ハタキのお祓い | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

箒で掃くより、ハタキをかけるのが好きである。

ハタキをかけるのも箒で掃くのも掃除に違いないが、

気持ちよさの種類が違う。



箒で掃くのは、見えている汚れである。

1週間も生活すると驚くほどに

埃やら髪の毛やらがたまるもので、

それはもう病気になるのではないかと思うくらいである。

ほこりの塊を掃くことには、大物を取る快感がある。

通販のCMで頑固な汚れがうそのように落ちるのを見たときに

巻き起こるあの感情。

あとはお買い得な価格と

ありえないほど太っ腹なおまけがつけば

つい余計なものを買ってしまうほどに、

人を高揚させるあの感情。

箒で掃く掃除には、ある種の高揚感がある。



これにたいしてハタキはというと、感情の高揚がまったくない。

ほこりがあるのかないのかよくわからないところを

淡々とはたいていく。

うっすらと積もったほこりが取れるのを目の当たりにすることもあるが、

多くの場合、汚れがとれているのかどうかはあまり気にせず、

手当たり次第にはたくというやり方である。

にも関わらず、はたいたあとの部屋はきれいと感じる。

具体的に汚れが取れたのが見えたわけでもないのに、

きれいになったと思う。

きれいというより清々しいというほうが合っている。



そこでわたしは「お祓い」を連想する。

お祓いをするときに神主さんがもっている

ひらひらの紙のついた棒がハタキに似ている。

見えないものを取り除くという意味では

どちらも使い方は同じである。

だからハタキをかけているとお祓いをしている気分になる。



汚くなった部屋には、ほこりがたまっている。

それが気になるから掃除をするのだけれど、

本当に気になるのは心の乱れのほうであるから、

箒で掃くだけではダメである。

部屋の掃除にハタキは欠かせないし、

あのはたいた後の清々しさは好きである。

心のほこりがとれたのだと思う。



部屋をはたいているのに心のほこりがとれるのだとすると、

部屋は心なのかもしれない。

心をもったわたしが、心のなかで寝泊まりしている。

この文章も心のなかで書いているという、妙な気分。

心はどこにあるのだろうか。

ハタキの届く場所にあるのは間違いないのだけれど。