JIDAIの「食べて」「動いて」「考えて」

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〜マイムから心と身体の平和を〜心態表現としての身体表現「オーガニックマイム」を主宰しています。

Amebaでブログを始めよう!
これまで、アメーバブログに訪れていただきまして
ありがとうございました。

馴れないアメーバブログを続けてきましたが、以前より続けておりました
ヤフーブログのみで続けていくことにしました。
楽しみにしていただいていた方には」、申し訳ありませんが、
ヤフーブログでお会い出来ればと思います。

今回の記事は

『心と身体がバラバラのままでは・・・』

引き続き、よろしくお願い致します。



2月14日(金)21時



Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!




マイムから心と身体の平和を


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日本アートマイム協会

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姿勢を良くしたい、動きをよくしたい、故障しづらい身体になりたい・・・
そんな時、どういう人、どういうところに行きますか?


オーソドックスなところとしては、
フィットネススタジオや、ヨガやピラティスでしょうか?


中には、武術系のところに行く人もいるでしょうし、
治療的意味合いもあって、ボディワーク系のところに行く人もいると思うんですね。


で、この武術系やボディワーク系のところでは、
まるで手品のようなことをしてもらうことがある
んですね。


何だかよく分からないけれど、
言われるままに動いてみたら、あるいは意識するだけで、
良い動きになってしまったり、力が出たりなどなど。


「え~っ!???どうして~???」


となって、つい笑ってしまう。

そんな光景がよくあります。


これを読んで下さっている方には、
経験されている方、いらっしゃるかもしれませんね。



そして、その手品師のような人に大抵言われることが、



「意識して身体を動かそうとすると上手くいきません。」


「身体は自然に動くようになっています。」




このこと、皆さんはどう思われますか?


確かに、その場では言われるがままにやって、上手くいった。

けれど、家に帰ってもう一度やってみると、「あれ?」という感じになり、何日か経つと、まるっきり出来なくなっている。


けれど、

身に付けるための練習法みたいなものが無い・・・


なにせ、


「意識して身体を動かそうとすると上手くいきません。」


「身体は自然に動くようになっています。」


の世界ですから。。。




と、ちょっと話をずらしまして、、、


本当の手品って、大掛かりなものでなくても、ちょっとしたのでも面白いですよね。
本当にワケが分かりません。

ワケが分からないからこそ、惹かれてしまう。


自分で何とか手品が出来るようになりたいと思って、
トランプをいじったり、コインをいじったりしましても、上手くいきませんよね?

