嵐の中の一軒家。
普通に暮らしていると 嵐の中に家があるようなものだ。
毎日毎日 情報の暴風に襲われてるようなそんな状態が 起きている。
1日中テレビをつけているとしたら、それは情報の嵐の中に立ってるようなもの。
気がつかないかもしれないけど、五月雨のように、そよ風のようにじわじわと、
情報の雲がいろいろなことを脳にインプットする。
例えばお風呂掃除の洗剤、バ○・○○○○リン
重曹とクエン酸とセスキ
どちらを テレビコマーシャルで知っただろうか?
40年以上前に聞いたことだ。
「テレビコマーシャルで扱っている商品はコマーシャルしなければ売れないもの」
確かに、家の中にあるもので、テレビコマーシャルにつられて買ったものは多い。
それらのものが本当に有効かどうか?
それらのものが自分に本当に必要かどうか?
自分にとってなくてはならないものか?
自分の生活を豊かにしているものか?
そんなことを考えて、自分の身の回りを見てみよう。
バ○・○○○○リンも
それが自分の生活を豊かにしてるんだったらいいと思う。
でも、重曹とクエン酸でお風呂を掃除するようになって、
とっても快適になり、家の中もスッキリして、
何本もあった洗剤が姿を消し、肌にも、環境にも優しく、
経済的。ゴミの量も減って、
となったら、なんだか、テレビコマーシャルを見る目が変わってくる。
じゃあどこから情報をゲットするの?
テレビがNGだったら
ネット?
SNSやら、ネット検索でいろいろ日常生活で情報ゲットしてるけど、
そういう時に飛び込んでくるのがやっぱりコマーシャルだ。
コマーシャル、悪いとは言わないが、
その嵐を押しのけるほど家が頑丈だったら大丈夫。
でもずっとずっと嵐にさらされ続けたら
どこかにひび割れができて、どこかが剥がれて、
雨風が染み込んでくるよね。
コマーシャルの嵐は、洗脳みたいなもんだ。
ずっとずっとそれに慣れてくると
それが自分の中に染み込んできて、それが常識になって、
それが自分の考えになっちゃう、いつの間にか。
テレビコマーシャルを1つの情報として捉えられるなら いいと思う。
でもところが、、それほど私たちは強い家を建てているだろうか
どんな嵐の日でも倒れない家だったらいいんだけど・・・・
知らないうちに乗っ取られている。
昔はテレビアンテナがあった。
昔はパラボラアンテナがあった。
今はネットは光ケーブル、あるいはジャックを差し込むだけで、あるいは
Wi-Fiをつなぐだけでどんどん入ってくる。
情報の嵐は、暴風のように、音を立ててやってくるものもある、、、テレビコマーシャルのように
でも音も立てずに忍び寄ってくるものもある。
中には、教育の顔をしたコマーシャルもあるし、
ニュースの顔したコマーシャルもある。
情報は2つあると思う。
1つは 誰かが自分が得をするために流す情報。
1つは 誰か他人に教えてあげたいという有益な情報。
まぁネットの口コミ情報は どちらかといえば、2番目かな
でもこれも裏で操作されてることもあるから、どこまで信用するかは自分次第。
結局自分の家がしっかりしてること。
自分の家がしっかりしてるというのは→自分の軸、自分の考え、自分軸がしっかりすること。
情報に対して、どうやって自分を守るのか
いやいや
情報の嵐に対して、どうやって自分にとって必要なものを選択していくのか、
結局そこに落ち着くと思う。
テレビをつけっぱなしにしておくっていうのは、
わざわざ嵐の中に出かけていっているようなものだ。
嵐の中に出かけていって、家はもしかしたら空っぽ。誰もいない。
大変だ。
どうやったら家を守れるだろうか?
と言うようなものだ。
嵐に会いたくなかったら、
心穏やかに自分が暮らしていきたいのなら、
自分が本当にご機嫌なものをセレクトして暮らしていくのなら、
1 まずテレビを消してみる。
2 ネット情報も閉じてみる。
静かに ジタバタしないで
自分軸をしっかりと立てると
必要な情報が ちゃんとやってくる。
テレビのアンテナのように
自分に必要な情報をゲットするためには、
アンテナを磨かないと 精度悪いままになってしまいます。
アンテナを磨こう!
アンテナを磨く って
いつも 自分が何をほしいのか、
自分に必要なものはなんなのか、 それをちゃんと知るってこと。
そして いいアンテナを持っている人と 友達になろう。
案外 友達の情報って、役に立つものです。
信頼している友達なら なお !
自分を知る ってことなんだよね。