心身の不調からの

コロナのような風邪症状にも見舞われ、

本当にこのまま死ぬんじゃないかと

すっかり悲観的な4児母mimi4ですネガティブ


そんな中、

朝から不機嫌な三男よっくんに

「ママがいたらご飯食べたくない!」と

言われました。


悲しい。


元気な時なら

「えー悲しい〜そんなこと言わないで〜」とか

テキトーに返すのに。


「はいはい、いなくなりますよ。」と2階へ。


本当にこのままこの世からいなくなっても良いかなって気持ちになる。


それで子供達が幸せになれるなら本望。


こーゆう会話に対して

夫titiは何も言わない。


聞こえてないのか、何とも思ってないのか、

何も反応しない。




さて、

先日心療内科で「今つらいこと」だけでなく
「私は障害があると思うから調べたい。」と
相談しました。

障害があると思う理由は3つ。
  • 幼少期のこと
  • 学生時代のこと
  • 結婚後のこと

今回は、学生時代のことをお話します。

お手伝いさん

小学生低学年の頃まで
家にはお手伝いさんが来てくれていた。

父はバリバリのサラリーマン。
母もバリバリのキャリアウーマン。

裕福だったと思うが、
家族で食卓を囲んだ記憶がほとんどない。

お正月や来客時など、
そーゆう時は豪勢な楽しい食事だった。

いじめ

小学生の頃、
私はいじめられたらしい。

「あなたがいじめられてるとお姉ちゃんが助けて、それでいじめがなくなったのよニコニコ」とか、

「あなたがいじめられてたから、私がガツン!と言ったらいじめがなくなったのよニコニコ」と、

母はふとしたタイミングで思い出しては何度も話してくれる。

でも、
私には小学生の頃いじめられた記憶がない。

だから、この話を聞く度に複雑な気持ちになる。

ウーパールーパー

小1・2の担任が良くしてくれたのは覚えてる。

その担任は母を贔屓にしてたようで、
結果私にも良くしてくれたのだ。

そんな担任がなぜかウーパールーパーをくれた。

母「担任の先生はいつもあなたを守ってくれて、あなたがいじめられた時にくれたのよ。大事にしてね。ニコニコ

そうなんだ。

私はとてもかわいがって大事に育てた。



    ペット

ウーパールーパー以外にも、

色んなペットを飼っていた。


ビーグルを少しの間だけ飼っていたけど、しつけが大変だったようで、気付いたらいなくなっていた。

その後、ゴールデンレトリバーを飼った。私にはこの犬の記憶しかない。私の癒しだった。この子が13歳、私が18〜19歳のとき亡くなった。


  • ハムスター

部屋の一角にハムスターゲージが4個くらいあって、どんどん繁殖していった。

でも生まれたばかりで食べられてしまう子もいた。ハムスターが共食いするなんて衝撃的だったし、ショックだった。


他にも、ザリガニやカブトムシ、クワガタなど、当時は「命」を飼うなんて意識なく飼っていたと思う。


気持ち悪っ

小学校3〜4年生の頃、
親戚の集まりがあった。

私は、口に手をあてて笑っていた。

食事中だったから、口の中が見えないように。

すると、姉と双子の妹が言った。

「気持ち悪っ…」

冷ややかな目で私を見ながら、周りには聞こえないように。

この日から、私は笑い方が分からなくなった。

特に家では笑わなくなった。

拾われた子

小学生の頃、よく姉と喧嘩をした。

怒った私はハサミやテープなどを投げ付けたり、
姉のノートや教科書をビリビリにしたり、

包丁を向けたこともある。

かなりヤバい奴だった。

当然、怒られるのは私。

妹と喧嘩をしても、怒られるのは私。

そして、怒った母の口癖は
「あなたは橋の下から拾ってきた子だから、こんな子ウチの子じゃない。」

私は本当に拾われた子なんだと信じるようになっていた。

もう嘘をつきません

我が家では、
何かあると廊下に正座させられた。

正座は正直たいしたことなかった。

時々、反省文を書かされる。

ただの反省文じゃない。

「もう嘘をつきません」と100回。

なんの嘘をついたか覚えていない。

「嘘=悪」だと思うようになった。

私は「嘘が大キライ」な人間になった。

習い事

小学生の頃、
たくさん習い事をしていた。

・ピアノ
・バレエ
・水泳
・書道
・そろばん
・ミシン
・英語

どれも中途半端だった。

ピアノは、「先生が怖い」と言って辞めた。姉妹3人で始めて、一番最初に辞めた。

バレエは、「先生の爪が長くて痛い」と言って辞めた。妹と2人でバスで通っていたが、私が妹を道連れにサボって辞めたらしい。

水泳、書道、そろばんは、長く続いたと思う。大会で賞を受賞したり、検定合格もしていた。

ミシンも姉妹の中では一番長く続いた。でも家庭科の成績は良くなかった。

通訳の仕事をしていた母にとって、英語は欠かせない習い事だった。「あなたは英語の先生になるのよニコニコ」が母の口癖だった。だから「将来の夢」には「英語の先生」と書いていた。
当時は英語を話せる子が少なかったので、私も得意気になっていた。

父からビンタ

小学5・6年生の頃、
放課後友達と遊んで帰りが遅くなった。

ちょっとヤンチャな子達といるのが楽しかった。

その日は英語の習い事があったのにサボってしまった。

帰宅すると、
玄関を開けるなり「バチンッ!」

いきなり父に頬をビンタされた。

何がなんだか分からず、
ただひたすら謝った。

痛いし怖い。

私はそんなに悪いことをしてしまったのか…

友達

私の友達をだいたい母は否定した。

「あの子とは遊ばないで。」
「あの子はやめた方が良い。」
「なんであなたはあーゆう子と仲良くなっちゃうの。」

姉や妹の友達のことは褒めていた。

私は友達の作り方が分からなくなった。

ヤンチャな子達が楽しそうで羨ましかった。

家族旅行

小学生の頃は毎年スキーの家族旅行をしていた。

みなさんは、家族旅行の思い出といったら何を思い浮かべるでしょう?

みんなでトランプやUNOをしたり、
もちろんそーゆう時間もあった。

我が家では、
車やリフトに乗っている間は、母がひたすら勉強の問題を出してくる。

母はとにかく勉強熱心だった。

愚痴

家族旅行をするほど仲が良かったのかと思われるかもしれないが、
母はいつも父の愚痴ばかり言っていた。

姉や妹の愚痴をこぼすこともあった。

きっと私がいない時には私のことも言ってただろうと安易に想像がつく。

私達の前でヒステリーを起こして怒鳴り散らすときもあった。

私は母に似てしまったのだと思う。

こうはなりたくないと思っていた部分が似てしまった。



小学生〜専門までをサクッと書こうと思ってたら、長くなってしまいましたアセアセ

続きは次回…