声の骨 | 群衆コラム

群衆コラム

耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

ここまでのことはそう起こらないにしても、

気合いだけでなんとかなることは

けっこうある。



電車で痴漢にあったら、大声で叫ぶ。

痴漢は逃げていくだろう。

外国でトラブルに巻き込まれたとき、

日本語で怒るのが一番効果的だと聞いたことがある。

これは高杉晋作の作戦と似ているかもしれない。



相手がなにをいってもおかまいなしに、

こちらの言いたいことをばしばしとぶつけていく。

高杉の例からすると、

相手に口を挟む隙を与えないのがポイントであろう。

ちなみに、外国人に

「この人、めちゃくちゃ怒ってるなあ」と一番思わせるのは、

大阪弁らしい。

ことの真偽は、ご自分で確かめてみてください。



わたし自身もそうだが、

現代の人、とくに若い世代は

大きな声を出すことが苦手であるように思う。

親の世代のほうが、声はよっぽどしっかりしている。

これは聞いたら一目というか一聞瞭然。

声の骨の太さがちがうのである。



ふつうに話すときでさえ、

自動販売機のブーンという音に負けてしまう人が、

いざというときに大きな声など出せるわけがない。

声は気合いを表現する一つの手段である。

これ一つで、国がひとつ守れることもあるくらい、

大事な体の力である。



声なんて聞こえれば小さくてもいいじゃない、

と言うかもしれないが、

そんなことは絶対ない。

めったに走らないからといって、

走れなくてもいいわけではないのと同じである。

声は大きいほうがいいに決まっている。