苦しみとは何でしょう?
苦しみは人間の証明です。
悩みのない人はいません。
一時的に悩みのない状態にあっても
天気が移りゆくように大小様々な悩みや苦しみに遭うものです。
人間である以上、苦しみからは逃げられません。
じゃあどうすればいいの?
出された食事と一緒。
たとえ美味しかろうと苦かろうと出された食事(現象)は
好き嫌いせずに全部感謝していただくこと!
そして全ての体験を魂の養分として摂取すること♡
好き嫌いして逃避したり、甘い誘惑や煩悩に負けることなく
自分の霊性を一生懸命傾けて目の前の困難苦難に立ち向かうこと。
その姿は気迫に満ちてきます
そうやって生き続けているとやがて霊性が磨かれていき
魂の進化に繋がっていきます。
それは苦しみが喜びに変わるということ。
人間は、苦しみを喜びに変えられる。
だから人間には度々苦しいことがやってくる。
自分の持っている知恵と得意なやり方で苦しみを喜びに変える事そのものが、人として生まれてきた大きな意味があるのだろうと今はわかるようになりました。
私は、子供の頃、親や先生や見知らぬ大人から
精神的&肉体的&性的な虐待と人格否定をことごとく浴びせかけられてきました。
それは自分のホロスコープにもハッキリとでています(月冥王星スクエア&太陽土星スクエア)
なので、この体験は自分でプログラミングしてきたことです。
さて、自分で決めてきたこの一見苦しい体験で私は何を得たでしょう?
まだ何も知恵のない状態の時は恨んでいました。
自分より年上の存在には自動的に閉じていました。
しかし、精神世界を学び進めていくうちに
過去にされたことをいつまでも根に持って恨んでいることは前向きじゃないし
なにより自分がしんどい(笑
多分私が子供の時の大人達は、肉体が大人なだけで中身は未熟だったんだ、と知ることで、しょうがないな、と許せるようになったし、私を犠牲にすることで彼ら彼女らも何かしら学ぶことがあったはずだし、それだったら私のそういう【一見犠牲と見える経験】も彼らにとって大きな意味があったのだと思うと「よかったな」とすら思えるようになりました。
そしてここに来て、一筋の涙と共に自分の魂からわきおこってきた声が
それでもやっぱり人が好き
でした。
されたことをそのまま捉えて被害者意識とか自己憐憫に浸ったままずっとそこで止まっていても何も進みません。
誰しも胸が痛くなって息ができなくなるような苦しかった経験があると思います。
もしそれで動けずにいるなら、知恵をつけて、自分を知って、是非その苦しみを喜びに変えていって欲しいと思い、ブログに書いてみました。
そして私のように苦しみを喜びに変えることができたなら
その経験をブログやSNSやお話でアウトプットすることにより
今どこかで苦しみで動けずにいる人達に奉仕すること。
それが地球に生まれてきた私達人間の責任なのです