話題になった会見から3日たち、広末涼子さんの夫でキャンドルアーティストのキャンドル・ジュンさんが21日、東京・代々木公園でイベント「CANDLE NIGHT TOKYO」を開いたようですね。

 

会見から何日も経っていない事から記者たちも押しかけ取材をしたようですが、これにまた理解不能であったり難解な答え方をして記者だけでなく一般の方をも困惑させてしまっているようです汗

 

それもそうでしょう、会見時には鳥羽氏から謝罪がないことなどにかなり憤っていたのに今日には「もう離婚だとか謝罪だとかどうでもいいんです」と言ったり、「自分がやっていることは、売名行為です」と言ったり…汗

 

そして、何より多くの人が引っ掛かったのが、中傷などが続くなら「命を絶つ」と言った事。

これについては、やはり「愛や平和を願い、争いや戦争の無い未来を掲げ祈る人物が言うべきことではない」という意見が多かったのでしょう「自分が死ぬなんてことはない」と訂正しましたね。

(当然ですむかっビックリマーク

 

多くの人に共感してもらい賛同してもらいたい時の鉄則は「ブレない事」ですが、なぜこんなにこの人はブレブレの事を言ってしまうのかを考察すると色々な側面が見えてきて結局、彼も人間だという事がよくわかります。

 

彼は「自分がやっていることは、売名行為です」と言っていますが、これはただ目立ちたいだけの売名ではなく、自分が主張して活動している愛や平和などに目を向けて欲しいがための売名行動なのだと思うのですが…

 

彼はここで大きなミスをしています。

 

それは「誰かに何かを求める場合、取引材料に『命』を使ってはいけない」という事です。

 

これは、ある意味 命を盾にしているからです。

 

今回の発言を聞いて、何とも言えないもやもやした気分になったり、不愉快になったりするのは「命」を売名の取引材料にしたからです。

 

特にこの方、愛や平和を謳って活動しているのに命を軽んじた発言をしたわけですから、そりゃ聞いた人たちは嫌~な気持ちにもなりますよ汗

 

ただ、このキャンドル・ジュンさんと言う方は視覚的な芸術家で作詞家や詩人、小説家のような言葉を操る芸術家ではありません。

 

視覚的に訴えようとするものはインパクトはありますが、細かなところまでは伝わりません。

反対に言葉で伝えるものは、言葉自体の知識が必要で読み解くには時間もかかりますが、細かい事まで伝える事が出来ます。

 

つまり、あの会見を開くと各メディアに知らせたところ、思わぬ反響で、自分でも知らず知らずのうちに高揚したり、興奮したりしていたのではないかと思います。

それが証拠に、会見で話すつもりが無かったプライベートな事を「話しちゃった…」とつぶやく場面が報じられていますね。

 

いつもと違うシチュエーションで、それを自分が主催し牽引しなければならない時は緊張もするでしょうし、興奮も高揚もするでしょう。

それが普段の視覚からの伝え方ではなく、言葉を使ってならば尚更、注意しなければならなかったのですが…

 

自分に注目してくれる事、記者たちが自分の要求に従ってくれる事で舞い上がってしまったのでしょう、そこに「あわよくば愛や平和に関心を持ってくれるのでは…という「欲」が出て来てしまった結果があの「命を絶つ」発言に繋がったのではないかと思います。

 

長年、愛や平和について活動している人でも、緊張や高揚、興奮が混在し、いつもと違うシチュエーションになると「心の隙」が出来てそんな隙間から「欲」がスルリと入って来る…そんな場面を今回見た気がします。

 

クローバークローバークローバークローバークローバークローバー

 

怪物と戦う者は、みずからも怪物とならぬように心せよ。

深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。

 

これは、有名なドイツの哲学者ニーチェの著書「善悪の彼岸」の第146節です。

 

哲学や心理学、アニメに詳しい方ならお馴染みの言葉でもありますね。

 

意味としては、早い話し「ミイラ取りがミイラになる」なよって事です。

 

どんなに尊い事をしていても、ほんの少しの過信や慢心や高揚が心の隙を生みその後の後悔に繋がる事になります。

 

今、彼も軽はずみに「命」を口に出してしまった事を後悔しているかもしれませんね。

 

私たちも、慣れない場所、慣れないシチュエーションで興奮したり、高揚したりする事があるかも知れませんが、どこかで「あれ汗私、いま、凄く舞い上がってるな…汗」と冷静に見る自分を手放さないように注意したいですね。

 

 

 

このお話が誰かの心のヒントになれば幸いですラブラブ

 

 

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