そう大層なものではなくブログ作成者自身の覚書程度のものです。
今あるテーマをとりあえず誰向けにどういう趣旨で書いているかを書き残しています。


ただ、そういう想定を知ってもらった方が利用しやすいかな?と思い書きました。取扱い説明書のようなものとして見てもらえるといいと思います。ぜひ利用する際の参考にしてください。


<タイトル:こどもとの対話に役立つはなし>
①このブログについて
→第一は作者自身のため。変更することもあるでしょうから、その過程が残るといいかなという考えです。書き手の頭の中を公開する意味もあります。


②こどもと話すときのポイント
→子どもと接する機会のある大人にむけて書きます。第一義的には親御さんですが、家庭教師や塾でバイトすることになった大学生にも利用できるでしょう。「話し方・伝え方」というよりは、未成熟な人(こどもや後輩など)を相手にしなくてはいけなくなったときの配慮に視点を置きます。


③うまくいく教え方・伝え方
→私は教えるのを仕事にしているのですが、この教えるという行為ってとても素敵なのです。その良さを知ってもらいたい。その対象は、親御さんや先生にとどまらず、学習している子どもたちでもあるのです。そのため、「親御さんにむけて」という以上に「子どもが見ても、なるほど」と思える水準を目指します。教えるときのテクニックや、教える喜びについて触れます。


④話してみたくなる学習コンテンツ
→勉強内容を、面白さ・わかりやすさを念頭に紹介していきます。基本は子どもがよろこびそうな形に加工することを考えています。これをネタに親子で話したりしてもらえれば最高です。


⑤本やニュースを話題にする
→私自身の本やニュースの感想を書いていきます。ただ、単なる感想では面白くないので、親子で話題にするならこういう切り口があるのではないか、といった提案も加えて行いたいと思います。


⑥ふと思いついたちょっとした話題
→上記のカテゴリからは外れるちょっとしたネタを書いていきます。


⑦壮大な理想と妄想・教育革命計画の立案
→思いつきの教育改革の絵図を垂れ流していきます。この理想が妄想で終わるか、現実になるか、今後のがんばり次第でしょうか。
何事も100%分かり合えたり、逆に全く理解できない、ということはありません。


よく考えれば当たり前なんですけど、人間どうしても易きに流れると、100か0か、オールorナッシングで考えてしまうんですよね。


これはどうやら脳の機能の一つらしくて、できるだけ一度判断したことは変えたくない、レッテルを貼ろうとしてしまうそうなんです。


いちいち考えてたら面倒くさいんですよね。それを脳みそが勝手に省力化しちゃう。だからこれは多少しょうがないことです。


それに親や日頃接している大人であれば、「この子はこういう子だな。」「この子はこういうことしそうだな。」だな、という勘所は大体あたります。


だから余計にそのレッテルを使いまわしたくなるんですよね。


ここでいつも思うのは、「分かっている」からこそ、「もしかしたらこの子の分からない部分があるかもしれない」と構えておいた方がよいのではないか、ということです。

多分、わかってる部分があるとしたら、それは常に8~9程度で、あとの1~2くらいは毎度分からないかも、という感覚で相手を注意深く見ておくとよいのです。


そうしないと、心が相手に開いている状態にならないんですよね。「分かっている」つもりでばっかり接するとそれは、その子当人ではなく、その子に貼った自分の中のレッテルと向き合ってるだけになりかねません。


これ恐ろしいのは、レッテルがそこそこ妥当性があるってことだと思うんです。それこそ罠みたいなもんです。


そして、ごくたまにレッテルとは違う行動を子どもがとったときどう判断するか。


やりがちなのが「あんたはそういう人間じゃないでしょ」などと言ってしまうことです。

典型的な例としては、たまに勉強してたら「あら珍しいわね、雨でも降るのかしら」とかやっちゃうパターンです。これ、やられた方は根に持ちますよね(笑)。そして、やる方は悪気なく言っちゃう。


小さな変化というのは、言い換えれば成長ともとることができます。小さな変化を見過ごすことは、成長を見過ごすこと。そして、そこにレッテルを上書きする行為は成長を潰す行為になります。


それはちょっと悲しいですよね。


「分かっている」と思っている人より「分かってないかも」と思っている人の方が、その子のことを理解できるかもしれない、という話。


どうだったでしょう。あなたはお子さんとどのように接していますか?
前回のやつ、今一歩わかりにくいなあと感じたので、図を描き入れてみました。


まずは「➗3」と「➗1/2」の違いについて。
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わられる数が、何かの「わる数」個分だったときに、その何か(つまり1個分)を求めようという話です。


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★一個分に戻す!
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という風によみかえるんですね。


もう一つ違う書き方で「➗3/2」にの方も表現してみました。
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逆数をかけるというところの感覚をイメージしやすいように書き出しました。上に1個分をだすための流れを書き出し、はじめの「~個分」を「わられる数」におきかえたというものです。

上が「6➗1/2」下が「6➗3/2」の図です。


そして次は最初の図のイメージで「6➗3/2」を表現しようとしてみたんですが、なんともしっくり来ない感じになってしまいました。(下の上図)

そこで「一個分に戻す!」を大前提に「➗3/2」を分解して逆にたどっていくという図を考えてみました。(下の下図)

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これは書いてみて新たな発見でしたね。もっと単純に「✖︎と➗は逆の作業」できれいに説明できそうです。

まあこの発見も最初にわり算の「よみかえ」をしたからこそ、進んだ思考といえます。

このように思考を展開すると元々知ってる知識をより深く理解し新しい発見をすることだってあるんです。

説明できることそのものより、こうした考え方ができるんだよ、ということを伝える方が創造性においては大事だと思います。

子どもと一緒に考えていく価値をぜひ見直してみて下さい。

さて、「➗分数」の意味の分からなさの元はどこからスタートしてるのでしょうか?


