157 いつの間にかほしいものではなくなっていた | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

本を読んでいたら、

24歳のときにちょっと背伸びをして

40万円の腕時計を買った、という話が出てきた。

わたしはちょうど同じ頃に、

おなじくちょっと背伸びをして5万円の腕時計を買った。

本当は30%引きだったので、3万5千円の腕時計である。

それまで1500円くらいの時計を

電池が切れるまで使っては買い替えていたので、

何万円もするちゃんとした時計は、十分に背伸びだった。



この時計は光で発電するので

電池を替えなくてよいものだった。

時計を裏返したら裏蓋がなかったので感動した。

夕方に店に行き、

ショウケースの前で迷いに迷いにらみににらんで買ったから、

店を出たのは夜だった。

早速箱から出して腕につけて自転車に乗った。

ちょいちょい腕時計を眺めながら走っていたら、

秒針が止まっているのに気がついて、

びっくりしてお店に引き返した。

お店の人に話したら、

「ああ、暗いので節電してるんですよ」と涼しい顔で言われた。



その時計をいまも使っている。

電池はいままでに、一度も替えていない。

デザインは飽きが来ていない。

この調子だと、時計が死ぬか私が死ぬまで

付き合いは続いていくだろう。



いま同じ時計を買うとしたら、それは背伸びではない。

40万円の腕時計を買うとしたら、それは背伸びである。

「ちょっと背伸び」ではなく、「だいぶ背伸び」である。

だから、24歳で「ちょっと背伸び」して

40万円の腕時計を買おうと思った人はすごいなと思った。

心から。



お金を貯めたにしろ、カードで買ったにしろ、

ポーンと買えたわけではなかっただろう。

少しずつお金を払って、どうしてもほしかったから買ったのだろう。

それがうらやましいというか、そこまでものに情熱を注げるのがいい。

自分はどうだっただろうか。

考えるまでもなく、そういう買い物は一切してこなかった。

いますぐにポンと買える範囲のものしか買わなかった。

すごいものはいらない。

手に届く範囲でほしいものを手に入れる。

それでよいと思ってきたのだが、本当にそれでよかったのか。

わからなくなっている。

わからなくなっていると、気づかされた。



どうしてもほしいものってあっただろうか。

なんとなくいいなと思って買うものはあるが、

買えない理由が見つかったら、

じゃあしかたがないねとあきらめられる。

100万円くらいする自転車がほしい時期もあったが、

置き場所がないし、いまある自転車はどうするんだ、

と思ったらいつの間にかほしいものではなくなっていた。

服を見ていいなと思うことはある。

いいなと思ってからぺらりと値札をつまんでみると、

だいたい3万円くらいであることが多い。

どうしてもほしければ買える値段だが、

試着してみるとどうも自分とは身分が違うように見えて、

縁がなかったと肩を落とし、もとあったところに返す。



わたしの場合、高価なものはそれがゆえに、

「どうしてもほしいもの」にならなかったのかもしれない。

たぶんそうだ。

いま思ったが、わたしがどうしてもほしいと思うものは、

いわゆる生活必需品で、

それがあるとおそろしく生活が便利になる

(たとえば水の滲みてこない靴)とか、

竹串だとか(干物を作るのに必要と本に書いてあった)、

そういうレベルのものである。

残念ながら。



それでなにが悪いわけではないのだけれど、

どうしてもほしいと思える高価なものにも出会ってみたい、

というのが正直な気持ちである。

そのいっぽうでいまこの瞬間に

「ああ、待ち針がほしい」などと思っているので、

まことに道は険しい。