中には、細工を施した手品専用の道具がなければ、
どうしようもないものもありますしね。


あるいは、手品師に手を添えてもらいながらならば、出来るかもしれません。

けれど、それも本当のネタのところや難しい技術は、
手品師が代わりにやってくれているからだったりしますよね。



で、お話を戻しまして、身体の動きのことって、
確かに”意識してない時の方が良い”という言い方も出来るんです。


ただ、私はそれはあくまで結果だと思ってるんですね。


手品師・・・きっと、凄くいい時って、
本人が自分が自分の手品にびっくりしてしまうくらいに、
無意識で動けてる時だと思うんです。


スポーツ選手でもそうですよね。物凄くいいプレーをした時のことを、
あの時は無我夢中で、何も考えていませんでした。」って。



つまり、”意識してない時の方が良い”とは言いましても、
それは、意識して意識して、また意識しての向こう側の世界のことだと思うんです。

意識出来なくていいわけではないと思うんですね。



ですから、もし私が手品師であれば、
生徒さんたちには手品に必要な技術を教えます。
手品専用の道具がどこに行けば買えるかも教えます。


手品に必要な技術の効果的な練習法も、
(相手の受け入れの準備に応じて)知り得る限り伝えます。


そして、その技術や練習が、他の手品にも有効であることを伝え、
実践してみせ、実践させていきます。


さらに、その技術や練習が、手品とは関係無い分野でも有効であることを伝え、
実感してもらえるようにしていきます。

そのことで、より技術が高まる可能性がありますし、
練習する機会が手品の練習の時以外に広がります。



こうしていきますと、私から離れて自分で練習法を考えられるようになります。

その練習法が合っているとか間違っているとか、それは問題ではありません。

教わったことをただ繰り返すような練習は、練習ではありません。
それは、調教されている動物と同じです。

自分で練習法を考えられるというのは、様々な疑問を持っているから出来ること。

そういう疑問を持てるように、指導する側は導いていかなければならない。

(もちろん、最初のうちは疑問の持ちようもないですから、
言われるがままにやる期間はあります。)




その上で、その生徒さんがどのような手品を行なうのかは、
あなた次第だと分からせるようにします。

(もちろん、師匠の真似の期間はそれぞれの人に応じて、いろいろでしょうけれど。)





身体のことも、私は同じように考えていますし、心の方も同じです。


心も素直に行けばいいのかもしれませんが、
そうは育ってこなかった人間にとって、
ただ素直な状態というのはこういうことだよと、
ある特定の場で経験させてもらっただけでは、弱いと思うんです。


どうしたらその状態になれるのか?
徹底して自分の心を見つめる必要があると思うんですね。
どんな時にどんな風に自分の心が動くのか?
そして、それをどうしたら良い方向に動かすことが出来るのか?

(何をもって良いとするのか?が、問題になってきますから、
それは学習する必要があります。)


そんな先に、自分でも意識してなかったのに、良い心の動きが現れていた!
なんていう経験が待っているのではないかと思うんです。




心にしても身体にしても、本人が徹底して意識的になることで、
悪さが起きたときにも、人に頼るのではなく、
自分でいろいろと考えられるようになると、私は思っています。


人に頼って悪さを消し去ることよりも、合っていようと間違っていようと、
自分で考えて試してみることに価値があると思うんです。



もちろん、私はみんなが良い身体、良い動きになって欲しいとは思っていますけれど、
それよりももっともっと根本的に大事なことは、
各自が自分の心と身体に責任を持とうとすること。

(”責任を持つこと”と言い切らないのは、
医者などの他人を頼ることもあったっていいと考えているので。)


そのために、


自分の心と身体って、
こんなに深く、繊細に感じられるんだ!
意識出来るものなんだ!


ということを、たくさん味わってもらうことが、力になると思っているんです。

自分の心と身体に可能性を見出せると思うんです。



私はマイムが素晴らしいなと思いますのは、
この感じる、意識的になるということが、
心の面でも、身体の面でも行なえるからなんです。

しかも、独りよがりにならず済むようになっている。

マイムを人前で演じれば、全てが晒されてしまいますから。


(マイムは具体的な動きをしますから、
人の目といいますか、人の感覚をごまかせませんし、
言葉が無いので、心の状態が読み取られてしまいやすいんです。)



最後に。


無意識を視野に入れつつ、意識的にしていく。

そのために、心と身体以外のところにも意識を向ける。


そんなこともお伝えしています。



・・・なんだかこう書いてきますと、クラスではえらく難しいことを、
しかめっ面してやってるうな印象になってしまうかなぁ。。。



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今回はパントマイムの演技や動きについての、少々マニアックなお話。


MASHさんという素敵な歌手の

「トムソーヤ」

という曲のミュージックビデオに出演させていただいたのですが、
この映像4分15秒あたりからの風船のマイム。



引っ張ってゴムの感じを確かめている動作が、2回出てきます。

1回目は縦に。2回目は横で。


1回目では、ただゴムの感じを出しているだけですが、

2回目の横の時には、ゴムの感じを出しつつ、
何かを考えている(思考を巡らせている)動きをプラスしています。

目線とか、頭の動きに注目してしみて下さい。



さて、これが何を意味するのか?



今回、ここのマイムで表現すべきことは、2つ。



(1)今、手にしているのはゴム(風船)ですよ、ということ。


(2)何かを考えている(思考を巡らせている)んですよ、ということ。




まず、(1)のゴムですよ、ですけれど、

ビヨヨ~ンという動きを何回行うのが良いのか?


