手のうえのお客 | 群衆コラム

群衆コラム

耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

映画『おくりびと』を見た。

以前話題になった映画である。

当時、

普段映画なんてぜんぜん見ないうちのばあちゃんが、

おくりびとはいい、と言って驚いたことがあった。

老人会かなにかでみたらしい。

その『おくりびと』がたまたま図書館にあったので、

見ることにした。



見ないとわからないことがある。

あの映画が公開されて以来、

葬儀屋さんをおくりびとだと思っていた。

葬儀屋さんが通るたびに、

あ、おくりびと、と心の声がしたものだが、

そうではなかった。

納棺をする人をさす言葉だったらしい。



ご遺体を棺に入れる。

それだけといえばそれだけの超スキマ産業。

それだけのことを見事なまでに美しくする人たち。

見ながら、昨年訪れた

厄払いのお寺を思い出した。

お祈りを芸術的にやってのけたお坊さんたちにも、

同じ雰囲気があった。



物語全体の2/3くらいの時間で、

納棺師という仕事は忌み嫌われている。

はじめは主人公、

つぎはそのまわりの人たち。

映画を見ていると、

そんなに嫌われる仕事に見えない。

死んだ人が、

だんだん生前の姿を取り戻して

棺のなかに収めてもらえる。

立派な仕事にみえるのに、

どうしてみんなそんなに嫌がるのだろうと考えて、

ああそうか、見てないからだとわかった。



そう思いつくと、

だったら主人公はさっさと仕事を見せればいいのに、

なぜ言わないのかという思いが湧いた。

結局、主人公は見てくれとはひと言も言わず、

ごく自然な形で

彼の仕事に疑問を抱いている人たちに

仕事ぶりを見せることになる。



どんぴしゃの状況が自然にできあがっていた。

よくできている。

やればいいのにと見る人に思わせておいて、

それをやらない。

観客が思ったとおりではつまらない。

思ったとおりでなかったから、おもしろかった。

こちらの心の動きは、

作り手の描いた設計図どおりに動いていたにちがいない。

平凡なお客は、うまいことやられました。