再生スピーカー | 群衆コラム

群衆コラム

耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

古いiPod Touchがある。

何年か前、東京の家電量販店で

店員の口車に乗ってつい買ってしまった。

本体は激しく値引きされているが、

2年間通信契約をしなければならないという

いまでは使い古された売り方にまんまとのっかってしまった。

買ったばかりのiPodを手に、

なぜだかわからないもやもやした気持ちになった。

2年間の契約期間を終えたとき、

ムショでのお勤めが終わって出所する朝を思った。

きっとこんな気持ちだろう。



こうして古いiPodが手もとに残った。

古すぎてカメラもついていない。

インターネットはできないこともないが、

頭の回転がそんなに早くないので

いまの情報量にはついていけない。

第一画質が粗い。

ただでさえ画面が小さいのに画質まで粗かったら、

インターネットは辛い。

なにより致命的なのは、

もう新しいアプリを一切入れられないことである。

製造元である会社の方針でこうなった。

以来、古いiPodは「見捨てられたiPod」になった。



これを音楽を聞くために使ってはどうかと思っていた。

じつはそれが本来の使い方である。

数年前にもそう思った。

でも、音楽を入れるソフトの使い方がわからなくて諦めた。

諦めると案外、

ずっと後になって解決策がひらめくものである。

最近、あ、と思って試してみたらうまくいった。



これで音楽が聴けるようになった。

しかし、音がどうにも聞きづらい。

iPodは小さい。

そこに内蔵されているスピーカーもまた小さい。

音は聞こえるけれど、小さいし、質もよくない。

どう考えてもスピーカーが必要であるが、

立派なものはいらない。

音質はほどほどよければいい。

わたしはこだわらないほうなので、

中の下の下くらいで十分だろう。

それよりも、小さくて電気がいらないものがほしいと思った。

どこにでも手軽に運べるのがいい。



電気がいらないスピーカーなんてあるのかと思っていたが、

けっこうあった。

木製の渋いのが売っていた。

広島の家具職人の作だそうで、お値段もする。

なぜ家具職人がスピーカーを? 

とちょっと思ったが、野暮なことを言ってはいけない。



これを買おうかどうかというところで、

ひょっとして作れるんじゃないのと思いついた。

わたしが思いつくことはたいてい誰かが思いついている。

探したらいっぱい出てきた。

お手軽なのは紙コップとトイレットペーパーの芯で作ったもの。

音は大きくなるようだが、家具としての魅力はないに等しい。



家具職人が作ったスピーカーも自分で作れることがわかった。

じゃ、作るかと思いつつも、

家具職人にはかなわないだろう、

やっぱり買っちゃおうかなと心は傾いていた。

今日にでも買ってしまおうと思ったとき、すごい記事を見つけた。

iPodをコップに入れればスピーカーになるよ、という記事だった。



半信半疑でうちにあるコップに入れてみると、

たしかに聞きやすかった。

これはこれはとおもしろくなってしまって、

うちにある全部のコップで試したところ

いいのがひとつ見つかった。

3年前、バルセロナで買った三角形のマグカップだった。

形がおもしろくて買ったのだが、

残念なことに飲み物を飲むには適していなかった。

マグカップがまるいのには、ちゃんと意味があったのだ。



飲みにくいマグカップに活躍の場所はない。

長らく不遇の日々を送っていたのが、

ここへきて一躍脚光を浴びることになった。

マグカップがスピーカーとして息を吹き返す。

わたしはこういう話が好きである。

だから余計にこのアイデアはよかった。



いまバルセロナのマグカップはスピーカーとして第2の人生を歩んでいる。

同じく不遇の日々を過ごしてきた古いiPodとの出会いが、

世界を180度ひっくり返した。

両者にいまの気持ちを聞いたなら、

「やー、こうなるなんてぜんぜん思ってませんでした」と答えるにちがいない。

このスピーカーはいい音がする。