1回では少な過ぎなんですね。


ここは、見る人にとって、何を手にしたのか全く予測出来ない状態。

ですから、1回ですと理解出来るかどうか微妙なところですよね。

「えっ?今の動きは何だったの??」

となってしまう可能性が高いわけです。


もし分かったとしましても、短い時間での小さな動きですから、どこかに

「もしかしたら違うかも・・・」

という疑念は残っていて、要するに自分の判断に安心感はない状態なんです。



では3回(以上)行なうのはどうか?


基本的には4回以上行なうということは、ないんですね。

3回行えば、ほぼ全員が理解出来ますから、
それ以上同じ説明を繰り返すことは、冗長になってしまいます。

見ている人は、

「もう分かったよぉ、、、さっさと次のことやってよぉ。」

となってしまうってことですね。


けれど、今回の演技では3回は必要無いと判断しました。

必要無いといいますか、3回でも多いと思ったんですね。

それは演技全体のテンポ(ストーリー展開のスピード)からみて、
3回ではそれこそ

「また、同じことやってるよぉ。。。」

となってしまうと思ったからです。


試しに、この映像を見て、3回行っているところを想像してみて下さいね。

何か感じるところがあると思いますよ。



ということで、2回に決定。



で、次の(2)何かを考えている(思考を巡らせている)んですよ、というところ。


これを、どのタイミングで行なうか?

やはり、2つあります。


(2-1)(1)のゴムですよ、が終わった後


(2-2)(1)のゴムですよ、の最中



ちなみに、(1)の前というのはあり得ませんね。

まだ何を手にしたのかを、
判明させる(見ている人に提示する)前に考え始めるなんてことはありませんものね。


もし、前に行なってしまいますと、ピエロの内面での声が


「これは何? これはゴム(風船)。」


となってしまいますでしょ?



ここでは、


「これはゴム(風船)。どうしよう?」


でなければ、困りますからね。



では、後か最中か?


これは、どちらも可能です。



けれど、やはり違いは当然ありまして、だからこそ(2-2)の最中を選択したんですね。


どんな違いがあるのか?


後というのは、分かりやすいんです。


1つの動作に対して、1つの情報しか載せていない。

つまり、ひとつひとつ丁寧に説明しているわけですから、
見ている人にとって情報の見落としが少なくて済む。


ただ、その分、幼い感じになるんですね。

小さな子どもにお話を聞かせているような感じ。



それに対しまして、最中といいますのは、

1つの動作に対して、複数(この場合は2つ)の情報を載せることです。


これには注意が必要でして、情報を詰め込み過ぎては、
結局どの情報も伝わらないことになってしまいますし、
技量によっては、たとえ2つであっても、何だかよく分からない動きで、
見ている人を困惑の渦に巻き込むことになってしまいます。


けれど、
上手くいきますと、単なる情報の伝達という感じではなくなってきます。


お話を聞かせている感じではなくなり、

”お話を感じさせる”というようになるんですね。



1つの動作に対して、1つの情報しか載せていない動作が多くなりますと、
ジェスチャー(情報伝達)的になっていきますが、
複数の情報を載せた動作が多くなりますと、マイム(表現)になってくる。



ということで、最中に決定。


さて、ここでも試しに、映像を見て、ゴムですよだけを2回行って、
その後、考えていますという動作をしたところを想像してみて下さい。

(考えています、の時、手はどうしたらいいでしょうね?風船はどうするか?)



こういったことの結果、
(1)今、手にしているのはゴム(風船)ですよ、の動作の2回目を行ないながら、
(2)何かを考えている(思考を巡らせている)んですよ、を表現することになったんです。



長くなりましたね。。。

(この手のお話は、今回限り。最初で最後ですね。)

何かしら参考になることがあれば幸いです。




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ある頃から
「ボディワーク」
という言葉が一般的になってきたような感じがするんですけど、
それでも、分ったような分らないようなという感じだと思うんですね。

皆さんはどうですか?


