他愛ない今日のひと言 | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

職場に掲示板がある。

もとは非常に硬い木の掲示板で、

掲示板のくせに画鋲をはじき返す。

なにかを貼るときには、画鋲を意地になって

ぐいぐい押さないと刺さらなかった。

したがって、掲示物の回転率は悪い。

新鮮でないと売れないのは魚も肉も掲示物も一緒。

いったいいつ貼ったのかわからないものがずっと貼ってあり、

職場の人さえその存在を忘れるような代物だった。

掲示板でありながら、

誰にも見てもらえないものだったのである。



これを頼み込んでホワイトボードに替えてもらった。

掲示物は磁石で貼り付けられるので、取り替えやすい。

しかし、肝心の掲示物はそんなにあるわけではない。

表情を変えない人の顔がおもしろくないように、

掲示内容が変わらない掲示板はおもしろくない。

おもしろくないものは見てもらえない。

見てもらいたかったら、くるくると掲示内容を変えなければならない。



そこで「今日のひと言」を書くことにした。

日めくりカレンダーに「一日一善」などと書いてあるあれである。

これなら毎日内容が変わるので、

見てもらえるかもしれない。

見てくれるのは、職場のスタッフとお客さん。

だからこれは顧客サービスの一環のつもりではじめた。



このアイデアはよかったが、欠陥があった。

わたしは日めくりカレンダーでもなければ、五木寛之先生でもないので、

そう毎日いい言葉を書き続けられない。

もちろんネットで調べれば、

いい言葉はむこう3年分くらい見つかるだろうけれど、

そんなことをするならやめたほうがいい。

ネットで見つかるものを、わざわざここに書く必要はない。

ここにしかない言葉を書かなければ意味がない。



そう、いい言葉でなくてもいい。

ここにしかない言葉であればなんでもよいのだ、と気づいてから、

書く言葉はどんどん名言から離れていった。

「羊羹はもともと中国のスープだった」といううんちく。

「この子の3才はたったの1年」というCMのコピー。

「おじいさん、ブラジルから荷物が届いたみたいですよ。 ーAmazon」

というネタのようなものまで書いた

(ちなみにこのネタはいろんな人に「どういう意味?」と聞かれた。

アマゾンはもはやブラジルにある森でなく、通販の会社となってしまったらしい)。



問題は、これが「顧客サービスになっている」かどうかだった。

真相は長らくわからなかったのだが、

先日あるお客さんが掲示板に前日書いてあった言葉を口にしたので驚いた。

とてもおもしろかったとのことで、

もっと早くから見ておけばよかったとまでおっしゃっていた。

狙いどおり、「今日のひと言」はサービスになっていたようである。



ちなみにそのお客さんが喜んだひと言とは、

「古いりんごは煮て食べる」だった。

ちょうどその日の朝食べたりんごが古くなっていておいしくなかったので、

「こりゃ煮たほうがいいな」と思いながら書いたのだった。

お客さんは何を喜ぶかわからない。

この掲示板に名言はいらない。