健康が全てではないが、健康を失うと全てを失う | ミミコーポレーションのブログ

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【健康が全てではないが、健康を失うと全てを失う】
この言葉が誰の言葉か知りませんが、何度か耳にした事があります。

今年の始め父親が他界しました。70代でしたので、特別な事ではなく、私は病床の様子を見ておらず、彼の苦しみは実際あまり目にしておりません。

妹が現在闘病生活中の為、最近はたまに帰省して、病院に行くわけですが、
入院患者さんというのは皆さんどこか悪いわけで、逆に言えば入院患者の常識から見た場合、健常者で体の機能が全て正常に働くというのは、異常に恵まれている状態とも言えます。
不摂生による病気は自己責任の部分もありますが、遺伝子レベルの病気や不慮の事故などには遭遇していないわけですから、少なくとも運に恵まれています。

【健康を失うと全てを失う】
生まれた時から無意識に呼吸をしていますが、肺気腫などでほぼ24時間呼吸困難な状態になったとしたら、自由に呼吸が出来ていた時の事をどんなに切望する事かと思います。
体の機能が健全に働かない事はやはり大きなハンディキャップと苦しみを負うと思います。

【健康が全てではない】
健康で、長生きして、うまい物食って、経済的に恵まれてもただ保身や自己の欲望を満たすだけではやはり価値のある人生とはいえない。
幸運な状態にあるのであれば、自分の事ばかりではなく、血のつながらない他人の為に、健康な体を使って出来る事を目一杯する。



戦後しばらく続いた日本という国の躁状態に基準を置いて、未来を憂う人もいますが、
高度に進化した資本主義社会ならではの閉塞感や解消しようのないストレスはあったとしても、
徴兵制も無く、多くの国に出国出来て、餓死も、死刑もほとんど無いような国に健康な状態で生きている、という幸運に感謝する必要はないにしても、たまたま幸運な状態にいるという事は自覚しなければならないと思います。

半径5メートル程度の視野しか持たず、自分の事さえもまともに出来ていない私が言うのもおかしい話ですが、死ぬ間際まで資産を増やそうとする年寄りにはなりたくねえなと青い事を思いつつ、上京して初めて田舎で年を越し、妹が束の間でも苦しみを忘れる事が出来ればいいなと考えています。

遠藤康志