ボディワークといいますのは、
整体やカイロのような治療的な側面もありますし、
いわゆるトレーニング的な側面もありますから、
何だかよく分らなくて当然だと思うんです。

私も正直、はっきりとは分りません。
言葉の定義の問題もありますしね。


大雑把な捉え方でいきますと、
非常に繊細な治療的トレーニングといったところでしょうか?


まぁ、けれど、スポーツ的なトレーニングという感じではないでしょうから、
リハビリに近い感じかもしれませんよね。



ボディワークには治療的側面があるのは間違いないのですけど、
決して受け身ではあり得ない。
受ける人が必ず能動的にかかわる必要があるんです。
単純なところでは、自分で動くということですね。

もし、動かないにしましても、
自分の身体への認識を高めるということはとても重要な要素です。


で、トレーニング的側面の方はと言いますと、
トレーニングは一般的に意識が外に向いていまして、
時間や重さなど、測定可能なもので自分の動きを見ていくわけですけれど、
ボディワークでは基本的に意識は内に向きます。
自分の感覚と向き合う感じですね。
何かの機器で測定した結果を頼りにするようなものではないんです。

(その意味では、リハビリはボディワークではなく、トレーニングだと思うんです。)



つまり、 ボディワークといいますのは、私なりに解釈しますと

「自分の感覚に目を向けながら能動的に、

治療的に自己の身体認識を高めるための繊細な動作をする。」


というもの。


別の言い方をしますと、


「自分の身体に対する動作の再教育」


ということ。



ですから、スポーツなどをされている人に多い、
「体を動かすことイコール、体を鍛えること」といった認識の人にとっては、
ボディワークには戸惑いを覚えることが多いと思うんです。

まぁ、要するに、何をしているのかよく分らない、物足りないという感じですね。

あるいは、再教育なんてされたくないという潜在的な気持ちが、
ボディワークを受けつつも実は拒否しているなんてこともあり得ますよね。


一方、特に目的も無く、
「何だかあまり大変なことをせずに、体が良くなるかも?」
という感じで、普段体を動かさない人がボディワークを受けますと、
その効果が残っている間はいいんですけど、
それは雲を掴むような感じであるために、本来能動的であるにもかかわらず、
どこか受け身的になってしまいやすいと思うんです。

教えてもらって、感じさせてもらって安心してしまいやすいんでしょうね。


やはり、ボディワークは目的意識をしっかり持っている、
それによって何を達成したいのかがはっきりしている、ということが、
その効果を最大に発揮させるための大きなポイントだと、私は思うんです。

ボディワークは目的ではなく、手段な訳ですからね。



ちなみに、私のレッスンは、
このボディワークというものをトレーニングのように
身体を動かしながら達成してく
感じです。


それはどうしてか?と言いますと、
ひとつには、繊細で分りづらいということで、
ボディワークの持つ素晴らしさを遠ざけてしまわないで欲しいんですね。

そのために、身体をはっきりと動かす要素をふんだんに取り入れるんです。


もうひとつには、特別な目的意識を持っていずとも、
身体を動かすことの楽しさを味わってもらいつつ、
その人が自分で思っている以上の自然で自由な動きを手にして欲しい
と思うからなんです。


そして、最後に。(これが一番大きな要因かな?)

