姿勢を良くしたい、動きをよくしたい、故障しづらい身体になりたい・・・
そんな時、どういう人、どういうところに行きますか?
オーソドックスなところとしては、
フィットネススタジオや、ヨガやピラティスでしょうか?
中には、武術系のところに行く人もいるでしょうし、
治療的意味合いもあって、ボディワーク系のところに行く人もいると思うんですね。
で、この武術系やボディワーク系のところでは、
まるで手品のようなことをしてもらうことがあるんですね。
何だかよく分からないけれど、
言われるままに動いてみたら、あるいは意識するだけで、
良い動きになってしまったり、力が出たりなどなど。
「え~っ!???どうして~???」
となって、つい笑ってしまう。
そんな光景がよくあります。
これを読んで下さっている方には、
経験されている方、いらっしゃるかもしれませんね。
そして、その手品師のような人に大抵言われることが、
「意識して身体を動かそうとすると上手くいきません。」
「身体は自然に動くようになっています。」
このこと、皆さんはどう思われますか?
確かに、その場では言われるがままにやって、上手くいった。
けれど、家に帰ってもう一度やってみると、「あれ?」という感じになり、何日か経つと、まるっきり出来なくなっている。
けれど、
身に付けるための練習法みたいなものが無い・・・
なにせ、
「意識して身体を動かそうとすると上手くいきません。」
「身体は自然に動くようになっています。」
の世界ですから。。。
と、ちょっと話をずらしまして、、、
本当の手品って、大掛かりなものでなくても、ちょっとしたのでも面白いですよね。
本当にワケが分かりません。
ワケが分からないからこそ、惹かれてしまう。
自分で何とか手品が出来るようになりたいと思って、
トランプをいじったり、コインをいじったりしましても、上手くいきませんよね?
中には、細工を施した手品専用の道具がなければ、
どうしようもないものもありますしね。
あるいは、手品師に手を添えてもらいながらならば、出来るかもしれません。
けれど、それも本当のネタのところや難しい技術は、
手品師が代わりにやってくれているからだったりしますよね。
で、お話を戻しまして、身体の動きのことって、
確かに”意識してない時の方が良い”という言い方も出来るんです。
ただ、私はそれはあくまで結果だと思ってるんですね。
手品師・・・きっと、凄くいい時って、
本人が自分が自分の手品にびっくりしてしまうくらいに、
無意識で動けてる時だと思うんです。
スポーツ選手でもそうですよね。物凄くいいプレーをした時のことを、
「あの時は無我夢中で、何も考えていませんでした。」って。
つまり、”意識してない時の方が良い”とは言いましても、
それは、意識して意識して、また意識しての向こう側の世界のことだと思うんです。
意識出来なくていいわけではないと思うんですね。
ですから、もし私が手品師であれば、
生徒さんたちには手品に必要な技術を教えます。
手品専用の道具がどこに行けば買えるかも教えます。
手品に必要な技術の効果的な練習法も、
(相手の受け入れの準備に応じて)知り得る限り伝えます。
そして、その技術や練習が、他の手品にも有効であることを伝え、
実践してみせ、実践させていきます。
さらに、その技術や練習が、手品とは関係無い分野でも有効であることを伝え、
実感してもらえるようにしていきます。
そのことで、より技術が高まる可能性がありますし、
練習する機会が手品の練習の時以外に広がります。
こうしていきますと、私から離れて自分で練習法を考えられるようになります。
その練習法が合っているとか間違っているとか、それは問題ではありません。
教わったことをただ繰り返すような練習は、練習ではありません。
それは、調教されている動物と同じです。
自分で練習法を考えられるというのは、様々な疑問を持っているから出来ること。
そういう疑問を持てるように、指導する側は導いていかなければならない。
(もちろん、最初のうちは疑問の持ちようもないですから、
言われるがままにやる期間はあります。)
その上で、その生徒さんがどのような手品を行なうのかは、
あなた次第だと分からせるようにします。
(もちろん、師匠の真似の期間はそれぞれの人に応じて、いろいろでしょうけれど。)
身体のことも、私は同じように考えていますし、心の方も同じです。
心も素直に行けばいいのかもしれませんが、
そうは育ってこなかった人間にとって、
ただ素直な状態というのはこういうことだよと、
ある特定の場で経験させてもらっただけでは、弱いと思うんです。
どうしたらその状態になれるのか?
徹底して自分の心を見つめる必要があると思うんですね。
どんな時にどんな風に自分の心が動くのか?
そして、それをどうしたら良い方向に動かすことが出来るのか?
(何をもって良いとするのか?が、問題になってきますから、
それは学習する必要があります。)
そんな先に、自分でも意識してなかったのに、良い心の動きが現れていた!
なんていう経験が待っているのではないかと思うんです。
心にしても身体にしても、本人が徹底して意識的になることで、
悪さが起きたときにも、人に頼るのではなく、
自分でいろいろと考えられるようになると、私は思っています。
人に頼って悪さを消し去ることよりも、合っていようと間違っていようと、
自分で考えて試してみることに価値があると思うんです。
もちろん、私はみんなが良い身体、良い動きになって欲しいとは思っていますけれど、
それよりももっともっと根本的に大事なことは、
各自が自分の心と身体に責任を持とうとすること。
(”責任を持つこと”と言い切らないのは、
医者などの他人を頼ることもあったっていいと考えているので。)
そのために、
自分の心と身体って、
こんなに深く、繊細に感じられるんだ!
意識出来るものなんだ!
ということを、たくさん味わってもらうことが、力になると思っているんです。
自分の心と身体に可能性を見出せると思うんです。
私はマイムが素晴らしいなと思いますのは、
この感じる、意識的になるということが、
心の面でも、身体の面でも行なえるからなんです。
しかも、独りよがりにならず済むようになっている。
マイムを人前で演じれば、全てが晒されてしまいますから。
(マイムは具体的な動きをしますから、
人の目といいますか、人の感覚をごまかせませんし、
言葉が無いので、心の状態が読み取られてしまいやすいんです。)
最後に。
無意識を視野に入れつつ、意識的にしていく。
そのために、心と身体以外のところにも意識を向ける。
そんなこともお伝えしています。
・・・なんだかこう書いてきますと、クラスではえらく難しいことを、
しかめっ面してやってるうな印象になってしまうかなぁ。。。