それを知るために、この問題をもう少しときほぐしてみましょう。
「➗分数」を例えば「➗3/2」としたとき、「➗分子」と「➗分母」に分けることができますね。


この場合だと「➗3」と「➗1/2」に分けられるでしょうか。
おそらく意味不明になる可能性があるのが、後者の「➗分母」「➗1/2」じゃないかと思います。


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ここの問題点は「➗」の「割る」という言葉です。
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「割る」を分割するという意味でとらえると、「整数個に分ける」以外はかなり意味不明な表現となってしまいます。


例:
整数個→  3個に分ける(OK!)
それ以外→ 1/2個に分ける(意味不明・・)


ですからここをなんとかすればうまくいくはずです!
ここで大きな力を発揮するのが「よみかえ」です。



「△➗○」(表現A:△を○でわる)を(表現B:△が何かの○個分だとしたら、その1個分はいくつになる?)というようによみかえてみます。するとどうなるでしょう?


例①:「6➗3」(表現A:6を3でわる)=OK!
(表現B:6が何かの3個分だとしたら、その1個分はいくつになる?)

例②:「6➗1/2」(表現A:6を1/2でわる)=意味不明・・・
(表現B:6が何かの1/2個分だとしたら、その1個分はいくつになる?)
→6が何かの1/2個分なのだから、1個分にするには2倍しなくてはいけない。
→だから「6➗1/2」は「6×2」となる。



どうでしょうか。
例①ですと表現Aでも表現Bでもそれほど違和感がない、というのが大切です。その上で例②に表現Bを適用してみると、そこそこ説明できているように感じる。そうような表現Bをさがしていきます。



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これが「よみかえ」の力です。
こういうのを「定義の拡張」といいます。もしくは「再定義」です。
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何かとらえにくいな、というものがあった場合、こういう手法を使うと、理解や納得が進みます。



ちなみに例②の話を延長して考えると
例③:「6➗3/2」
(表現B:6が何かの3/2個分だとしたら、その1個分はいくつになる?)
→6が何かの3/2個分なのだから、1個分にするにはどうすればいいか?
→3/2個を1個分にするには、逆数の2/3をかけるといい。
→だから「6➗3/2」は「6×2/3」となる。



というように、「なぜ逆数をかけるか?」ということに対して、それなりの説明がつくことになります。もしかしたらまだもう少ししっくりこないという場合があるかもしれません。ここは割合と絡めて考えるとよりわかるようになると思います。そのあたりについてはまた後日触れたいと思います。



ちなみにこの定義の拡張は、中高ふくめちょこちょこ行われます。おそらくこの手ので一番大きいのは正負の概念でしょう。個人的な見解ですが、数学が苦手な子にとって一番の関門が正負の計算です。


ただ、こういう「よみかえ」がそれなりに必要な単元が小学校でしれっとあることは、子どもたちにとっては大きな障害となっていると思います。できれば納得しながら学習をすすめていけるとうれしいですね。その一助になれば幸いです。
小学校の勉強なんて楽勝じゃん♪

なんて皆さん思うかもしれませんが、いざ説明しようとすると結構難しいものもあるんですよ。


いろいろありますが、例えば特に難しいなあ、と感じるのが、「➗分数」ってやつです。


皆さんならどう説明します?


教科書にも説明書いてますが、「なんでそうなるのか」ってところがなんか細かすぎてピンと来ないのが多いんですよね。

まあ操作としては、逆数をかけちゃえばいいんですけど。

だけど「なぜそうなるのか説明する」ということになると「逆数かければいいんだよ」ってのは答えになってないんですよね。


「なんで逆数をかけるの?」ってことです。


だから実はここ「わかる」より「できる」が先行しがちなところなんです。


そして「できる」と「わかっている」と錯覚してしまうものなんですよね。少なくともそれで万事OKとしてしまう風潮ってあります。


ちなみに自分自身は当時「分からなかった」けど、「できて」いました。そしてそのことに何の疑問も持っていなかったのです。


で、その当時、姉が「分からない」「納得いかない」って言っていたのが印象的でした。


その時は、「何訳の分からんとこで固まってるんだろう」と思う反面、「確かにわかんねえな笑」、「そんなこと思いもしなかった」と感心したような気がします。


ここかなり難しい所なんですが、姉のように「納得いかない」から手や思考が止まっちゃうと、確実に算数・数学が苦手になっちゃうんですよね。


かといってどうでしょう。「できる」からって「わかる」ことに対する感受性が鈍るのも、知性として、いただけない気がするんですよ。


「わからない」けど「できる」という状態をモヤモヤしたまま引き受ける。そして「わかる」ように、いろいろ考えていくと、不意に言葉が浮かんだりします。


自分の場合、「どうやって説明しよう??」と考えているときに出て来ることが多いんですよね。だから人に教えようとするのはすごく勉強になるんです。


「なぜこうなるの?」ときかれてうまく説明できない時。無理に説明できなくてもいいと思うんです。

「できてりゃいいじゃん」「つべこべ言わず覚えろ」などと言うよりは一緒に考える方が、ナンボか子どもに寄り添った態度だと思います。


お子さんに教えるときに、大人が一生懸命考えている姿を見せるってのも、たまにはいいんじゃないでしょうか。





さて、ちなみに、私なりの解答は割合の問題を絡めた説明になるのですが…。少し長くなったので次回に回します。ぜひ皆さんも考えてみてください。