速い動き、力の必要な動きといった、スポーツでもダンスでも
実践的な場面でボディワークの良さを本当に発揮出来るようになって欲しい
からなんです。

(そういう場面って、結局ついそれまでの身体の使い方に戻ってしまうんですよね。)


つまり、トレーニングもします、ボディワークもします、といったことではなく、
トレーニングがそのままボディワークであるようになってるんです。


この辺りのことは、眉唾ものと思われる方もいらっしゃるとは思いますけれど、
ほとんどの生徒さんに実感してもらっているのは事実なんですよ。


ただ、それだけに、生徒さんたちが他の誰かに勧める際、
上手く伝えられないというもどかしさを感じてしまうんです。。。



いわゆるボディワークでもなければ、いわゆるトレーニングでもない。

けれど、ボディワークであり、トレーニングである。


(それで、仕方なく「JIDAIメソッド」なんて言ってるんですね。)




まぁ、それはそれとしまして、話を戻しまして、
身体を動かすことの大切さは周知のことですけれど、
そこにボディワークの要素が当たり前のように入ってくるといいなと思うんです。


無駄な間違った方向への努力をしなくて済みますし、
故障やケガ、慢性痛といったものから縁遠くなれますし、
他の分野への応用の効く身体になりますし、
根性論、精神論からの脱却にもつながりますし、
自分の身体とのつき合い方、見方を通して、外の世界との接し方も変わってきますし、
自分の心とのつき合い方も変わってきますし・・・


・・・いいこと、いろいろですね(笑)



ちなみに、JIDAIメソッド トータルボディコンディショニング」は、
この辺りのこと、たっぷり味わえますよ。

一緒に楽しませんか?


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『表現をしたくない人、表現が苦手な人のための

表現ワークショップ』


前回ご参加いただいた方も、さらに楽しく、深く味わっていただけます。


日時:2月16日(日)朝9:30~11:30


会場:東急東横線・目黒線・多摩川線
 
「多摩川」駅 徒歩4分


参加資格:表現したくない人、
表現が苦手な人ならどなたでも
(高校生以上)

      

内容:体をリラックスさせる 

体を目覚めさせる 

しっかりと呼吸してみる

    メビウスの輪の呼吸を体験してみる

    エモーショナル・ボディワークを体験してみる

・・・
etc.



実は、私JIDAIは人前でパントマイムをしたくて始めたわけではありません。

人前で何かを表現するなんて、全く考えられませんでしたし、興味もありませんでした。

当然、表現することは苦手でした。

(ありがたいことに、今や、誰も信じてくれませんが・・・)


けれど、こうして舞台でマイムを演じるようになって、分ったんです。

実際に人前で演じるかどうかは別としても、

人は生きている以上、心と身体のどちらも動きたがっていて、

それは気持ちを思いっきり身体で表現したがっているのだと。


ところが、私もそうだったんですけど、

頭で考え過ぎてしまって、心と身体がばらばらになってしまい、

いざ気持ちを出そうとしても、身体が動かないので、気持ちが上滑りしてしまう。


あるいは、お芝居、歌、楽器演奏など何でもですが、

上手く気持ちを作れないというのも、やはり身体が上手く動かないために、

何だか気持ちばかりが頑張らなければならず、

恥ずかしくなってしまったり、逆に冷めてしまったりするんですね。


このワークショップは何も人前での上手な表現を目指そう!というのではありません。

(上手になっちゃうんですけどね。)

普段、頭でっかちになって、自分の気持ちを抑え過ぎているのを、

身体を使って流れを良くしようというものです。

運動神経は関係ありません。

心の動きを良くするための、体の運動です。


マイムは言葉を使いませんから、頭が休んでくれて、

より本能的なところと結びつきやすいんです。

さらに、私が独自に編み出した呼吸や空間に対する意識の仕方が、

あなたの気持ちをサポートしてくれます。


どうぞ、安心してご参加下さい。



受講料:6500円

(早期割引:10月末までにお申込み・お支払いの場合、6000円)

(過去のワークショップ参加経験者割引:6000円)

 お申込みいただいた後、お支払い方法などについてご連絡申し上げます。


お申込み・お問い合わせ:jidai-@nifty.comJIDAIまで)

 お名前(フルネーム)、PCからのメールが受信可能な連絡先を明記下さい。

 2~3日内に返信メールが届かない場合は、
迷惑メール扱いになっている可能性もありますので、まずはご確認下さい。
それでも届いていない場合は、お手数ですが再度ご連絡願います。





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