富山へ | Who’s キチェナー

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なんのことはない、とりとめのない、私の日記。

ずっと未来に見返す時のための、私が生きていたという証。

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2017年2月24日(金)

 
26日の日曜日、薬局の隣の病院が、珍しくお休みになったので、薬局も休みになり、24日お休みをもらって、実家の富山県氷見市に帰りました。
 
と言うのも、年末から弟が実家に帰っていて、病院を移ろうという話になっており、一度ちゃんと実家の様子を見て来たら?という旦那の勧めがあったからです。
 
そもそもの発端は、弟の嫁のお母さんが、うちの母親宛に書いた手紙にありました。
 
弟は、去年の脳腫瘍の手術後、社会復帰を果たして、会社に勤めるところまでに回復していたのですが、11月ごろに痙攣を起こして倒れ、会社から救急車で病院に運ばれ、会社を辞めることになってしまいました。
 
弟は無職になり、嫁は子供がいるので働かず。
家賃や生活費は嫁のお母さんが出してくれていました。
 
で、これ以上面倒みきれないわ看病できないわ、離婚してやってくれ、と手紙が届いた訳です。
 
ただ、転院手続きのため、一旦大阪に戻っていたのですが、急激に病状が悪化し、左半身麻痺が起こり、腫瘍が石灰化。
1人では歩けない、ということで、24日一緒に帰ることになりました。
 
新大阪で待ち合わせ。
そこまで嫁が連れて来てくれて、一緒にラーメン食べて、サンダーバードに乗り込みました。
弟は私が思っていた以上に悪化していて、乗り込んだのは6号車で、指定席の8号車まで、全く歩けない状態でした。
6号車が自由席だったので、親切な方が席を空けてくださいました。
 
サンダーバードは、北陸新幹線が出来るまでは富山まで通っていたのに、金沢までしか行かなくなりました。
金沢で、JRではない、IRという電車に乗り換えないといけません。
しかも、乗り換え時間が11分。
 
本当は13時のサンダーバードが良かったのに、それだと乗り換えが6分しか無い、ということで、12時のにわざわざ替えたんだから。
 
それでも、エレベーターを2回乗って、ホームの端から端まで歩かないといけなかったから、ギリギリでした。普段はなんでも無い乗り換えが、こんなに大変だとは。
 
なんとか高岡まで着いて、叔父さんの車で氷見の病院へ。
お父さんが入院しているんです。
 
父は、前から嚥下困難になって寝た切り状態までになっていたのですが、今年の正月に発熱で、肺炎になり、入院。
痰が絡んで、吸痰の機械を持たされて1月23日に退院。
そしたら発熱して25日にまた入院。
再検査したら、胆のうに胆石が詰まって胆のう炎になってました。
手術しようと思ったらビタミンKが足りなくて出血したら止血できない状態だったので、
ビタミンK補給して値が改善するまで様子見ることに。
 
父は私たちのこと、分かってるのか分かってないのか……
母の問いかけには、うん、ってうなずいたりしてましたけど。
あんまりいい状態とは言えないようでした。
 
弟と一緒に父の主治医に、父の病状を聞きました。
入院して1ヶ月経つので、一旦退院しないといけないそうですが、
弟の面倒を母が看ないといけないので、関連の病院に転院させてもらうことになりました。
値が回復したらまた戻ってきて手術する、ということになりました。
 
病院を後にして、叔父と母と4人でお寿司屋さんに行きました。
お寿司屋さんに着くなり、弟の手が痙攣し始めて、
お座敷に上がろうとすると、手だけじゃなくて顔、体まで痙攣し始めました。
5分ほど発作が続きましたが、意識はあったようです。
 
帰り着くまで、私が感じただけでも3回発作おこりました。
ただ、翌日は発作起こらなかったので、疲れていたからなのかなぁ。
 
で、弟がどこの病院にかかろうか、と、父の主治医に聞いてみたのですが、
氷見市民病院は金沢医科大学付属病院で、金沢から先生が来ています。
高岡の病院にも脳外科があり、そこにしようかと思っていたのですが、
万一、自宅で呼吸困難になるほどの発作が起こった時、
氷見だと氷見市民病院に行ってくれと言うと行ってもらえるが、
高岡は3つの病院持ち回り制で強制的に連れていかれて、通院していても
その病院には行ってくれないので、緊急時に心配がある、とのこと。
 
私は氷見に脳外科があるとは思ってなかったのですが、
ちゃんとした脳外科があるので、十分だと思いました。
 
土曜日に一緒に診察にも立ち会うことができました。
月曜日お昼に帰って仕事に行きました。