常識とは、
「普通、一般人が持ち、また持っているべき知識。
専門的知識でない一般的知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む(広辞苑)」とあります。
「社会的に当たり前と思われる行為、その他物事のこと。社会通念」ともいう。う~~ん。
〇〇べき!という言葉で同じような人間を創り出すキーワードな気がします。
当たり前と思うことができていない人たちは、一般人ではないのだろうか???
ある時、私は常識人になろうと思ったことがあって、(ふふふバカでしょ)
それが間違いの始まりだったってことに気づく。
時代が変わって、思考の方向性が同じ人たちの中にいると
世間一般とは違う常識の中にいる。
狭い世界にいるとその狭い世界の常識にとらわれ、
その常識自体時代遅れになっていたり、
誰かの都合いい状況に取り込まれていたりすることに気がつかない。
言葉の意味で理解したいときに、よくAIチャット君と話をする。
AIチャット君にいろいろ聞いてみたら
一般常識を持つことは、日常生活や社会でスムーズにコミュニケーションを取るためにも重要です。
【これらの能力に基づいて、適切な情報を理解し、事実に基づいた判断を下し、適切な行動をとることができます。
例えば、他の人との会話や職場での仕事、または問題解決など様々な場面で、理解力、判断力、思慮分別が必要とされます。】
理解力、判断力、思慮分別のこの三つは、
持っているべき!という考え方によって
しなければならないという枠に入れられてしまう、もしくは自分からその枠に入っていってしまう。
その理解力、判断力、思慮分別は、良識からきているものなのか、ご都合的なのか、状況によって変わると思う。
常識という洗脳に入ると、これが常識コンフォートゾーンを作り
正常性バイアスに入ってしまいがち。
例えば7月にイギリスに行き、行動する行為、
出るかで出ないかわからないクロップサークルを探しに行くのは
常識的には考えられないことでしょう。
出現する!と狙いを定めて行く。
すでに入った気になってる(笑)
それってワクワク感満載で、なんだかいいホルモンが出てきている感じがする~
自分の常識はきっと他人の非常識。
誰にも迷惑かけていないけど、
この考え方が私の常識を創り出しているんだろう。