜ条約を反故にしてまで、ソ連は動いたのか?その背後には、米国と英ソが密かに交わした「ヤルタ密約」がありました。
ヤルタ密約:原爆と引き換えの“密約”
🇬🇧 イギリスとともにソ連にこう提案しました:
「戦後、南樺太・千島列島を引き渡す代わりに対日参戦してくれ」
■ 連動する出来事の流れ
1945年2月:ヤルタ会談(密約成立)
1945年8月6日:広島へ原爆投下 (米国)
1945年8月8日:ソ連が対日参戦を宣言
1945年8月9日:長崎へ原爆投下 (米国)
同日:南樺太・千島列島への進軍開始
(ソ連は急遽参戦の理由、日本がアメリカに占領される前に防衛線を形成の為)
裏切りか?それとも覇権の再編か
ソ連の行動は明らかに「中立条約違反」でした。
しかし、冷静に見ればそれ以上に、アメリカが主導した世界再編構想の一部だったことが見えてきます。
アメリカは原爆で「終戦」を演出する一方、スターリンには南樺太と千島を“報酬”として与えた。
その交換条件の裏には、「アジア支配の布石」がありました。
“不可侵条約”は何を意味していたのか
日本人の多くは、ソ連に「裏切られた」と感じています。それは間違いではありません。
しかし同時に、日本自身も米英に操られていた存在であったことを見逃してはいけません。
この問題は、「ソ連が悪い」だけでは語れない。
むしろ、大国間の覇権の交渉の中で、日本は常に“対象”にされていたのです。
まとめ
✅ 北方領土は“戦後再編”の一環として組み込まれていた
✅ 日本は当事者でありながら、交渉の“主語”にはなれなかった
第4章:北方領土「返還問題」とロシアが懸念する“真のリスク”
日本では「北方領土は不法占拠された土地」として返還を求める主張が根強いですが、ロシア側から見ると問題の本質はまったく異なります。
ロシアが本当に警戒しているのは、日本ではなく、日本の背後にあるアメリカの存在です。
米軍進出の可能性 ― なぜロシアは返還に応じないのか?
🔻
北方領土が返還された場合、オホーツク海の入口に米軍基地が建設されるリスクが極めて高い。
🔻
これはロシアの“戦略原潜の隠れ場所”であるオホーツク海の安全保障に直結する重大な脅威です。
プーチン大統領の発言に見るロシアの本音
― プーチン大統領
ロシアは、日本との平和条約交渉に前向きな姿勢を見せつつも、安全保障の観点から、返還後の米軍進出リスクを強く懸念しています。
つまり、返還を阻む根本要因は、「日本の主権」ではなく「アメリカの覇権構造」にあります。
外交の窓を閉ざさないロシアの意図
それでもロシアは、日本を完全に敵視しているわけではありません。むしろ、日露平和条約締結の可能性を模索し続けてきました。
- 🕊 日露経済協力の強化(資源・エネルギー・技術)
- 🌏 アジアの多極化の一員として日本を見ている
- 🔗 米国の影響から日本が自立する可能性を信じている
ロシアが求めているのは、“対米従属国家”としての日本ではなく、“真のアジアのパートナー”としての日本です。
🧭 まとめ:北方領土返還=平和とは限らない
✅ 一見すると | ❗️ しかし現実は | 🧨 結果 |
---|---|---|
🇯🇵「返してもらえばいい」 ➤ 領土問題=領土が戻れば解決? |
🇺🇸 米軍進出の可能性 🇷🇺 ロシアにとって戦略的脅威に ➤ 安全保障リスクが激増 |
🇯🇵 日本が再び対ロの前線に 🧭 戦争の火種に巻き込まれる懸念 ➤ 「返還=平和」とは限らない |
第5章:🇷🇺プーチン大統領が語る ― 西側の“民主主義”の正体
🇷🇺 プーチン大統領の声明:
アメリカは、核兵器を二度使用し、日本の広島と長崎の都市を破壊した世界で唯一の国です。
第二次世界大戦中、アメリカはイギリスとともに、軍事上の必要もないのにドレスデンやハンブルク、ケルンなどのドイツ都市を破壊しました。
日本への原爆投下と同じく、それは軍事戦略ではなく、我が国と全世界を「恐怖」で支配する目的だったのです。
🧨 プーチンが挙げる“偽りの同盟”とは?
