2013年に母が認知症と診断され、お医者様から「年齢的に老化も

 

重なるので残酷ですが悪化は早いと思います」と現実を突きつけられ

 

ものわすれ外来から提示されたリハビリのプログラムを行いつつ

 

日々の食事に鮫玉やDHC、ココナッツオイル、プロポリス、グルコサミン

 

をプラスし、同時に自宅で出来る読み書きドリルや頭部マッサージ

 

エアロバイクとステッパーを購入し、とにかくネットの情報を藁にも

 

縋る思いで貪りつつ、何とか進行を食い止めようと

 

 

診断された数か月は、とにかく自分との戦いだった。毎日ちょっとずつ

 

自分の「お母さん」が、壊れてゆく。昨日まで当たり前にできていた事が

 

今日突然できなくなる。一つまた一つ、自分の記憶にあったおかぁちゃんが

 

剥がれてゆく。物事の手段や工程が抜け落ちる事も有れば、根幹のプロセス

 

自体がごっそり消失する事もある。あたかも、まだ花の咲いた枝葉を残して

 

幹が根こそぎ切り倒されてしまうように、シナプスが分断されていく

 

 

最初は些細な注意から始まり、それが全く出来なくなってはじめて

 

「失われてしまった」事実に絶望する。最後に食べた味噌汁の味も

 

変わり果て、洗濯ネットとサランラップが鍋の具材に放り込まれた時

 

それまで一切してこなかった料理を担う決心をする

 

 

僕が中学校の時、部活の朝練があったので早朝の食事はおかぁちゃんが

 

用意していた。その頃はばぁちゃんの介護もあってケアや食事の用意も

 

おかぁちゃんがやっていた。自分が台所に立ち、食材を切り分け鍋を

 

温めて下味を加えていた時、そんな記憶が蘇る

 

 

僕が過ごしていた当たり前の日常は、おかぁちゃんによって支えられていた

 

事実を思い知る。同時におばぁちゃんのお世話も、じいちゃん、おとうちゃんの

 

食事も用意していた。おかぁちゃんが、みんなの、当たり前の日常を、護って

 

くれていた

 

 

タイムセールで買い貯めた生鮮食料品の半分は萎びてしまい、適宜食材を

 

余すことなく食事を出し続ける事の難しさを知った。家族全員のコンディション

 

に合わせて献立も調整していた事も、その時思い知った。玉ねぎを切り分けて

 

いたわけでもないのに、いつしかまな板には僕の涙がこぼれ落ちた。拭う目の

 

端には、僕がDVDに録り貯めた、大好きな水曜どうでしょうを見て無邪気に

 

ケタケタ笑っているおかぁちゃんの姿が映った

 

 

おかぁちゃんの、壊れゆく日常を、少しでも笑って過ごせるように

 

絶望の果てに決心した、そんな1年目