子供の頃を振り返るのが思った以上にしんどくて、
少しずつ書いています。

ずっと自分に嘘ついて
ごまかして生きてきたんだなと
実感している4児母mimi4です。

今回も、
学生時代のつづきです。

部活

高校で、私はまた吹奏楽部に入りたいと思った。

しかし
母に反対された。

吹奏楽部に入ったら勉強が出来なくなるという理由だった。

仕方なく、
楽そうで母が許してくれそうな茶道部に入った。

でも、
仲良くなりたかった子はほとんど吹奏楽部だった。

茶道部の子はみんな良い子だったけど、あまり仲良くなれなかった。

吹奏楽部の子達は勉強もバイトも頑張ってて、
私にはキラキラして見えた。

楽しく充実してそうな吹奏楽部の子達が羨ましかった。

挫折

推薦で楽して入った高校。

それまでの私は、
自分で勉強ができる子だと勘違いしていた。

高校2年になる頃には
すっかり授業についていけなくなった。

自分より頭が良い子はたくさんいたし、
勉強が好きな子もたくさんいた。

私は勉強が好きではなかった。

ただ言われるがままにやっていただけ。

だから、ついていけなくなった。

どんどん勉強が嫌いになっていった。

赤点も取って、もう何もしたくなっていた。

ドーナツ

吹奏楽部じゃなくても勉強はできない。

バイトをしたいと言ったけど、
それも許してもらえなかった。

どんどんストレスが溜まって
私は帰りにドーナツを食べるのが日課になった。

相変わらず家では良い子を演じて、
親の言いなりだった。

毎日毎日ドーナツを食べて、
どんどん太って肌荒れがひどくなっても
親は気付かなかった。

たぶん、
私は気付いてほしかったと思う。

私の高校時代に青春なんてなかった。



人間不信

たぶん中学の頃からだろうけど、
私はかなり人間不信になっていた。

基本的にみんな敵だと思っていた。

友達ができても信じられなかった。

友達ができると執着していた。

だから友達は増えないし
仲良くなった友達を不快にさせることもあった。

ある日、クラスの男子に呼び出された。

私の気になってる人だったから嬉しかった。

でも
実際に2人で会ったら怖くなった。

「何かの罰ゲームなんじゃないか。」

結局…とゆうか、当然それきりになってしまった。

コンプレックス

私は自分の外見が大キライだった。

目が小さくて瞼は腫れぼったい。

よく鼻が高いと言われるけど、鼻がデカい。

ずっとポニーテールをしていたせいか、
おでこの生え際は髪が薄い。

目が悪いから目つきが悪い。

そこに
ドーナツの食べ過ぎで「デブ」が加わった。

自己肯定感は最低どころかマイナス。

自分の外見だけじゃなく
内面も含めて自分のことが大キライだった。

立ちくらみ

ある日、
夕食を終えて立ち上がった瞬間

私はそのまま顔面からぶっ倒れた。

自分でも驚いて、
何が起きたか分からなかった。

メガネが壊れてないか心配しながら、
倒れたのを親に見られて恥ずかしくなった。

恥ずかしさをごまかすように
私は痛みをこらえて笑っていた。

無意識だった。

それを見た父は言った。

「何ヘラヘラしてんだ。何も面白くない。」

母は無反応だった。

「ビックリして…ごめんなさい…」

なんで倒れてしまったんだろう。

なんでヘラヘラしてしまっだろう。

それからは
立ちくらみしそうになっても
絶対に倒れないように意識した。

落ち着くまで必死に壁にもたれたりして
目を閉じて神経を集中させる。

立ちくらみや目眩がしても
絶対にヘラヘラしない。

良い子?悪い子?

私のクラスには
ギャルが2人いた。

2人は私に対しても変わらず接してくれた。

私は2人が嫌いじゃなかった。

なんなら、本当は仲良くなりたかった。

でも
私には友達の選び方、作り方が分からなくなっていた。

2人のマネをして
ジャージの裾にチャックを付けた。

母は気付いてなかったけど、
私の唯一の反抗だった。

大学受験

こんなに落ちこぼれても
母はまだ諦めなかった。

というか、私の状態に気付いていなかった。

もう勉強なんてしたくない私に
なんとか私立の大学推薦を取り付けた。

受験勉強しなくて良いならと、
面接だけで入学が決まった。

家から電車を2回乗り換えて学校指定バスで通う学校だった。

言われるがままに
母のレールに乗っていた。

母はよく言った。
「私の言う通りにしてれば大丈夫だから。」



つづく…