- アメリカは現在も、ドイツ、日本、韓国などを事実上占領している。
- それにもかかわらず、皮肉にもこれらを「対等な同盟国」と呼んでいる。
- 「これは一体何の同盟なのか?」とプーチンは疑問を投げかける。
🔍 西側の“民主主義”は本物か?
プーチンは西側が掲げる「民主主義」「自由」「人権」が、支配の道具として利用されていることを暴露しています。
表向きには正義や平和を装いながら、裏では制裁・侵略・政権転覆を繰り返す——
これがロシアや中国、イランが警戒する西側の“真の姿”です。
🇷🇺 プーチン大統領:
我々の国にとって、安全保障とは口先の約束ではなく、生存の問題である。
日本には“主権があるようでない”。米国の許可がなければ、米軍を撤退させることはできない。
🧭 第5章まとめ
- ロシアが「西側民主主義」に疑念を抱くのは、単なる思想の違いではない。
- 歴史的に繰り返されてきた欺瞞・支配の構造が根底にある。
- 北方領土をめぐる問題もまた、“アメリカの軍事戦略”の一部として見られている。
第6章 : 第三次世界大戦はすでに始まっている?
「まだ始まっていない」と思っている人が多い中、“戦争の形”はすでに変わっている。
我々は、もはや「戦車と爆撃機だけの戦争」ではなく、経済・情報・代理戦争・AI・思想戦の時代に突入している。
1. 形式としての「終戦」 vs 実態としての「継戦」
第二次世界大戦は1945年に終結した――と、私たちは教えられてきた。
だが、本当に“終わった”のだろうか?
経済制裁、思想統制、軍事基地の拡張、そして“自由”の名のもとでの介入…
その後の75年間は、形を変えた“戦争”の連続だった。
「第二次世界大戦は終わっていない。ただ、姿を変えて続いている」 ― 歴史家 ジョン・ピルジャー
このように「第三次世界大戦」は、国家間戦争というよりも、「多国間にまたがる多層的な戦争構造」として、既に始まっているのである。
2. すでに始まっている「現代の戦場」
今日、戦争は「宣戦布告」も「前線」もなく始まる。爆撃、制裁、サイバー攻撃、代理勢力の活用など、“静かな開戦”は既に複数の地域で進行している。
- ウクライナ ― ロシアとの全面戦争と西側の軍事支援
- 台湾・南シナ海 ― 米中の緊張と軍事的威圧
- 中東・イラン ― 米国は2025年、イラン核施設へのバンカーバスター投下を実施。これは限定戦争ではなく、事実上の「非公式な開戦」に近い
- 北朝鮮 ― 制裁、ミサイル迎撃訓練、日米韓による包囲網
3. プーチン大統領の警鐘
「我々は第三次世界大戦の“前夜”ではない。すでにその中にいる」
― ウラジーミル・プーチン
4. 毛沢東も語った「覇権に対する民衆の力」
「アメリカ帝国主義は張り子の虎だ。風の音にさえ怯える。
勇気ある小国は、必ずや大国の侵略を撃退できる。それが歴史の法則だ。」
― 毛沢東
5. 「第三次世界大戦」とは何か?
