150 正直に言うと甘く見ていた | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

見ていてすごさがわかるものと、わかりにくいものとがある。

スキーのジャンプ、体操競技、

フリークライミングなどはわかりやすい。

なぜなら、自分がやろうとしたって

手も足も出ないだろうと容易に想像がつくから。



これに対して、プロ野球、ボブスレー、クロスカントリースキー、

100名山制覇などは、見た目にすごさがわかりにくい。

プロ野球のピッチャーが投げる球なんて、

自分じゃバットに掠りもしないだろうが、

テレビで見ていると簡単に打てそうな気がする。

だからプロ野球中継を見ながら

「なんでそれを振るんやアホー!」

と文句を言ってしまうのだろう(わたしじゃありません)。



すごさがわかっているつもりでも、

実際自分でやってみると本当のすごさがわかる。

すごさがわかりにくいものなら、なおさらわかる。



わたしは囲碁の名人のすごさが

いまいちよくわかっていなかった。

名人と呼ばれるからには相当の腕前なのだろうが、

具体的になにがすごいのかわからなかった。

なぜわからなかったのか、理由ははっきりしている。

囲碁をやったことがなかったからだ。



そんなわたしが、これでもかというくらい

囲碁の名人のすごさ、というか囲碁を打てる人のすごさを

思い知らされた。

じつは先日囲碁デビューを果たしました。

それはあまりにも痛々しく、

もう二度と囲碁などやりたくないと思えるほど

無惨な対局でありました。



相手は98歳。

聞けば小学校3年生のときからやっているという強者。

もう囲碁歴何年か計算するのもいやになる。

本当かどうかは知らないが、

本人曰く「8段」の腕前らしい。

碁石をさわったこともない人が

対局できるような相手ではなかったが、

わたしはそのへんもよくわかっていなかった。



正直にいうと、甘く見ていた。

98歳という年齢で、会話さえおぼつかないのだから、

まあ最低限のルールさえわかっていれば相手になるでしょ、

と軽い気持ちで対局を申し込んでしまった。

そしてわたしはたっぷりと冷や汗をかかされることになった。



最初の一手から事態は風雲急を告げていた。

わたしが親指と人差し指でつまんだ黒い碁石を

適当に盤の上にちょんと置いたのに対して、

98歳は伸ばした人差し指と中指、

それから親指で挟んだ白い碁石をパシーンと盤の上に打った。

碁石を打っただけなのに、あきらかに雰囲気が違った。



この瞬間、98歳は棋士となり、わたしは迷える子羊となった。

困ったことに、そのまま対局が続いていってしまった。

98歳はほとんど考えることなく白い碁石を打っていく。

毎回迷いのないいい音がする。

わたしは黒い碁石と汗を握りしめて、じりじりと考える。

じつはこのとき、考えているようで考えていませんでした。

なぜなら、なにをどう考えたらいいのかさえ

わからなかったのだから。

そしていたずらに冷や汗をかき、びくびくしながら碁石を置く。

それがいい手なのか悪い手なのかもわからない。

だったら考えないでおけばよさそうなものですが、

考えてしまうんですね。

そしてまた冷や汗をかくのです。



たぶん98歳は最初の一手で、

わたしに力量がないことを見抜いていただろう。

だったら「このようにしなさいよ」と教えてくれてもよさそうだが、

彼はそういうことはせず、

最後まで淡々と自分の碁を打ち続けた。

すべてが終わってからご丁寧に、

「ここも死んでる」「ここも死んでる」とわたしの手のまずさを

余すところなく教えてくれたのだが、

残念ながらわたしには

「ここも死んでる」という言葉の意味すらわからなかった。

「死んでるってどういう意味ですか」と聞いたら、

ただ「死んでる」としか言ってくれなかった。

また冷や汗が出た。



お年寄りが相手だと、手加減することばかりである。

お年寄り相手に必死になって、

しかも完膚なきまでに叩きのめされる、

というか勝負にすらならないことなんてありえない、

と心の中で思っていたということだ。

冷や汗が出るわけである。