つづきです。
母が亡くなって、
驚いたことがある。
いつか、この日がやってくると
1年以上前からわかっていたのに
心の準備は出来ていたはずなのに
もうすっかり大人なのに
離れて暮らしているのに
昔から自立していた方だと思っていたのに
こんなにもこんなにも
自分の一部が無くなるような
感覚になるなんて
思いもしなかった。
そして、それが自分で思うよりも
ずっと長く続くことも
知らなかった。
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わたしのお仕事は
わたし自身が商品でもあり
内側から湧き上がってくる
溢れ出てくる何かを
カタチにすることで成り立っていたから
初めてのこの状況に戸惑っていた。
というのも、
今までのわたしという概念が
くるっとひっくり返って
その中庸にずっといるから。
今までの様に
わたしはこう思う
わたしがこれを伝えたい
引き上げよう、変えよう
というような熱い思いが
一瞬で消えてしまった。
一体わたしは何を伝えて行けばいいの?
わたしが今まだ、ここにいる意味って何?
初めて立ち止まった。
何もしない、を選択した。
まだ、涙は止まらなかった。
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幸いにもわたしには家族がいるから、
子供達や夫に随分助けられた。
わたしの居場所はあったし、
子供たちにとっては
わたしが母だから
その役割もあった。
本当ならもう一度実家へ行って、
母の身の回りの物を整理するはずだったのだけど
そうすることを考えるだけで
悲しみが溢れてきてしまうから
一旦保留。
いつまで悲しいって言っていいんだろう?
いつまで寂しいって言っていいんだろう?
恥ずかしいことなんてない。
いつまでだっていいじゃないか、
悲しいと思うなら、
寂しいと思うなら、
いつまでだってそう感じていてもいいじゃないか。
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この頃から、
わたしの表現したいものが
とても抽象的で枠もなく
一言で言えるものでもないんだと気付いた。
わたしが表現したいのは、
みんなそれぞれが
ただのひかり、命そのものであるということ。
何かのやり方を伝えるのではなくて、
わたしがわたしを生きるとき
ひかりに触れた人が勝手に気付いていく
今度はわたしがひかりのバトンを渡そう。
何が良い、何が悪い
そこも越えて
もっともっと命そのものを
感じて生きようよ。
あなたをつくっているのは
愛とひかりだって気付こうよ。
表面的なところをすくい上げた
愛だね、ひかりだねって話じゃなくて
対になって出てくる闇も含めて
やっぱり愛だよね、
消さずにそのままひかりで包んでもいいよね。
言葉で伝えるのは難しいけど、
自分の中では腑に落ちた。
と同時に、
今までの全部をリセットしたくなった。
もう全部、やめちゃおうかなって。
つづく。