- 国家 vs 国家の大戦争ではない。
- 市民・経済・思想・通貨・AIにまで広がる“全領域戦争”。
- そしてそれはすでに、我々の生活の中に始まっている。
この戦争の最大の特徴は、「気づかれないこと」。
メディア、SNS、教育、消費。すべてが“戦場”になっている。
6. 未来は「平和」か「覇権」か
真の敵は中国でもロシアでもない。
「平和」こそが、米国軍産複合体にとって最大の脅威だ。
世界はいま、“選択の分岐点”に立っている。
戦争を止めるのは、国家ではなく、私たち一人ひとりの意識かもしれない。
第7章 : アジア覇権とイスラエル建国 ― 戦後再編の「表と裏」
1:終戦ではなく「再設計」だった
それは「覇権の空白」を埋める者として、欧州から中東・アジアまでを“再編”する側に回っていたのだ。
2:中東の鍵=イスラエル建国(1948年)
- イギリスの後退を受け、アメリカ主導でユダヤ国家イスラエルが建国。
- 中東における“親米陣営の拠点”として機能。
- 国際金融資本(米国内のシオニストロビー)の支援も不可欠だった。
「ホロコーストの悲劇の記憶が、アメリカの世論を感情的に動かした。
だが、その背後には中東戦略の冷徹な計算があった。」
3:アジアの鍵=日本占領と朝鮮分断(1945〜1950)
- 日本:主権凍結・GHQ統治・憲法改正 → 米軍基地国家へ。
- 朝鮮半島:南北分断 → 韓国に親米政権(李承晩)を樹立。
- 台湾:国民党政権(蒋介石)を支援し、中国共産党に対抗。
そして中東とアジアは、同じ戦略の両輪として動いていた。
4:アジアと中東 ― 同時展開の意味
地域 | 主要政策 | 目的 |
---|---|---|
中東 | イスラエル建国、アラブ諸国操作、石油利権確保 | 資源・地政学支配 |
アジア | 日本・韓国・台湾を親米化、中国・北朝鮮を孤立化 | 共産封じ込め・軍事前線構築 |
5:連動する“金融”と“軍事”
- イスラエル建国はシオニズム資本の後押しと直結。
- 日本経済復興も「軍需経済」の歯車として再設計された。
- アジアと中東の再編は「戦争と資本」の融合戦略だった。
結論:戦後の“世界秩序”はアメリカが描いた
それは米国主導の世界再構築、すなわち
“第三次世界秩序”の始まりを意味していた。
第8章 : 北朝鮮のもうひとつの素顔
1:恐怖の国? それとも、笑い声のある日常?
私たちは「北朝鮮」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
- ミサイル
- 軍事パレード
- 監視国家
- 拉致問題
多くの日本人にとって、北朝鮮は「ニュースで見たことはあるが、生活は知らない国」です。
でも、こんな事実はあまり語られません。
🚸 朝、制服を着て登校する子どもたち
🍲 家族でキムチを漬ける冬の日
🎵 休日には公園で楽器を弾く青年たち
🏥 母親の出産費用は無料
2:教育は無料、そして徹底
北朝鮮では、義務教育は幼稚園から大学レベルまで無償です。
- 小学生から「読解力」や「科学の基礎」を学び、
- 地域によってはIT教育や外国語(英語・ロシア語)も行われています。
- 農村地域では学校と農業の融合教育も盛んです。
🎓 驚きの事実:
北朝鮮の識字率は99%以上。これは世界でもトップレベル。
3:医療はすべて無料。感染症対策も徹底
北朝鮮の医療制度は、建前ではなく完全無料です。
- 出産費・検診・手術など、基本的にすべて無償。
- 都市部には「ピョンヤン医科大学病院」など大規模な総合病院も。
日本の戦前・戦後の農村と比べても、北朝鮮の基礎医療制度は“国家ぐるみ”で整備されています。
4:芸術・スポーツ・文化の驚くべきレベル
- ピョンヤン音楽大学では、クラシック音楽教育が盛ん。
- フィギュアスケートや体操では国際大会でも活躍。
- 市民は「映画・演劇・オペラ」を楽しむための劇場へもよく足を運びます。
5:それでも人々は「戦争の恐怖」を抱えて生きている
日常に根差した穏やかな生活。けれども人々の心には「戦争」の影が常にあります。
- アメリカとの休戦状態(1953年以降、“終戦”していない)。
- 日本はアメリカ側として“いつでも敵になる”存在。
それゆえに、北朝鮮の教育では「自衛と団結」が繰り返し説かれます。
―― 平壌の教師の言葉
人間の営みを見失うと、私たちはすぐに「戦争を容認する心」に導かれてしまう。
本当に守るべきものとは何か――それを問う必要があります。
第9章 : 日本から見た北朝鮮と“もう一つの鏡”
日本における北朝鮮のイメージは、報道により極端に「脅威」として描かれてきました。ミサイル、核兵器、拉致、独裁国家――これらのキーワードは、誰もが刷り込まれているイメージでしょう。
