本の信仰 | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

本を信仰するのをやめた。

 

本を読むことが悪いとは

 

いまも思っていない。

 

むしろたくさん読んだほうがいい。

 

でも、これと矛盾するようだけれど、

 

知識はたくさんあればよいわけではなく、

 

あるとかえって邪魔になる場合がある。

 

なんの邪魔かというと、

 

技術を身につけることの邪魔である。

 

 

 

あれもこれも知っていたところで、

 

それらができるかどうははべつの話。

 

できるようにするには、

 

繰り返し練習をしなければならない。

 

知っていることが多いと、

 

あれもこれもと試すだけになり、

 

練習にならない。

 

むしろ、いま知っているこれだけを

 

何回もするほうが有効であったりする。

 

でもこれは不安なのだ。

 

 

 

いまやっていることが有効かどうか

 

すぐには見えないことが多く、

 

それだけに新しいやり方や技術の話を聞くと

 

それについて知りたくなり、

 

つい試してみたくなる。

 

そういう不安な心の動きが

 

自分の場合は本を読む原動力になっていた気がする。

 

 

 

一時は毎日1冊読むことに意地になっていた。

 

本を読むことで不安定な心が安定し、

 

また本を読むのだから、

 

やはり信仰していたのだと思う。

 

 

 

いまは本をあまり読まない。

 

読むけれど、同じ本を何回も読む。

 

そして試したことの記録をつける。

 

自分のしたことがよかったのかどうかは、

 

通り過ぎた後でないとわからない。

 

それを検証するための記録である。

 

 

 

やっとそういう気持ちになった。

 

信仰を経て、これが悟りとなったのかどうか。

 

すがらなくてもよくなったという実感はある。