ビリッ、ビリッ、ビリッ
買い物から帰って勝手口を開けると、内扉の奥、リビング
兼寝室を抜けた先にあるダイニングのテーブルいっぱいに
おかぁちゃんが何かを広げて一心不乱に破いている
ビリッ、ビリッ、ビリッ
破いた物が床に散らばっている。ちょっと前に新聞紙やら
チラシやら雑誌を破っていたのを見咎め、スツール内に
収納したはずなので、どうやらそれらの類ではないらしい
天然水のストッカーをリビングに運び入れ、おかぁちゃんが
一体何を破いているのか、恐る恐る確認
そこにあったのは、サブレやらクッキーやらの缶に
収められていた、家族の写真と想い出の記念スタンプ、僕の
通知表や賞状、コンクールで賞を取った作品やらおとうちゃん
おじぃちゃん、おばぁちゃんの思い出の品々やら大量の
家族写真やら・・・
まだ難を逃れた物もあれば、既に四散して床に散らばって
いる物もある。幾つもの缶を開けてはテーブルにぶちまけ
られたそれらは、いわば家族の記憶を物体として写し
留めた想い出の数々
海水浴に行った時の写真、入学式の写真、僕の作品が美術館に
飾られた時の、おとうちゃんと一緒の写真、おじいちゃんに
自転車の補助をしてもらってた時の写真、おぼつかない
足取りで巨大な虫取り網を振り回す幼年期の写真(と、直後
振り回した虫取り網がツツジの枝に引っかかった拍子に池に
落下して大泣きした記憶)・・・次々と破られ、欠片となる
とても不思議な事に、特におかぁちゃんの作業を遮るでもなく
何の感情も湧かないまま、僕は淡々と床に散らばった「記憶の
残滓」を資源ごみの紙袋に詰めだした
何故かふと、おかぁちゃんが土に還った後の、独りになった
自分の姿が浮かんだ。多くの思い出の詰まった缶を整理する
でもなく、ただ保管してるだけの体。時々思い出したように
それらの缶の一つを開けては、かつての思い出に浸り、懐かしみ
その時の記憶に身を委ねる
その、そう遠くない未来に訪れる自分の姿が、とても憐れに
思えてきた。4人の位牌を前にしては、写真を拡げて過去を
懐かしんで涙ぐむ日々。そんな僕の姿を、4人は、ご先祖様は
どんな思いで見てるのだろう。悲嘆にくれる僕を一人置いて
いった事を悔やむかもしれない。残りの人生を、想い出の中で
彷徨って生き続ける。そんな僕の姿を果たして望んでいるのか?
ほんの数舜で、そこまでのビジョンが、感覚が僕に流れ込んできた
おかぁちゃんは何も言わず黙々と作業を続けている。あ、それ
小学校の通知票だ。いや、だったものか。それ幼稚園の時に描いた
お父ちゃんの似顔絵だ。いや、だったものか。そうして当時の
懐かしい記憶が一つ、一つと破り捨てられ、資源ゴミに生まれ変わる
考えてみれば、おばぁちゃんも、おじいちゃんも、おとうちゃんも
みな等しく僕の事も、おかぁちゃんの事も、楽しかった数々の記憶も
その一切合切を現世に残し、土に還った。世を憂う事も、誰かを心配
する事もなく、ただあっさりと旅立った
一心不乱で雑念のないおかぁちゃんの作務により、およそ40L近い
紙袋の資源ゴミが既に出来ていた。言い換えれば、それだけの量の
「家族の思い出」が、この短時間に脳の記憶領域のみにその残滓を
留めるだけのものになった
「案外、そんなもんだろうなぁ」ゴミを詰めながら僕は独り言ちた
連綿と続いていた家系樹形図の弥終に位置する今の僕。ここに
書こうとしない限り、全ての思い出や記憶は、誰に話す事もなく
想い出を共有する事もなく、想い出を引き継ぐような後継も存在
しない。で、あれば、思い出の品として残されたものは、僕に
とって、極論だが「核廃棄物」ぐらいには厄介な代物となる
可能性を含有している。捨てる事も出来ず、時々眺めて過去を
懐かしむ自分の姿に憐憫の念を覚えて暗澹となる。その
温かくて優しい、思い出の数々は独りの僕には
まぶし過ぎて、切なすぎる
まだ手元に結構な写真を残しているにも関わらず
おかぁちゃんは立ち上がって新しい缶をまた持ってくる
渦高く積まれた写真を複数枚纏めて破る。ハサミを使えば
もっと大量に処理できるだろうが、今のおかぁちゃんに
ハサミは危険すぎる
一通り床のごみを処理し終えた僕は、おかぁちゃんの
反対側に座り、無言で同じように写真を破り始めた
鮮明だった過去を象った思い出の記録が、ただのゴミに
変わる。と同時に、僕の脳内の記憶の断片が、色を失って
単なる線画へと変質する。それはまるで、何年も経過した
レシートの印字が次第に薄れていくように
夕食の支度を始める為、キッチンに移動し、今日の買い物の
戦利品である、おかぁちゃんの好物の縞ホッケの開きを焼き
始める。換気のスピードに間に合わない量の煙で室内は食欲を
そそる匂いで充満する。想い出を破っていたおかぁちゃんの
手も止まる。気になった様子でゆっくり立ち上がりそうに
なるのを制し、大好きな「水どう」を流し始めると、おとなしく
座って見始める
一旦テーブルを奇麗にする為、燃えないゴミ用の袋に全て流し込む
作り置きを温め直して夕食を並べ、おいしそうに食べている
おかぁちゃんを見ながら、「ありがとうね」と独り言のように
呟く。僕が苦しまないように、整理してくれているのだろう
そう思えて
因みに、残りの未処理分は食事が終わった後に無事再開され
めでたく全てが終わった
というわけで、今の自分にとって、過去の記憶の大部分は
「4人を介護した記憶」が占めている。そのお陰で
振り返らずに済んでいる。あらためて
おかぁちゃん、ありがとうね