「1945年までの35年間、日本は朝鮮半島を植民地支配し、北朝鮮地域にも天皇の権威が及んでいた。」 ― 歴史の鏡の中の日本
1945年の敗戦によって、日本は主権国家から“アメリカの前線基地”へと再配置され、同時に北朝鮮は「主権を保持し続けた国家」として、米国の覇権と真正面から対峙する立場を選びました。
日本から見れば「北朝鮮は理解できない存在」であるかもしれません。
けれどそれは、“自分たちが主権を失ったということを自覚していない日本人”自身の現実を映す鏡でもあるのです。
北朝鮮は確かに課題の多い国です。
しかし、日本の抱える問題――言論の不自由、対米従属、再軍備、基地問題など――を直視せずに北朝鮮だけを“悪”と決めつけていては、本当の意味で「平和」や「独立国家の姿」とは何かに辿りつけないでしょう。
第10章 : メディアがつくる“敵国イメージ”の構造へ
私たちが日常的に目にするニュースや報道は、決して中立ではありません。特に国際報道においては、政治的意図や国家戦略と密接に結びついています。
「敵」としての北朝鮮像はどうつくられるか
メディアは北朝鮮を「脅威」として描くことで、軍事費の増額や外交政策の正当化に貢献してきました。ミサイル報道、核開発の懸念、そして「独裁体制」という言葉が繰り返される背景には、情報の取捨選択と意図的な構図化があります。
報道されないもう一つの姿
北朝鮮の文化、教育、医療、地域開発などの面はほとんど報道されません。報じられるのは“軍事的脅威”に限定され、日常の人々の姿は見えないままにされています。
国民感情の操作とその結果
テレビや新聞を通して繰り返される「敵国イメージ」は、やがて国民の感情に刷り込まれ、憎しみや不信という形で固定化されます。その結果として、外交的対話や理解の機会は失われ、「対立の構図」だけが一人歩きすることになるのです。
本当の敵は誰なのか
こうした“敵国イメージ”の背景には、国内統治や国際戦略の都合があります。メディアが描く「脅威の対象」が常に変わるのは、真の敵が他国にあるのではなく、「恐怖によって従わせたい支配構造」が存在するからです。
第11章 : 中国・ロシア・イランから見たアメリカの“自由”という名の支配
アメリカは長年、「自由と民主主義の守護者」を自称し、多くの国々に対して政治・経済・軍事的介入を行ってきました。 しかしその「自由」の正体を、中国・ロシア・イランといった国々はまったく異なる角度から見ています。
🔻中国からの視点:“張り子の虎”と覇権の終焉
毛沢東は冷戦期から一貫して、アメリカを「見かけ倒しの張り子の虎」と呼び、真の力は人民にあると主張しました。現代の中国もまた、米国の覇権的干渉に強く反発し、「NATOのアジア進出は時代錯誤の冷戦戦略だ」として国際的な警鐘を鳴らしています。
🔻ロシアからの視点:“自由”という名の侵略
プーチン大統領は演説の中でこう述べました:
「西洋諸国は、抑圧と搾取、奴隷化と暴力を“民主主義”と称してきた。アメリカは人類史上唯一、核兵器を使用した国である。」
ロシアにとって、アメリカの言う「自由」は、自国の軍事的覇権と体制転覆を正当化するための“隠れ蓑”にすぎません。ウクライナ紛争の背後にも、NATO東進と米国の圧力があったと主張します。
🔻イランからの視点:“レジスタンスの自由”
イランは1979年の革命以降、「アメリカの干渉から脱すること=真の自由」だと位置づけてきました。 経済制裁や体制批判にも屈せず、独立国家としての道を選んだイランにとって、アメリカは“自由を叫びながら介入する国家”です。
🔍「自由」という言葉の再定義
世界の多くの国々が、アメリカの“自由”を選択の自由ではなく、服従の強制と見ています。 その「自由」は本当に世界に求められている価値なのでしょうか?
下の映像はイランの首都、テヘランの、フェレシュテ通りです。
1. The other day I posted someone’s walking tour video of Tehran, and people loved it, so I’m going to post a bunch from around Iran in this thread.
— Yashar Ali 🐘 (@yashar) June 26, 2025
I miss Iran so much that I put these videos on my TV and let them roll for hours.
This is Fereshteh Street, in one of the… pic.twitter.com/spHMInYhdt