体の感覚に手応えはない。
しかし任せてみれば、
なかなか鋭い判断をしている。
扱いにくいものではあるが、
これを上手に利用する人もある。
勘だけでスイスイと進んでいくような人は、
このタイプであろう。
ようは耳を澄ますことができるかどうか。
何かしなければとそわそわしているのは、
自分でうるさくしているようなものだ。
自分で声を聞こえなくしている。
まず何かしなくてはというのを捨てて、
じっと人の話を聞く。
しぐさをみる。
自分の体のなかに流れるぼんやりしたもの、
透明な液体のなかに広がっていく
インクの煙のようなものを見る。
件の新人に、
人と接するときには世間話をしなさい、と勧めている。
それが難しいのだそうだ。
浮かんだことを言えばいいと思うのだが、
これまた言おうとすると、
心にもないことを言ってしまう。
それが取って付けたようなセリフになる。
グルメ番組で「これ、やさしい味ですねぇ」とリポーターが言ったら、
本当はおいしくないと思っているか、
味を言葉で表す能力がないかのどちらからしい。
この「やさしい味発言」は、
まさに心にもないことを取って付けて言った例に挙げられる。
本当に「やさしい味」もあるだろうから、
言っちゃだめだとは思いません。
でも、こってりや激辛でないものになら
なんでも使える便利な言葉だから、
取って付けやすい。
用心したほうがいい。
頭を使いすぎると、取って付けなきゃならなくなる。
困ったことに、取って付けている自分には気づかない。
こころというか、からだというか、
かたちのないたよりにならないものに任せるとき、
胸中は意外と穏やかというか、静かである。