最後の手段で、昨日送ったSNS上のダイレクトメッセージに
思いがけず今日、返信が来た。
彼は話の途中(私にとっては)で、何度も「さようなら」でしめたメールをよこすけれど、
それで終わりにならないことくらい、お互い百も承知のはず。
なぜ、繰り返すのか。それは、私を苦しめたいからなのだろうかと思ってしまう。
「もう甘えたくない。だから会わない。」が通用する件ではもうとうになくなっている。
結局は、察する限り、自尊心の保護のために私を遠ざけたいんだと思う。
もうよりを戻す云々でなくて、けじめの一節で、私自身楽になりたい。
自己嫌悪の渦の中で、自分といると不幸になるというジンクスのようなものを
自分の中で神話化してしまっている彼の、誤解を解きたいだけ。
与えてくれたものはかけがえのないものだったと。
その存在に、何度も救われたと。
だから、もう自分を責めないでと。
伝えたい全てを、伝わっているか見届けて去りたい。
それが叶わないうちに、だた結びに「さようなら」と書かれた何通ものメールでは
やりきれない、終われない。
そこには幾千もの憶測や誤解や思い過ごしが入り込んで、
あるものは都合よく、あるものは果てしなく絶望的に、発信者の意図に関係なく捉えられる。
その弊害を埋めるのが、目を見る行為であり、言葉を尽くす行為であり、
耳を傾ける行為であり、心を尽くす行為であると思う。
片方の勝手な意思で途絶えさせたり、待つ時間が長すぎて
いつまでも結論の得られないツールなど、微塵の意味も持たない。
本当に関係を断ちたいと思うのなら、面と向かってもその気持ちを貫いてほしい。
そうして、その姿で「本当に終りだ」と実感できるのだと思う。
私には今それが必要で、もう、返ってくるかもわからない返信を待ったり
期待や落胆の繰り返しや、それらが入り込む隙間をなくしてしまいたい。
真実の離別が、欲しい。