母は24日の抗がん剤開始まで二泊置きにいったん病院へ戻りそのほとんどを家で過ごしました
告知から間もないので受け止められずにいて家に帰ってきてだんだんと現実を知りショック状態で涙する母の姿を想像していました。が、想像以上に母は既に受け止め気持ちをコントロールしていたんだなと
食欲はなかったけど、頑張って食べて眠れずも頑張って寝る
1日四回の目薬もかかさず、涙は見せない。父との会話では、「お母さん髪は抜けないよ!」姉から聞いた話しでは、「わたし死なないよ!」と父に言ったらしい。
入院前、かかりつけの先生から紹介されて違う病院に行った頃も自分に言い聞かせるように「こんなに食べれるんだから、まだ死なないよ。」って
わたしにも「もっといっぱい買ってもらうんだもん」ってあせったように言ったことを思い出した
母は生きたいんだ!膝を悪くし酸素チューブを外せずなんの楽しみもなくなったと言ってきた母でしたが、本当に母はもっともっと生きたいという気持ちでいるんだと感じました。母は肺気腫で在宅酸素になった八年位前、鼻からチューブを外して「こんなの一生やらなきゃいけないなんて…」と泣いていた
そんな母が、外泊中涙を見せなかった
よかった。。その生きたい強い気持ちが治療を拒否せずにこれならきっと頑張ってくれる
そう思いました。
とは言っても明るい母ではなく静か
いつものように朝4時前に起きてきて9時過ぎからお昼までは寝ている。また14時過ぎから18時頃まで寝て起きてくる。夜は23時前に就寝。起きている時はほとんどスカパー!かWOWOWでテニスを観ている
病気のことはあまり話さない母でしたが、唯一の一言は「早くなくなるといいね。お母さんは(癌が)なくなるって信じてる」と左胸をおさえながら私に言った
私もバカで「そうだね!早く消えるといいね!」とか気の利いたことも言えず、「うーんどうかなあ…」なんて
お母さんごめん
本当に母が不安なく抗がん剤を始められるよう元気な気持ちにさせてあげようという思いでいっぱいだった私は何も出来ずにいる自分にイライラ
自分がテンション下がってどうするんだというくらい気持ちが沈んで今までの疲れも溜まりなんにもしてあげられず、入院前とほんとに変わらない日々だった…
ただ、母は頑張って生きたいと思ってることだけは確信した
病院に戻る前の日22日、母は少しでも歩くと言って夜6時過ぎに散歩に行ってくれた。
ただ前と違っていたことに驚き悲しかった。数十メートルで疲れたと言って休み休み歩く母
熱も37℃くらいはあって携帯酸素は2だけど呼吸も苦しく脚もあがらないといった状態
それでも懸命にいつも散歩してたコースを歩ききった
ありがとうお母さん
病院に戻る前の最後のご飯、私の作ったポテトサラダ、あじの干物など頑張って全部食べてくれた
外泊中思ったこと…
母は生きようとしている!頑張れる!
そう思いました

告知から間もないので受け止められずにいて家に帰ってきてだんだんと現実を知りショック状態で涙する母の姿を想像していました。が、想像以上に母は既に受け止め気持ちをコントロールしていたんだなと

食欲はなかったけど、頑張って食べて眠れずも頑張って寝る
1日四回の目薬もかかさず、涙は見せない。父との会話では、「お母さん髪は抜けないよ!」姉から聞いた話しでは、「わたし死なないよ!」と父に言ったらしい。入院前、かかりつけの先生から紹介されて違う病院に行った頃も自分に言い聞かせるように「こんなに食べれるんだから、まだ死なないよ。」って

わたしにも「もっといっぱい買ってもらうんだもん」ってあせったように言ったことを思い出した
母は生きたいんだ!膝を悪くし酸素チューブを外せずなんの楽しみもなくなったと言ってきた母でしたが、本当に母はもっともっと生きたいという気持ちでいるんだと感じました。母は肺気腫で在宅酸素になった八年位前、鼻からチューブを外して「こんなの一生やらなきゃいけないなんて…」と泣いていた
そんな母が、外泊中涙を見せなかった
よかった。。その生きたい強い気持ちが治療を拒否せずにこれならきっと頑張ってくれる
そう思いました。とは言っても明るい母ではなく静か

いつものように朝4時前に起きてきて9時過ぎからお昼までは寝ている。また14時過ぎから18時頃まで寝て起きてくる。夜は23時前に就寝。起きている時はほとんどスカパー!かWOWOWでテニスを観ている

病気のことはあまり話さない母でしたが、唯一の一言は「早くなくなるといいね。お母さんは(癌が)なくなるって信じてる」と左胸をおさえながら私に言った

私もバカで「そうだね!早く消えるといいね!」とか気の利いたことも言えず、「うーんどうかなあ…」なんて

お母さんごめん

本当に母が不安なく抗がん剤を始められるよう元気な気持ちにさせてあげようという思いでいっぱいだった私は何も出来ずにいる自分にイライラ

自分がテンション下がってどうするんだというくらい気持ちが沈んで今までの疲れも溜まりなんにもしてあげられず、入院前とほんとに変わらない日々だった…
ただ、母は頑張って生きたいと思ってることだけは確信した

病院に戻る前の日22日、母は少しでも歩くと言って夜6時過ぎに散歩に行ってくれた。
ただ前と違っていたことに驚き悲しかった。数十メートルで疲れたと言って休み休み歩く母
熱も37℃くらいはあって携帯酸素は2だけど呼吸も苦しく脚もあがらないといった状態
それでも懸命にいつも散歩してたコースを歩ききった

ありがとうお母さん

病院に戻る前の最後のご飯、私の作ったポテトサラダ、あじの干物など頑張って全部食べてくれた

外泊中思ったこと…
母は生きようとしている!頑張れる!
そう思いました

なことを告げて三人で電車で帰りました


母も眠れず、廊下を歩いていたところ看護師さんがきて声をかけてくれて今からでも家に帰ってもいいよと言ってもらったそうです



ルール上、二泊まででいったん病院に戻らなければいけなくて
