友人にお借りしたこの本。

来週にはお返しするのだけれど、しばらく温めておきたいような本だった。

著者は賢治さんの後輩であり、後に友人となり、畏友となったと書いてあり、

全編を通して、尊敬する「賢治さん」のエピソードが満載。

 

心優しく、人のために尽くした「賢治さん」のあれこれの話は、読んでいて心が温まった。

昔の教科書にも幾つか掲載されたそうだ。

 

 

 

「雨ニモマケズ」の手帳に書かれた言葉は、賢治さんの生き方そのもの。

自分のことは勘定に入れず、ただ友人、生徒、困っている人たちのために最善を尽くした。

質屋に借金しに来た人には質に入れたものの値段以上に必要なだけお金を渡してしまう。

(お父さんが困って、質屋をやめて金物屋に職替えしたのは有名な話・・。)

 

盗みを働く生徒には、「自分と兄弟になろう」と言い、

「金が欲しかったら兄弟になった俺がやる。だから盗みはしてくれるな。俺の月給は90円だが、入り用なら90円全部やる。何かにつけ、入用もあるだろう。これからは自分が小遣いをやろう。遠慮はいらない。兄弟だからな」と本気でお金を手渡そうとする。

生徒は泣いて謝罪し、「これからは決してしませんから。お金もいりません」と小遣いも辞退。

その後、生徒は何事も賢治先生に相談し、隠し立てをしない明朗な生徒に変わったという。

罰を与えるだけでは、人間は変わらない。

人を変えるのは愛の力である。賢治さんは深い愛の持ち主であった。

 

誰とでも、どんな人とも差別なく交際し、謙遜で、人を非難する事は全くなく、

人の為に心から尽くす人だったようだ。

 

先生としても学識豊かで、授業も明るく詩的なものがあった。

英語の時間など、「7月」という単語を教える時は「クローバー芳し7月の宵」というような句にして教え、知らずしらずのうちに、生徒の心にしみていくようにしたので、どの先生の授業よりも賢治さんの講義が生徒に喜ばれたそうだ。

こんな授業受けてみたいですね〜。

絵もお上手です。

 

クスッと笑える話もあった。

肥料の設計に畑に出かけると、賢治さんは、遅れてやってきて、

「あんまり蕎麦の花が綺麗なのでちょっと蝶々になって飛んでみました」と、さも楽しそうに

両手を広げ、蕎麦の花を撫でるように大きく輪を描いて、飛ぶような格好をして見せたそうだ。

子供の心もずっと持ち続けた人なんだろうと思う。

 

この賢治さん、一昨年、東北旅行に行った際、ウィリアム・モリスとも繋がっていたと知って驚いた。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない・・」で、有名な

「 農民芸術概論要綱」は、モリスの環境芸術の思想を読み、語り伝えたかったからだという。賢治さんにも、モリスの思想が流れているという不思議。

この辺りをもっと調べてみたい。

 

彼が菜食主義者になったのは、 盛岡高等農林学校在学中、隣の獣医科で動物の屠殺実験があり、その「苦しむ動物たちの声を思うとかわいそうで、肉を食べる気にはならなくなった」と書かれていた。

ただ、あまりに自分の生命や身体へのケアに無頓着で、ほとんど食べない日があったり、

寒い日に身体を冷やすこともしばしば。家からの仕送りも送り返し、いつも栄養失調状態であったので、早く亡くなったのも当然だったろう。もっと長生きしてほしかったものだ。

 

心温まるエピソードで、難解な童話のイメージの強かった「賢治さん」に親しみが持てた。