今日は、トマムまでアイスビレッジを観に行って来たのですが

 

その事は、後日書くとして。。(笑)


 

今夜は、明日成人式を迎える長男の事をちょっと書こうかなぁ。。

 

長くなるかも知れません。。

 

お時間がありましたら、おつきあいくださいませ。。


 

1990年8月、猛暑の年に予定日よりも1週間も早く3225gで

 

長男は産まれました。

 

とっても良く泣く子で、旦那様の方では初めての内孫。。

 

私の実家の方では、初めての男の子。。

 

両家の父母はとっても喜んでくれました。

 

初めての出産だったけど、実家に帰らず退院しても自宅に戻って

 

育児書片手に、日々奮闘してたと思う。。

 

そんな、長男はよその赤ちゃんよりも何故か成長が早くて・・

 

生後3ヶ月にして下の歯が生え始めて・・w川・o・川w

 

5カ月には寝返りをして・・ズリズリ這いつくばり。。

 

1歳前には自分で点滴のポールをつかまって歩いてたくらいです。

 

私としては、育児書通りには育ってくれる訳は無い息子に

 

毎日、何でこんなに泣くんだろう。。

 

どうして、何で何で??っとオロオロしながら

 

子育てしてたなぁ。。

 

3ヶ月検診の時に、助産婦さんに「この子は太り過ぎだから余りミルクをあげない様に」

 

なんて言われれば、泣いても何してもあげないで我慢させて・・

 

そんな事しながら、3ヶ月に入ってまなしの頃に

 

ミルクを飲ます度に噴水の様に吐いて・・

 

もしかしたら、何か大きな病気かも。。

 

なんて不安になって、近くの病院へ掛け込んで。。

 

生後3ヶ月乳児には見つかりにくい、ミルクアレルギーと診断されて。。

 

それからは、母乳は勿論の事市販のミルクはあげられず

 

ミルクアレルギー用の赤ちゃんのミルクを買って飲ませる事になり

 

それがめちゃ高くて。。ミニ缶しか無いのにその1缶が4000円もして

 

彼のミルク代は月に4万5万してたかなぁ。。

 

そのミルクアレルギーから乳児喘息になり、これまた酷い喘息で

 

毎日の様に病院通いの日々が続きました。。

 

幼稚園に入園するまでは、毎月の様に喘息発作で入退院の繰り返しで

 

その度に、私も一緒に付き添って。。

 

その頃は、もう旦那様とは殆どすれ違い。。

 

って言うか、会話なんて殆ど無かったかも。。

 

旦那様も仕事が忙しい人だったしね。。それに責任の有る立場だったから

 

子供の事で、いちいち会社休んでる訳にもいか無しね。

 

こんな事、次男には絶対言えないけど・・・

 

次男を産む事も、本当は私が長男に執着してしまってる事が

 

喘息を起させる・・いわゆる神経質な子にしてしまうと言う事で

 

主治医から、もうすこし他に目を向けた方が良いと言われて

 

「お子さんをもう一人産んでみては?」って言われたのが

 

次男を産むことにしたんです。。

 

そんな長男も、幼稚園に入ってからは入院はしなくなって来たものの

 

相変わらず、幼稚園が終われば病院に通う日々は続いてて。。

 

彼は、今日元気でも次の日は入院しなきゃならなくなる程

 

急に発作が起きてたので、気が休まる事もなかったし。。

 

小学校に入ってからは、喘息も少しずつだけど良くなり

 

それでも、風邪を引きと直ぐ発作になって。。

 

心配ばかりしてた。。

 

喘息発作だけじゃなく、法定伝染病も掛る掛る。。

 

もう次から次へと。。これでもかって言うくらいに。

 

お陰さまで、今言われてる法定伝染病は全部掛りましたからねぇ。

 

小5の時の百日咳は本当にか可哀想なくらい酷かったなぁ。

 

毎日、点滴に通って・・本人が「入院は嫌だ」って言うから

 

もう掌に針がさせない程毎日病院に通って。。

 

でも、それが最後でそれからは元気になる一方だったけどね。

 

その頃から、今度は毎月の様に骨折して。。

 

中3の受験前に右手首を脱臼骨折して・・・

 

受験までに治して欲しいなんて整形外科の先生を困らせて。。

 

それでも、彼は前期で合格出来ので(横浜は前期と後期がって、前期は成績と面接だけなの)

 

後期の筆記試験は受けなくて済んだので良かったんですけどね。

 

そんな彼は、良い主治医に恵まれて・・良い看護婦さんに恵まれて。。

 

中学に上がる頃には、大分体力もついて発作の回数も減り。

 

中学では卓球部に入部して・・市ではでわりといい成績を残し県大会まで行って。。

 

部長までやらされて・・勉強もそこそこ出来る方でしたので、

 

高校受験も、地元ではわりと有名な進学校へと進む事が出来て・・・

 

高校の部活ではハンドボール部に入り、これまたなんなくこなして

 

レギュラーの座と副部長のポストを頂いてました。

 

そんな感じで、何でもとにかく勉強もスポーツもこなして来たので

 

大学受験の時も、わりと良い大学を目指していたんです。。

 

まぁ、進学校だし周りもみんなレベルが高い大学を受験する事だっだしね。

 

そんな彼が、初めて大学受験で失敗して。挫折を味わい。。

 

なくなく・・滑り止めと決めてた大学に入る事になり

 

彼は、彼で不満もあったみたいだし・・

 

でも、我が家としては浪人は出来ない・・

 

なんせ、次男君とは3つ違いなので、そう何年も重なるのは

 

こちらとしても困るしね。。

 

で、滑り止めの大学に通う事になったんです。。

 

ただ、唯一彼は小中高と、とにかく友達が多かった。。

 

これは、入院生活が長かった分、友達作る事になれがあったんだろうね。。

 

なので、親としては友達に対しては心配無かったかなぁ。。

 

ただね、そんな彼も、大学に入って直ぐの頃は、友達が出来なくて

 

3ヶ月程、一人ぼっちで寂しかったと言ってたなぁ。。大学行きたくねぇ。。とも。

 

彼が入った学部にはどうもオタク系が多く、

 

派手好きな長男としては、「自分に合わない」って決めつけてたからね。

 

そんな事してる内に、なんとか同じ学部に友達が出来て

 

サークルに入って、彼の得意分野の友達作りが始まって

 

今じゃ、何時も友達が側にいてくれてるので

 

親としては、有りがたい事です。

 

そんな、体が弱くて育てるのに必死だった長男が

 

明日成人式を迎えるなんて。。

 

なんだか、早かったような・・あっと言う間だった様な。。

 

ただ言える事は、精神的ににも肉体的にも、周りのサポートがあって

 

彼がここまでこれたんだと思う。。

 

親として、ちょっと後悔してるのは、彼の成人式の日に

 

側にいてあげれなかったって事かなぁ。。

 

そして、沢山の友達に恵まれた・・支えてくれた友達に感謝です。


 

長くなちゃいましたね。

最後までお付き合いがりがとうございます。