メールとリアルの乖離 | ミミコーポレーションのブログ

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私は漢字が書けません。
人並みの教育を受けていないというのが一因だと思います。

「薔薇」
魑魅魍魎」が書けないといったレベルではありません。
「教育」、「一因」は書けますが、乖離の「乖」は書けません。
「代々木公園」は書けるけど「檜町公園」「檜」も微妙に書けません。
「三又又三」は書けるけど藤波辰爾」の最後の字は書けません。

20代で仕事を始めた時には隣に同じ年の元銀行員がいたので、
そいつによく漢字を教えてもらっていました。辞書を引くより早いから。
その同僚は達筆でたいがいの字を教えてくれました。
遊びに行った風俗店で恋に落ちる心の優しい人でした。

もともと漢字の書けない私ですが、ここ十何年間の間に益々書けなくなっている自覚があります。
造形として覚えているので、何となくは書ける、しかし細部がわからない、
書いていないので手が動かない、体が覚えていない。
多分小学生が書く漢字しか自信がない。

これは他の方にもきっと当てはまるんだなと思った事が何度かありました。
東京大学卒の30代の方が凄く簡単な漢字を書けなかったのを見た時は、
ビックリしました。
東大卒の方が漢字を書くのが得意なんて事はないと思いますが、
それにしてもその方は帰国子女でもないので、
やはりもう漢字を書く機能が退化しているんだなと実感しました。

その代わりというか、必要以上に進化しているのがメールの文章ではないかと思います。
メールてのは色んな人とやり取りをし、
盗んだり、コピペする事によりここ何年かで急速に進化を遂げたのではないかと思います。

「幸甚で御座います」
「拝受致しました」
こんな言葉はもともと使った事がありませんでしたが、今はたまに使います。
どこかで見て便利だなと感じて使い始めたと思います。

人間の本質はかしこまってなくても、メールの文章のみドンドンかしこまっていく、書けない文字をメールでのみバンバン使う。
こんなの果たして意味があるのかなとたまに思う。
今風のイントネーションで喋る若者がメールだけ異様に丁寧というのは、
気持ち悪いし、違和感がある。
こんなの英訳できるのかな、外国人に理解できるのかなとも思う。
日本語メールのガラパゴス化ともいえる。

メールの文章だけやたらと丁寧で要望はメチャクチャという方もたまにいる。
それは心から丁寧なのではなく、いいバッグやいい靴を見せびらかすのと同じで、
私はこれほど教養があるのですよ、言葉を知ってますよとアピールしているに過ぎない。
もしくは表面上の武装をしているとも言える。
メールは「声」じゃないので、感情が伝わりにくい、
「書いた文字」ではないので、綺麗か乱暴かもわからない。
コピペしたりググったり、簡単に準備が出来きるので、教養が無くても装いやすい。
しかし、目を凝らし、五感を研ぎ澄ませ何度かやり取りすれば人間性が垣間見えてくる瞬間がある。

そもそも○○様なんて、ホテルや、高級百貨店でもないにの、
使っても使われてもこそばゆい気がする。

退化する物があるば、
進化する物もあるという事だと思いますが、ボチボチこの流れも止まると思います。
行き過ぎた物には必ず反動があるはずですし。

せめて一度会った方には○○様やめて、○○さんにしようかなと思っていますが、
なかなか踏み切れない。
やはり無難な選択でかしこまったふりをしているだけかもしれない。
あまり良くない事なので変えていこうと思ってはいますが。

遠藤康志